
- 作者: チャールズ・L.ハーネス,Charles L. Harness,中村融
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2019/09/12
- メディア: 文庫
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というのもSFには〈ワイドスクリーン・バロック〉と呼ばれるSF内ジャンル、作品傾向の呼び名があるが*1、名付け親であるオールディスはまさにこの『パラドックス・メン』を高らかに褒め上げ、初めてその言葉を使ったのだ。オールディスは本書に対して次のように述べている。『それは時間と空間を手球に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深慮であると同時に軽薄なこの小説は、模倣者の大軍がとうてい模倣できない代物であることを実証した。』*2
うーん、なにやら凄そうである。オールディスは「ワイドスクリーン・バロックとは何か」、についていろいろ言っているが、まとめると「複雑怪奇さがあり」「少なくとも太陽系を舞台にした、凄まじいスケール性」あたりが最重要項目であろう。で、この『パラドックス・メン』は当たり前だが、まさにその特徴をすべて備えている。
とにかくプロットは様々な謎に満ちあふれ、ところどころ矛盾しているし、さらには意図的に情報が落とされて進むので複雑怪奇極まりない。ワイドスクリーン・バロックで「あるとよし」とされる時間旅行はばっちり用いられていて、それがさらにプロットの複雑さを増し、太陽系人類の終末さえも結末の射程に入ってくる。それゆえ話が進むと拡散を続けて有耶無耶になるのかと思いきや、読み終えるとわけがわからなかったあれやこれやが一つの円環をなすように収束し、大きな充足感が残る。
無尽蔵に投入されるアイデア、時間が錯綜し、よくわからないところで場面が飛んだりするので読んでいるとそのあまりの複雑怪奇さにめげそうになる面もある。キャラクタの見分けがいくらなんでもつきづれぇよ! など幾つもの文句が沸いてくるといえば沸いてくる。だが、それはそれとして確かにこれは歴史に名を残す名作であり、今ここに邦訳されたことを喜ばずにはいられない、そんな一作である。
ざっと紹介する。
前置きが長くなったが内容を紹介してみよう。迷宮に迷い込むような話なので単純化することに疑問もあるのだが、それはそれ。舞台は22世紀、帝国と化したアメリカ。このアメリカ帝国は貴族制と奴隷制度が復活していたり、法律では禁止されているものの決闘が当たり前に行われていて、武器が理由もあって剣やレイピアだったりと、時代的に退行しているのが世界設定的にはおもしろいところだ。
そんな最中、どこからやってきたのか、自分が誰なのかなにもわからない記憶喪失の男アラールを中心人物として、帝国とそれに反抗する結社らの物語が描かれていく。アラールは最初、〈結社〉の科学者に拾われ、その後は、しばらくの間帝国の人間から金銀財宝を奪い去る〈盗賊〉の役割を担うようになっている。次第に彼に秘められし超人類的な能力が明らかとなり、〈帝国〉だけでなく〈結社〉にも狙われる身になり、アメリカ帝国宰相が立てた、終末をもたらす〈最終計画〉が明らかになったりして──といって太陽系全土を巻き込んだ大騒動へと発展していくことになる。
物語を引っ張る謎はいくつかあって、そのひとつは「アラールは、何者なのだろうか」というアイデンティティの問いかけだ。さらには、アラールが出現した船の謎。非常に高度な宇宙船で、当初は外宇宙からきたものだとおもわれているが、いくつかの証拠から次第に「これからアメリカ帝国から飛び立とうとしている宇宙船」なのではないか、つまりこれは〈未来〉からやってきたのか? という疑惑がうまれてくる。であるとすれば、アラールは、いま・ここにいる誰かの記憶が失われた姿なのではないか。宇宙船に同じく入っていたサルや、アラールが持つ力はなんなのかといった複数の謎が同時進行しながら時空まで入り乱れていくので、てんやわんやである。
無尽蔵に繰り出されるアイデア、道具立て、舞台演出
で、あらすじとしてはそんなかんじなんだけれども、本作の本当のおもしろさは無尽蔵に繰り出されるアイデアであったり、道具立て、舞台演出であったりする。フェンシングによる決闘、突然始まる仮面舞踏会、すべての文明は不可避的に同じパターンをたどる、だとしたらそこからの逸脱を図るにはどうしたらいいのか、という歴史学的な観点、世界を大きくスケールさせる独自の時空理論、超能力の科学的解説であったり。それら諸要素があまり整理されずに並んでいて、唐突に放り込まれることがまた読みづらさに繋がっているのではあるが、それはそれとして凄いんだよね。
特に個人的にお気に入りだったのは、〈帝国〉にとらわれ、逃げ出し、今度は〈結社〉に「なぜ五体満足で脱出できたんだ!」と詰められている法廷での能力の覚醒シーン。何をやっても殺されてしまうから、どうにかしないといけないのだが、アラールはそこで壮大なハッタリ──じゃないんだけど──をうつ。『「一般に認められているところでは」と彼は声高にいった。「見られたものから反射した光子が、瞳孔にはいって、硝子液と房水を通過するさいに焦点を結び、網膜で映像が形成される。」(……)「そのプロセスの逆転は絶対に起こらないと言い切れますか?」』
「映像投射は、進化の階梯においてホモ・サピエンスに続くかもしれない生きものにそなわるだろうと予言されてきた。この力は次の五万年、あるいは十万年以内に進化するかもしれない。だが、いま、現代人に? およそありそうにない。
とはいえ」──片手をあげて警告する。隠された意味に満ちている動作だ──「目から光線を投射できる者がいるとしたら──そんなことができるとすれば、ほかの刺激-反応系も逆転できて当然ということになる。たとえば、耳の鼓膜を発声用の膜に変えることができるはずだ。大脳の聴覚域で蝸牛管の神経を活性化すればいい。ひとことでいえば、想像できるどんな音でも聴覚的に──口からではなく──生みだせるはずなのだ!」
おわりに
このへんの「これからすげぇことが起こるぞー!」みたいな煽り立てるような演出がとても素晴らしいのである。さすがに70年前の作品なので今読んで誰もが楽しめるかといえばそうではないと思うけれども、SFを深く愛する人は間違いなく楽しめる一作だ。無論、現代のワイドスクリーン・バロックである草野原々作品のファンや、A・E・ヴァン・ヴォークト作品(『武器製造業者』などね)が好きな人にも。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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