基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『ゲームの王国』、小川哲による歴史×時間SF短篇集──『嘘と正典』

嘘と正典

嘘と正典

『なめらかな世界と、その敵』の伴名練を筆頭に今30代前半にはやたらと熱いSF作家が揃っているのだけれども、そのうちの一人がこの小川哲だ。デビュー作『ユートロニカのこちら側』の完成度の高さから期待値は高かったが、カンボジアを舞台に不安定な政治体制、虐殺などの歴史的事象とテクノロジーを組み合わせ、「ルールとはなにか」を問いかける『ゲームの王国』でその才能は本物だと証明してみせた。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
本書『嘘と正典』は、そんな小川哲による三作目にして初の短篇集である。収録作はSFマガジンに散発的に載った短篇が4つと、書き下ろしの表題作「嘘と正典」、Penに掲載の「最後の不良」の全6篇で、統一感はないかと思いきや実際には大半(少なくとも4篇)が歴史と時間についての物語であることが共通している。編集からのオーダーの結果かもしれないけれど、小川さんのスタイルが現実と地続きの世界からこの世界の常識、現実を突き崩していくものだから、そこからの必然かもしれない。

小川さんの書くものは歴史を踏まえ、現実に対する批評的言質が盛り込まれ、細部を積みかねていくという点で恐ろしく重厚なんだけれども、同時に鼻歌でも歌いながら書いてるんじゃないか、と思ってしまうような軽やかさもあって、本物の才能だと感じる。何にせよ、SFと特に限定せずとも極上におもしろい文芸短篇集なので、小説を好きだ、おもしろい短篇が読みたい、という人で本作を読まない手はない。

ざっと紹介する──魔術師

六篇なので、ざっと紹介してみよう。まずトップバッターは驚天動地の時間トリックが展開される、大マジシャンの物語である「魔術師」。これだけはKindleなどで無料で公開されているのでぜひ読んでもらいたいのだが、一言でいえば、この小説それ自体が稀代のタイムトラベル・マジックであり、傑作である。本当に凄い。

嘘と正典より「魔術師」無料配信版

嘘と正典より「魔術師」無料配信版

まず、『私の師匠であるマックス・ウォルトンは、ロサンジェルスの小さなパブではじめて会ったときにこう言いました。『マジシャンにはやってはいけないことが三つある。お前は知っているか?』と──』という書き出しで始まる冒頭8pの演出がずば抜けている。その禁則とは、「マジックを演じる前に、説明してはいけない」。「同じマジックを繰り返してはいけない。」「タネ明かしをしてはいけない」の三つ。

その説明を実例を通してしたうえで、マジシャンである竹村理道はすべて破り、なおかつ破る”必然性”のあるマジックをやってみせると宣言する。マジックの可能性を広げ、マジックには禁則などなく、すべてが可能なのだと証明するために。

「──つまり、説明し、繰り返し、タネ明かしをします。なぜならその行為が、私のマジックを成立させるために必要な手順だからです。しかもその上で、みなさまに、歴史上実演された、すべてのマジックを上回る驚きを与えると宣言します。私はマジックに挑戦します。そして私は、何も持たずアメリカへ渡ったころの過去の自分に挑戦します」

そこで理道が披露するのが「過去にいって、証拠の映像をとって、帰ってくる」というマジックで、実際に撮られた映像をみると理道が過去に行ったとしか思えない。どうやって成し遂げたのか。実際にタイムマシンがあるのか、トリックがあるのかだろうか。SF短篇集なのだからタイムマシンぐらいあるんだろう、と単純な思考に至らずに、ぜひ読みながらこれはタイムマシンがなくても実現可能か? と自分に問いかけながら読んでほしい。そういう意味ではこれは極上のミステリィでもある。

物語は理道の息子の語りで、このトリックを解き明かすよう進行していくが、このマジックについての語りはそのまんま「魔術師」という作品への言及としても読める。時間の糸とメタが入り乱れるかなり複雑な構成をとった短篇なのだけれども、解釈がいくつかのポイントで綺麗に分かれるようにフックが無数に仕込まれていて、ほとんど神業みたいな一品である。読めば最後、間違いなく最初から読み返すことになる。

ひとすじの光

続くのは競馬SF「ひとすじの光」。父を亡くした男が、父が残した一頭の競走馬「テンペスト」の歴史と、その血統を追っていくうちに、父や祖父が競走馬にどんな執念を燃やしていたのかを探り、連綿と続いていく血の繋がりについて思索を深めていくことになる。話のキイになっているのが京都大賞典で負け、すべてを失った「スペシャルウィーク」だっていうのがなあ……いいんだよなあ……最後まで読むとスペシャルウィークしかありえない! と、すべての結節点になっている構成もお見事。

時の扉

「時の扉」は、「過去」を、人間が自らの精神を参照したときに現前する仮象の存在であるとし、それを操作するのが「時の扉」でございますと慇懃無礼に語る何者かと、王と呼ばれる謎の男の対話形式で進展していく一篇。童話とみせかけて意識について、ナチスについて、無数の細部から驚きの情景が立ち上がってくる「時間」の物語であり──と無数の軸を錯綜させていく、短篇の旨味が凝縮された逸品だ。

ムジカ・ムンダーナ

取引が音楽でなされる(相手の持っているものがほしければ、相手の知らない音楽を演奏し、納得させなければならない)特殊な文化を持った島を舞台にした一篇。語り手であるダイガは、この島でもっとも裕福な男が所有していて、これまで一度も演奏されたことがないという幻の音楽を聴くためにここへやってきた。それには無論、彼自身がそれに見合うだけの音楽を演奏しなければいけないことでもあって──と、この特殊な設定から生まれる煮えたぎるような音楽の興奮が充溢した作品だ。

最後の不良

この「最後の不良」2018年以後に流行をやめようムーブメントが起こり、流行そのものが消滅した世界を舞台に、一人の男がヤンキーとして反旗を翻す物語だ。流行と、それを追いかける人々というのは確かに虚しい。虚しいが、それが生み出していた文化の側面もあるわけで、消えてゆくものへの郷愁に満ちた一篇である。

嘘と正典

書き下ろし作にして傑作揃いの本書短篇集の中でもその質とスケールのデカさが飛び抜けている、ド真ん中の時空×歴史SFだ。KGBとCIAがスパイ合戦をしている最中、CIAに情報を提供しているソ連側の研究者が過去へとメッセージを送ることのできる通信技術を発明してしまい、米ソの窮地を脱するため時空改変に着手する。

主題の一つは、「共産主義はマルクスかエンゲルスを消し去れば生まれることはないか?」という問いかけだ。たとえば、ニュートンがこの世に存在しなかったとしても、別の誰かが万有引力については発見したであろう。だが、ディケンズが書いた『オリバー・ツイスト』はディケンズがいなかったら誰にも書かれることはない。

では、「共産主義」は、万有引力かはたまた『オリバー・ツイスト』か? 作中で提出される答えとしては後者だ。エンゲルスがいなければダメ人間なマルクスは終わっていただろうし、その当のエンゲルスは実は共産党宣言を書く前、裁判で有罪になりかけ、オーストラリアへ島流しになっていてもおかしくはなかった。たまたまエンゲルスの無罪を証言する証人が現れたため、マルクスは島流しを免れたのだ。

はたして、共産党宣言をこの世界から消去することはできるのか? という軸とは別に、冒頭から《アンカー》、守られるべき《正典》、《正典の守護者》、《中継者》、《歴史戦争》と謎めいた単語を用いる、KGBやCIAらよりもさらに上位の認識を持つ者の語りも挿入されていて、「共産党宣言消去作戦」がこの未来まで含めた時空の中でどのような意味を持つのか──といったことが最後でスルスルスルっと組み上がっていくことになる。小川哲の真骨頂的な、細部まで作り込まれ・入り組み、歴史と密接に関わり合った重厚な建築物といった趣の傑作で、これも本当に凄い。

おわりに

どの作品も密度が圧巻で、どれも最後まで読み通したら「ええ!?」と驚いて、最初からもう一度読み直さずにはいられないようなこだわりに満ちた短篇揃いである。もはや小川哲という作家は時代に名を残すとか残さないとかでなく、どれほどの巨大な影響を残す作家なのかというスケール感の問題に移っているのではないかと、未だ見ぬ未来をついつい想像して勝手に期待してしまう才能なのだ。