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悪を科学で分析する──『悪について誰もが知るべき10の事実』

悪について誰もが知るべき10の事実

悪について誰もが知るべき10の事実

正義は人の数だけあるというが、悪についても同じことが言えるだろう。肉を食べるというだけで悪認定されることもあるだろうし、婚外子であるというだけで悪とされることもあるだろう。悪が何か、というのは結局のところ文化によって決定される。

本書はそうした「悪とは何なのか」に踏み込もうとする本であったり、悪について包括的に考えようとする本ではなく(そんなことを始めたら一冊では終わらないだろう)、「悪」とされた人、レイプ犯や殺人犯、人に対して攻撃的な言動をとる人間らを神経科学や脳科学、社会実験の数々を通してばらばらに分解し、「悪を理解しようとする」一冊である。「理解する」といっても注意しておきたいのは、これは悪の原因を脳内の構造や神経学に求めて、悪いやつらはもとから悪いのであって、自分たちとは違う、と切り離すような本ではないということだ。むしろ人間は誰しも悪事を犯す可能性があることを理解し、悪への共感を呼びかける内容になっている。

本書の目的は、情報を伝え、力を与えることだ。悪事につながるものを理解すれば、それと闘うことができるようになる。つまり、悪事をやめるように働きかけ、悪事を働こうとする自分自身の衝動と闘い、悪事をおこなった人たちの更生を支えられるようになる。しかし、自分がどんなものと立ち向かい、闘い、同情することになっても、互いから人間性を奪ってはいけない。

犯罪を犯しやすい脳がある?

読んでいて面白かった研究をいくつか紹介してみよう。たとえば、「悪」になるには生まれついての脳の構造が関係しているのではないか、という考えが古くからある。実際、殺人犯とサイコパスと診断された人に対しては前頭前野腹内側部(vmPFC)と呼ばれる部分の活動が低下している傾向があるという。その部分の活動が低下することで、道徳的判断に問題が発生して、犯罪やその他の社会的行動を行いやすくなる。

なるほど、じゃあ犯罪者はみんなそこの活動が低下しているのね──という安易な結論に飛びついてはいけない。vmPFCの活動が低下していない、いわゆる正常な脳活動の人間であってもいくらでも残虐な行為に手を出すし、活動が低下していたからといって必ず犯罪を犯すわけでもない。説明できる要因の一つであって、実際に殺人や暴力を振るうといった行為はひどく複雑な要素が絡み合った末に現れるものなのだ。

たとえば「挑戦的な仕事に向いた性格と忍耐力」調査研究の被験者を募集し、実際にある仕事に似せた4つの仕事からひとつを選ぶように求めた。清掃係などの普通の仕事に混じって、虫の駆除係があったのだけれども、この仕事は単なる虫の駆除ではなくて、虫がつぶれるバリバリという不快な音を立てるミルと、生きた虫を一匹ずつ入れたカップ三個が与えられるんだよね。そうとうゾッとする仕事なのだけれども、被験者の26.8%がこの仕事を選んで、さらに虫殺しを楽しんだと回答したのである。

他にも人間の攻撃衝動が血糖値と密接に関連しあっていたりと、少なくとも殺人の原因が「脳の神経学的差異」だけに求められるわけではないことははっきりしている。

精神障害を持つものは犯罪を犯しやすい?

もうひとつ、よくある噂の否定としては、「実は精神障害と犯罪の関連性は高くはない」というのもある。精神障害を持つ犯罪者を対称とした研究によると、精神疾患(統合失調症など)と犯罪の関係が認められるのは4%。双極性障害は10%。うつ病は3%だった。つまり、精神障害と犯罪の関連性は高くはない。そこで話は終わりではなく、実は統合失調症やうつ病の人たちは薬物を常用したり問題のある飲酒をする人の割合が多く、この薬物乱用・飲酒の問題が暴力の危険因子となっているのだ。

精神疾患を持たないが薬物乱用者ではある人々と比較しても危険性については類似が見られることから、精神障害だけで暴力的傾向を強く示すことはない。こういった事例/実験をきちんと紹介していくことのなにが重要かと言えば、精神障害を持っているから何をするかわからない、という根拠のない不安を解きほぐす役割があるからで、本書ではすべてにおいてこの態度(いわれなき「悪」の犯人とされがちな対象を解き明かすことで、何が本当の悪なのかを突き止める)が通底している。

荒らしは誰がやっているのか?

もうひとつおもしろかったのは、「荒らし」についての研究。ツイッターを見ていると無意味に攻撃的な人間の発言がしょっちゅう目に入ってくるのでつらくなってくるのだが、一体どのような人がそうした発言をしているのだろうか。実験ではまず、簡単なクイズを出す被験者群と難しいクイズを出す被験者群の二つに分け、前者には回答終了後に良い成績で平均以上だったと褒め、後者には成績が悪く平均以下だったと伝える。何がしたいのかといえば、後者の機嫌を悪くするためだ。

で、その後被験者たちはオンライン討論会に参加させられる。そこでわかったのは、当たり前だろ感もあるが、機嫌の悪い被験者は機嫌の良い被験者よりも場を荒らすコメントをするということだ。討論の際に別の人が書いた場を荒らすコメントを読まされると、その傾向はより顕著になったという。『機嫌が悪い状態で否定的な文章を読まされた被験者の投稿のうち、六八パーセントが場を荒らすもので、それは機嫌がよい状態で肯定的な文章を読まされた被験者(三五パーセント)のほぼ二倍だった。』

要するに、ネットで攻撃的な言動をとっている人はやたらと機嫌が悪い、あるいは同時に同じような荒らしコメントを読みまくった後なのかもしれない。とはいえ──『誰でもオンラインでは嫌な人間になる可能性があるからといって、それが正当化されるわけではない。もしあなたがオフラインで嫌な奴でなければ、オンラインでもそんな奴になってはいけない。』というのも当たり前のことだ。著者はその方法として、オンラインで交流する相手の顔(想像上のものでもいい)を思い浮かべること、オンラインで投稿する時は、それがいつか法廷で陳述書として読み上げられと考えるべきだ、と二つの方法を語っている。シンプルだが、役に立つ助言であると思う。

僕もネットで誰か特定の人物や団体に関連する意見を書く時は、それをその相手が目の前にいても読み上げて問題ないか、と考えている。その思考のワンクッションを置くだけで、相手を人間と捉えられ、無意味な攻撃性はだいぶ抑制される。

おわりに

本書の内容のごく一部を紹介したが、他にも無数の問いかけがなされる。小児性愛者であることは生まれつきか。そうであるとして、何が犯罪者との境目を分けるのか。児童ポルノを見ている小児性愛者は、実際の性的虐待につながるのか(念の為書いておくと、繋がらない。児童ポルノ消費は小児・思春期性愛者であることを示す強力な指標ではあるが、被害者に共感できる人が子どもに性的虐待を加えることはまずない)、スタンフォード監獄実験などを通して、『人間を悪とみなすのは怠慢である。』からはじまる、悪について誰もが知るべき10の事実に至ってみせる。

「誰しも悪事を働く可能性がある」という著者の主張に寄せるため、論拠の並べ方が恣意的であったり、強引な部分があってその点については注意が必要だけれども、根拠となる論文は明らかにされているし、紹介されている研究自体はまっとうなものだ。というわけで、悪について考え直したい人にはぜひおすすめしたい一冊である。

ちなみに著者は下記の本も書いていて、こっちもオススメです。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp