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奇想からSFまで、尽きぬアイディアに支えられた極上の超短篇集──『銀河の果ての落とし穴』

銀河の果ての落とし穴

銀河の果ての落とし穴

この『銀河の果ての落とし穴』は、イスラエル生まれの作家エトガル・ケレットによる短篇集である。正直「なんか書名がSFっぽいな〜〜〜」ぐらいの興味で買ったのだけれども、これが大当たりだった。ほとんどは2〜8ページぐらいのごく短い超短篇なのだが、それゆえにこそどれも人生にほんの一瞬だけ現れる特別な感情を丁寧に掬い上げていくものばかりで、読み進めていくたびにのめり込んでいった。

題材も奇想的なものからSF的なもの、その組み合わせに自身の出自とも関連したホロコースト物など多岐多様。尽きぬアイディアの魅力もあって、端的にいって短篇集として破格の出来である。超短篇という性質上あんまり中身自体は紹介しづらいんだけど(あっという間にオチまでいってしまう。まあ、オチ自体は重要でないものが多いのだけど)、いくつかおもしろかったものを紹介してみよう。

ざっと紹介する。

トップバッターは「前の前の回におれが大砲からブッ放されたとき」。凄いタイトルだがそのまんまの意味で、ショーの演目の一つである人間大砲に乗る予定の演者が酔っ払っているので急遽引っ張り出してきた孤独な男が大砲でブッ放されてしまうというだけの話である。とはいえ、『人間大砲になるために身体のキレも、しなやかさも、タフさもいらない。ただ孤独でみじめなだけで十分だ』といわれ、妻と息子に逃げられたまさに孤独でみじめな男が「孤独じゃない」と反抗しながら人間大砲になるために向かっていく、そのあわい精神のゆらぎがとても染みる一篇なのである。

続けて紹介したいのは「一グラムのつぼみ」。これもまた大した話ではなくて、自分の家の隣に住んでいるカフェで働いている、かわいいウェイトレスを口説きたくて、でもそのまま誘うのは恥ずかしいから、ドラッグ好きらしいという噂を聞きつけて「ハッパを吸おう」と持ちかけようとするせせこましい男の話である。映画に誘ったら完全に告白してるみたいなものだし、ハッパなら断られても二人の関係は変わらずに続くから──みたいなせせこましい考えには共感しかない。

彼はハッパを持っていなくて、癌のため医療用大麻を所持している弁護士に押しかける。そこで持ちかけられたのは、大麻と引き換えに、少女を轢き殺した金持ちのアラブ人の法廷で、少女の親戚のふりをして「人殺し」と叫んでほしいという依頼だった。悪人に人殺しと叫ぶのは別に違法ではない。でも、彼は弱い男だ。えー嘘がバレたら嫌だし……と葛藤するのだが、その弁護士の元に連れて行ってくれた女の子にケツをひっぱたかれて法廷に赴き、そこでめちゃくちゃなことになることで、彼がヤケクソ的な勇気を得ていく──という流れが、小さいんだけれどもとても美しいんだ。

奇想系としては、金が有り余り欲しい物がなくなったが、人の誕生日を買う(プレゼントやお祝いのメッセージを全部送ってもらう)楽しみを覚え、「法事の日も買い取れるんじゃないか?」と発想が転がっていく「毎日が誕生日」が素晴らしい。あと、金持ちの女が物乞いに金を渡すことに快感を覚え、物乞いの位置を共有する位置情報サービスをつくったら大ヒットしてザッカーバーグが買収しにくる「GooDeed」も「いやさすがにザッカーバーグはこないやろ」と思うが妙なリアリティがある。

ホロコースト物について

続くは表題作でもある「銀河の果ての落とし穴」。天文学と物理学の要素を含んだ脱出ゲーム「銀河の果ての落とし穴」に対して男が参加を希望するのだが、その日はホロコースト記念日のためにお休みですというメールの返信が帰ってくる。

普通ならはいそうですか、で終わる話なのだが、男は「その日だからこそ、この脱出ゲームをやりたいのだ」と一歩もひかず、平行線のやり取りが続くうちに両者の家系が明らかとなり、ある種の「被害者性」を盾にとった脅迫が行われていき──といった形で、異なる二つの視点からホロコーストが語られていくことになる。さらには、それらを上位から眺める視点もあって、物語は最終的にSFとしてに回収されゆく。

ホロコースト物は他にも、ホロコースト記念館のこども館で、カップルが堕胎についての問答を繰り広げる「ホロコースト記念館」。十倍の速度で成長する代わりに知識などの吸収効率も跳ね上がる奇病に犯された子どもたちの生活を綴っていくうちに、ホロコーストと関連した意外な事実が明らかになる「タブラ・ラーサ」が収録されているが、それは著者の両親が実際にホロコースト体験者であることと関係している。

おわりに

SFっぽいものとしては、記憶を失った男が窓のない部屋で庭の投影映像アプリケーションを起動するうちにその中に黒髪の女性を発見し共同生活が始まるホラーSF譚「窓」。危険な任務に従事するオーバー14部隊に所属した兵士の動機は愛国心でも金でもなく実はレアなピトモンをゲットするためで──とトランプ政権後のアメリカとポケモン的なゲームで変質した世界を描き出す「フリザードン」あたりがいい。

本書収録作にはパパがウサギに姿を変えた(母親は、父親は出ていったといいなさい、という)と言い張る少女の物語の物語「父方はうさぎちゃん」など、「どこからそんな着想が沸いて出たんだろう」と思うものばかりだ。でもそれが確実に僕のような「見えも張れば努力もできず、人に対して完全な善人になれない弱さを抱えた人間」の弱さや苦しみに接近していて、実際にそんな経験はないにもかかわらず、「そういえばこんな記憶があった気がする」とつい思ってしまう作品が多いのだよね。