基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

技術がもたらした価値観の変容が事件へと密接に関わってくるSFミステリ短篇集──『ベーシックインカム』

ベーシックインカム

ベーシックインカム

ベーシックインカムと言うと、普通は全国民に一律3万なり10万なりといった一定額を定期的に振り込み続ける、最低給付保障をさす言葉である。僕もつい先日これについての記事を書いたばかりだが、本記事で取り扱う『ベーシックインカム』は、森博嗣、西尾維新、清涼院流水ラインの最先端ミステリ『その可能性はすでに考えた』などで知られる井上真偽の最新作にして、SFミステリ連作短篇集である。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
僕もこの作品は圧倒的なキャラの強さ、推理における演出のトンデモさとそれを支えるロジックの鮮やかさで大いに楽しませてもらった。そうはいっても、SFミステリはどうじゃろか……と思いながら読んだけれども、これがきちんとおもしろい。短篇はどれもサクッと読み終わる分量でありながら、「謎の解決」というミステリな驚きと、「未来の技術によってほとんど意識もせぬままに変容した世界」による二つの驚きが与えられる構成になっていて、端的にいって抜群にうまいのだ。

そのうえ、各事件の謎解きにもそうした技術が関わってきて、さらにさらに最後の短篇である表題作「ベーシックインカム」がそれを上回る三度四度の驚きが……と言い出すとあっという間にネタを割りたくなってしまうのでこんなところでやめておくが、ま、ようはおもしろいわけである。ネタを割るわけにもいかないので、以下各短篇について軽く取り上げられていく技術などを紹介してみよう。

各短篇を紹介していく。

トップバッターは「言の葉の子ら」。言語学に堪能なエレナ先生を語り手として、ちょっと乱暴な保育園の男の子の秘すべきトラブルが、男の子がもらした僅かな言葉からするすると解かれていく。冒頭から最初の謎解きまではSF要素はなくて、はてさて、これはまた随分普通な話だな……と思っていると、後半自然言語処理をとっかかりにした謎解きが行われた後、不意打ちのようにして「この世界の人は誰も不思議には思っていない」事実が明らかにされ、読者に対する驚きが提示されることになる。

続く「存在しないゼロ」は、豪雪地帯に取り残された家族、一人死んだ父親、切断された父親の右腕の謎──と「本格っぽい始まり方」をして、事件も順当に解決されていく。だが、この事件の背景、謎にはこの近未来ならではの価値観の変容が密接に関わっていて──と、事件の謎と同時に(我々読者からすると)登場人物らの不可解な反応それ自体に驚く構成に繋がっていく。技術的には遺伝子工学に関連する一篇だ。

「もう一度、君と」は全身没入型人工現実体験装置を用いたVR物の一篇。語り手の奥さんはこの装置を使って怪談体験「飴乞幽霊」を観たあと忽然と失踪してしまうのだが、語り手がその答えを求めて幾度も「飴乞幽霊」を体験するうちにある答えにたどり着く。読み終えてわかるのだが短篇の題がまず抜群にうまいし、VRというギミックをうまく使って二重三重に切ない恋愛譚になっている、素敵な一篇だ。

四篇目「目に見えない愛情」は目の見えない娘とその世話をする父親の心温まるやりとりを描いたエンハンスメント物。この世界では目の網膜を人工的に作ってしまう手術が受けられるのだが、依然高額な費用がかかる。それが調達できると父親がいった直後に、それを翻さざるを得ない事件が起こって──となぜそんなことが起こってしまったのかの謎解きが行われていくわけだけれども、これもまたその謎解きのあとにくる、「目が見えないからこそ成立する愛情」オチがいいんだよなあ……。

これまでの四篇を振り返ると、「存在しないゼロ」は問題提起的だが、基本的に各技術がもたらしてくれる「明るい側面」に焦点を絞っていて、SFミステリとしての後味がいいんだよね。まあそもそもほぼ人が死なないし。で、その後味の圧倒的な良さがある意味では最後にくる「ベーシックインカム」への布石になっている。

この「ベーシックインカム」はまさに最後の短篇らしく、それまでの四篇のような作品を書いたことが対話の中で明かされる作家が語り手となって(つまり、一時的に作中作のような扱いになる)研究室の金庫から研究費を盗まれた教授と、それがどのように盗まれたのかの推理合戦が繰り広げられることになる。その謎解き/事件にはAI、遺伝子操作、人工現実、人間強化と語り手がそれまで描いてきた技術が総動員されていて──、そしてある意味ではそれまでの作品が「反転」することになる。

おわりに

四篇目までは「おお、まあまあおもしろいじゃん!」ぐらいのテンションで足をぶらぶらさせながら読んでいたんだけれども表題作まで読んでウオオオオこれはうまいどころじゃねえ!!! と思わず足に力を入れ直してガッツポーズしてしまった。250ページぐらいのわりと短めの本なので、サクッと楽しみたい方にオススメである。