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汚職についての詳細なメカニズムを解き明かしていく一冊──『コラプション:なぜ汚職は起こるのか』

コラプション:なぜ汚職は起こるのか
いったいなぜ汚職が起こるのか、と言われても、それが発生する人間心理についてはそう不可思議な点はない。乱用できる権力があり、さらにそれを振りかざすことで利益が手に入るのであれば、そうすることもあるだろう、と容易く想像できてしまう。

「やるだろうな」と想像できる一方で、賄賂を受け取ることによるリスクがある時、賄賂をためらうこともある。たとえば、日本で交通違反で止められたからといって警官に賄賂を渡して見逃してもらおうとする人は多くはない。それは、少なくとも日本においてはそうした汚職を実行することで自分がまずい状況に陥ることが想像できるからだ。汚職に手を出すかどうかには、リスクと利益の均衡が関わってくる。

本書は、そうした汚職についてのより詳細なメカニズムを解き明かしていく一冊である。取り上げられていく話題としては、たとえば、民主主義の国と専制主義の国では、汚職の割合が高いのどちらか? 公務員の給料をあげれば、汚職の割合は減るか? 汚職が存在することは、本当に国家、国民にとってよくないことなのか? などいくつもの疑問に一定の答えが出されるだけではなく、汚職を減らすためにはどうしたらいいのか、という思考の枠組みも提供される。これがおもしろい。

そもそも汚職って悪いことなの?

そもそも汚職は本質的に悪いことなのだろうか? 規制を逃れたり、金を払って特別な融通をきかせてもらうことは、実は社会の流れを円滑にしているのではないか? 

そんなバカなと思うかもしれないが、半世紀前まではこうした考えを示す、「効率的汚職」という見解が存在していた。が、この考えについては、今では様々な事例研究とミクロ経済学的な証拠によって完全に反論されている。たとえば、守るに値しない規制をすり抜け効率的にすることも賄賂の役割だ、というのは効率的汚職派の主要な言い分だったが、実際には賄賂が存在するから規制が増えている側面もある。

汚職が決定的に人命を損なっていることを示す研究もある。たとえば、政治的人脈が豊富な重役がいる会社ほど、人脈の利用や贈賄によって安全規制を逃れているのではないか? という仮説がある。言われてみればそうかもなと言う感じだ。そこで、労働環境の安全が重要な業界(建築、鉱業、化学)276社についてデータを収集し、人脈を持たない企業の、労災死亡の比率を比較した。すると『最も控えめに見積もっても、労災による死亡率は政治的人脈を持つ企業のほうが2倍以上高かったのだ。』

これよりも最悪な汚職もある。天然資源が汚職で取引に用いられてしまうケースだ。国際社会は熱帯雨林の消失を懸念しているから、大抵の場合樹木の伐採は厳しく規制されている。だが、そこで規制当局が賄賂を受け取ってしまうと、汚職が急速な環境破壊を促すことになる。カメルーンの官僚は、違法な伐採業者から受け取る賄賂で、給料と同じくらいの金額を稼いでいるという。こいつの汚職で、地球がやばい。

どのような傾向の国で汚職が起こりやすいの?

意外ではないが、国家レベルの富と汚職には相関がある。たとえば1人当たりGDPと、トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数との散布図をみると、最も腐敗していない国はフィンランド(1人当たりGDPは5万$)、デンマーク(6万$)、ニュージーランド(4万$)。一方で腐敗が激しいのはアフガニスタン(659$)、スーダン(1876$)とその結果は明白だ。高所得国は全般的に腐敗度が低い。

高所得の何が腐敗を減らしているのだろうか? いくつかあるが、まず一つは十分な給料をもらっていればリスクをおかして賄賂を受け取る必要がなくなる、という単純な考えがある。アメリカでは1820年ー1900年の間に国民1人当たり所得が7倍に増加したが、増大した中産階級が票の買収に応じなくなった。さらに、経済的に繁栄した国では、監視カメラや経理の増員、チェック機構などによって、汚職を減らすためのテクノロジー、仕組みにお金を費やすことができるようになる。

とはいえ、汚職というのは金をかけたからといってそう簡単になくなるものでもない。その理由の一つは、汚職には密接にその国や都市の文化と関わっているからだ。たとえば、冒頭でも紹介したスピード違反で停止を命じられた運転手のケースで考えると、賄賂を支払って見逃してもらえるかどうかは警官個人の性質の問題ではなく、運転手が住んでいるのが腐敗度の高い国か否かにかかっている。賄賂が常習化している国ならば賄賂を渡せば見逃してもらえる可能性が高いが、その逆も然りである。

周囲がみんな当たり前のように賄賂を渡す社会で、汚職は良くないことだと思っていても、自分だけは渡さない/受け取らないという選択をするのは難しい。『もし汚職文化を社会的均衡と考え、他人がどうふるまうかについての相互に一貫した信念だとするなら、自分が汚職に賛成か反対かはどうでもいい。自分の行動は、他のみんながどうふるまうかに依存する』本書でもニューヨーク市警察で汚職に手を出すことを拒否し、上層部に上申した男が仲間の不興を買い殺された事件が紹介されている。

つまるところ、汚職をなんとかしたければ一人がどうこうするというよりかは、全員の相互の期待、信念を一気に変えなくてはならないのである。これが難しい。

どうやって汚職をなくしていけばいいのか。

みんなの期待を変えるったってどうすりゃいいのよ、というのが正直なところだが、本書ではいくつもの手法が検討されていく(公務員の給料を上げるとか。公務員給与と汚職の相関はマイナス。)ので、そのへんは読んで確かめてみてもらいたいところ。

ただ、銀の弾丸があるはずもなく、政府支出の監視、署名活動、継続的なデモなどの地道な活動と、1人当たりGDPの増加を目指していく他ない。それでも、本書は「どんな地道な活動が効果をあげるのか」「どのようにして汚職は起こるのか」について実証的な研究を多くあげ、均衡の観点から解説しているので、オススメである。