基本読書

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アジアの各国でBLはどのように受容されているのか?──『BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー』

この『BLが開く扉』はアメリカ生まれで現在神奈川大学の外国語学部の教授をつとめるジェームズ・ウェルカー編集による、アジアの文脈におけるBLの受容のあり方をめぐる論考を集めたアンソロジーだ。僕はBLの愛好家というわけではないが、BL作品が文化や読み手にどのような影響を与えるのか、また現代のフェミニズム的な思想、文脈からBL(や百合)的な作品がどのような意味を持っているのかは気になっていて、その流れで本書も手にとったわけだけれども、これは大変勉強になった。

たとえば、「BLとスラッシュのはざまで 現代中国の「耽美」フィクション、文化越境的媒介、変化するジェンダー規範」と題された論考では、シュウ・ヤンルイとヤン・リンによって中国の耽美と呼ばれる男性同士の恋愛物語をまとめたジャンル名称、西洋のスラッシュ・フィクション、日本のBLと一つの箱にまとめられがちな三つがそれぞれどう異なっているのかが(歴史的経緯などの観点から)語られていく。

続く、「フェミニズムの時代、BLの意味を問い直す 二〇一〇年代韓国のインターネットにおける脱BL言説をめぐって」では、キム・ヒョジンにより「韓国でのBL受容の歴史と現在、またなぜ今韓国で脱BLという動きが議論されているのか」が紹介され、タイ、台湾、インド、インドネシアといった国々でのBLの取り扱われ方をめぐる論考が続いていく。BLの受容なんてどこも同じと思うかもしれないが、これが全然文化のあり方や宗教観によって変わってくるんだよね。まずそれが面白い。

国ごとの受容の違い

韓国では、フェミニズムと関連して脱BLの動きがおこっている。これはBLを嫌悪する男性らから起こっている運動ではなく、若いの女性たちが中心となっていて、その論点は主に次の3つであるという。(1)ゲイとゲイ・セックスに対する嫌悪。(2)攻/受関係は挿入権力を中心にしていて、現実の男女における権力関係を強化するものである。(3)BLとは根本的に女性キャラクタを排除するジャンルである。

1は(実質ゲイとゲイ・セックスに対する嫌悪であるため)ともかく2、3にはそれなりのロジックがある。たとえば3の女性の排除批判については、BLは男だらけのジャンルであり、女性キャラクタは良い役が与えられるわけではなく、女性性が排除されている他のコンテンツと等しく女性とフェミニズムへの悪影響であり、積極的に女性が好むジャンルであることを考えるとより危険性が高い──というロジックなのだ。

他にも、インドネシアでは国の道徳に大きな影響を与えているイスラーム、あるいはキリスト教が同性愛に否定的なために、反LGBT言説が蔓延している。だが、そんな国にもBLは存在する、正式な流通で商業出版されることはないが、ファン自らによる翻訳やアマチュアクリエイターのコンベンションを通して広がっているという。

おもしろいのが、インドネシアのような国にとってはBLが自分たちの価値観とあまりにも異なるものであるために人々がそれに気づかない可能性があるという。『そのため、カニア・アリニ・スコチョの言葉を借りれば「丸見えなのに隠れている」ことが可能なくらい、社会の大多数にとって遠い存在であり続けることができるのだ』

さらに興味深いこととして、幼少期から価値観が醸成されていることもあってか、BL内での同性愛は楽しんでも現実の同性愛は嫌悪している、あるいは受け入れない人たちが多いようだ。『一〇代の頃は同性愛について考えたこともあまりなかったかもしれないこれらのファンたちだが、インドネシア社会は同性愛を許容しないということに意義を唱える者はいなかった。』このような社会では、そもそもBLに触れるまで同性愛というものが存在することを知りさえしないのだという。

BLとリアルの混交

本書の特徴の一つはBLというフィクションを扱うものと現実のゲイや同性愛に関する現象を接続して語っていくことだ。たとえば、BLのみならず「東京・新宿のゲイ・シーンにおける出会いと「多様性」」というリアルなゲイ・シーンを紹介する論考も間に挟まれていたり、中国の耽美でBLを知り、日本のゲイへと性的な興味を抱いた7名の中国男性を通してBLと現実への憧れ、そのズレを描き出す論考トーマス・ボーディネットの「憧れの世界を読み取る」など多様である。

一方で、日本にはBLと現実のゲイ男性との分断があるという指摘も多々ある。

 注目されるのは、日本においては現実のゲイ男性の存在とBL等の創作物とが分断されており、その対立が不可避であるように見えるのに対し、台湾だけでなく、たとえばアメリカにおいても、二〇一五年から始まったQueer & Comics、ブルックリンで開催されるFlame-Con、ニュージャージーで開催されるNiji-conなどのように、現実のLGBTとBLファンが共に楽しむイベントが少なくないことである。中国語圏では、現実の同性愛者を支持しない腐女子は「偽腐」(偽物の腐女子)だという言葉もあるという。

上記は藤本由香里「『おっさんずラブ』という分岐点」と題された論考で、現実のLGBTを意識した作品(『おっさんずラブ』など)を例にあげ次第にその分断も埋まっていくのではないかという文脈の中にある言説だが、確かになと思わされる。

おわりに

最後になるが、本書の元になっているのは2017年に神奈川大学で行われた「クィアな変容・変貌・変化──アジアにおけるボーイズラブ(BL)メディアに関する国際シンポジウム」である。そこで世界中から集った20人以上の研究者たちによる議論がそのまま本書の内容に繋がっている。個人的には、世界でこんなにBLが受容されているのもそうだし、そんなに何十人も研究者がいる/集まることも驚きだった。

BLとは、無論まず第一に娯楽であり、時に現実逃避の手段でもあるが、同時にジェンダーの問題に対する意識を喚起し、LGBT(Q)が住みやすい世界を繋がるのではないか──と、本書はそうしたBLの可能性を(批判も多角的に検討しながら)みせてくれるものになっている。