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韓国の注目の女性作家チョン・ソヨンによるSF・幻想系を中心に集めた極上のSF短篇集──『となりのヨンヒさん』

となりのヨンヒさん

となりのヨンヒさん

この『となりのヨンヒさん』は韓国の注目の女性作家チョン・ソヨンによるSF・幻想系を中心に集めたSF短篇集。こういっちゃあなんだけど「となりのヨンヒさん」というのはそそられるところのないタイトルだ。他の短篇も「養子縁組」、「デザート」、「帰宅」、「雨上がり」とかそっけないワンワードのものばかり。

なので、事前予想としてはうーん、なんともいえないけどめっちゃつまらなそうだなあと思っていたんだけど、実際に読み始めてみれば、日常の風景や違和感がSF的事象や幻想的事象の介在によって増幅される丁寧丁寧丁寧な短篇集で、夢中になってあっという間に読んでしまった。各題からも「文学寄りなのかなあ」と思いきや伴名練の「なめらかな世界と、その敵」的な「アリスのティータイム」であったり、多くの作品で宇宙人や地球外が舞台になっているなど、けっこうガッツリSFしている。

というわけでざっと紹介していこう。収められている短篇は全十五篇で、後半の第二部にあたる四篇はすべて同じ宇宙・世界を舞台にしている。まったく人間と異なる異星生命体であったり、地球外が舞台になったりすることが多々あるが、そこで描かれるは「理解できない他者」と時間を過ごすことであったり、自分の夢を諦めることのつらさであったりといった普遍的な感情や葛藤である。フェミニズムSF小説の翻訳も(著者が)行っていることもあって、そうした観点から捉えられる作品も多い。

ざっと紹介する。

トップを飾るのは「デザート」という短篇。彼氏のことをいつも「プリン」とか「ヨウカン」とか「アイスクリーム」とかにたとえる女性K氏についての物語で、これが最初は単なる比喩かと思いきや、彼女には実際に彼氏がそのように見えているようで──と人とズレた世界認識を持つ苦悩や葛藤が描かれ、その話を聞かされているK氏の友人は何に見えているのかという鮮やかなオチなど、短くも満足感の残る一篇。

続くのは囲碁のプロ棋士武宮正樹の棋風を題にとった「宇宙流」。囲碁と宇宙に耽溺した女性が、囲碁の比喩を用いながらもひたすらに宇宙への夢を語り、宇宙飛行士になるために努力を重ねていく一篇。だが、夢を掴みかけたそのとき、彼女は事故によって足を失ってしまう。はたして彼女はそこから再度夢に向かうことができるのか。そもそも、夢に向かうことは幸せなのだろうか。『──集中しなければ、囲碁も人生もうまくいかない。傲慢になれば道に迷う。碁盤が、すなわち宇宙なのよ。』

「アリスとのティータイム」は本書の中で僕の最も好きな一篇。この世界では元の世界から近しい並行世界に移動することができ、そこから技術や治療法を持ち帰る仕事をするものがいる。国防省に勤務する私は、七四番目の世界の扉を開け、そこで──自殺をすることのなかったアリス・シェルドン(『たったひとつの冴えたやりかた』などで知られる作家、ティプトリー・Jrの本名。アルツハイマー病で死に向かっていた夫を銃で殺し、自身も自殺した。)と出会い、対話を重ねていく。

ティプトリー・Jrにありえたかもしれない可能性を幻視し、同時に彼女が最高の作家であったことは疑う余地もない事実であったという確かな確信を得る一篇である。

人間に擬態できるエイリアン(ペア人)が人間社会に溶け込んでいる状況を描く「養子縁組」は、一人のペア人の視点から語られていく。異質な存在として人間社会で暮らす苦闘(ペア人は人間より何十倍も長生きなので、普通に生活していると擬態がバレてしまう)、ペア人であることを隠しながらはぐくむ、人間の女性との友人関係、決して理解しあえない異質な存在同士が、それでも手を取り合える可能性についての物語だ。この読後感やテーマは、自分のマンションの隣に異質なエイリアンであるヨンヒさんが住んでいる日常を描く表題作「となりのヨンヒさん」とも共通している。

本書には他にも、地球が戦争によって壊滅的な打撃を受けて火星に移住し、その後長らく会ったこともなかった姉と再会する「帰宅」など、異なる文化や認識で育った者同士の邂逅・接触が無数に描かれていくけれど、その細やかな質感がなあ……いいんだよなあ……。完全に理解しきれないわけではないけれども、確かに異質なのだという描き方がったりが。たとえば、下記は「となりのヨンヒさん」からの一節。

 彼は部屋の真ん中に立って、絵をじっと見つめていた。その姿を見て、スジョンは最初に彼を見た時になぜひどくあわてたのかが、はっきりわかった。見た目が変わっているせいではない。奇怪ではあるけれど、彼らの姿は写真やテレビですでに見慣れている。本当の理由は、視線がどこに向いているか見当がつかないということだ。しかし今、彼は確かに絵を見ている。どこまでが顔で、その中でもどこが眼なのかよくわからないが、視線が絵に向いていることだけは確かだ。

他、おもしろかったのは、情報網を政府が管理することへ抵抗し、検閲のない無線情報網を全国に張り巡らせようとして逮捕された姉への愛憎入り交じった感情が語られていく「開花」。身体が個人差のある形で次第にサイボーグへと置き換わっていき、世界の見え方、捉え方が徐々に変わっていく実感をじわりと描き出す「跳躍」あたりはたいへんにおもしろかった。一方で、後半の第二部はそこまででもないかな。

おわりに

朝鮮戦争であったり、過酷な競争社会的な側面など、韓国の歴史や文化的な側面が各短篇の中に織り込まれているように読めるのも(韓国作家の作品として)おもしろいところ。とはいえ、単純にSFとして、文学としておもしろい短篇集なのはまちがいので、ぜひてにとってもらいたいところである。