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全長一マイルにも及ぶ巨大な竜がかつて支配した町を描き出す、至高のドラゴン・ファンタジィ──『タボリンの鱗』

タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集 (竹書房文庫)

タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集 (竹書房文庫)

この『タボリンの鱗』は全長1.6kmにも及ぶ巨大な竜をめぐるファンタジィ奇譚が集まった中短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』に続く第二中短篇集である。同じ世界観を共有した第二短篇集とはいえ、話はすべて独立しているのでこちらから読んでも、問題はない。こちらには表題作でもある「タボリンの鱗」と「スカル」の中篇ふたつが収録されているが、第一短篇集に引き続きこちらも極上の出来だ。
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第一短篇集と合わせて、僕はこの竜のグリオールシリーズはすべてのファンタジィの中でもベスト3のどこかに位置づけてもいいぐらい好きだ。竜という、誰もが憧れと畏怖を抱く存在を丹念に描き出し、それらが本当に日常の中に溶け込んでいるかのようにリアルに錯覚させてみせる。たとえば、第一短篇集の表題作「竜のグリオールに絵を描いた男」は全長1マイルに及ぶ竜のグリオールをいかにして殺すのかという、竜殺しの物語だ。グリオールは数千年前に魔法使いの攻撃を受け、身動きができなくなったまま街の中に鎮座しているのだが、竜という超常的な存在で、精神干渉能力もあるようで、周囲の人間はその影響を大なり小なり受けるとされている。

そうした害悪が想定されているので、グリオールを殺したものには大量の報奨金が与えられる。だが、そうはいってもでかくてタフいので普通のやり方では殺せない。しかも依然として超大な力を持っているとみられている。そこで考案されたのが、グリオールの体に絵をぬるとみせかけて、絵の具に毒を塗り込んで、毒殺しようという作戦である。本作の、というよりルーシャス・シェパードの筆致のおもしろいところは、そうした作戦の日常的な側面を丹念にとりあげていくところだ。

たとえば巨大な竜に絵を塗るには、昇降機や梯子も必要だし、膨大な人員も必要だ。絵の具をどうやって作成するのか、原料をどうやって採取すればいいのか、事故にはどう対応すれば良いのか。途中で感づかれないためには本気の芸術作品として仕上げる必要もあり、1週間や2週間で終わるようなものではなくて、4、50年の歳月を見込んだ日常のプロジェクトとして描かれていくのだ。誰か偉大な英雄が現れてグリオールの首を切り離すような夢物語は存在せず、人間が叶うはずもない巨大な存在に、数十年といった長い年月をかけて対抗するのだという、”現実感”がここにはある。

タボリンの鱗

と、そのあたりの話が展開する第一短篇集に対して第二短篇集は「絵を描いた男」以後、グリオールが死んだ(とされた)後の話である。とはいえ、その影響力は(シリーズ名に竜のグリオールシリーズと付いているように)失われていない。たとえば第二短篇集の表題作「タボリンの鱗」では、死んだとはいっても、千年に一度しか心臓が脈を打たないような生物が死んだかどうか、人間に判断できるのか? 眼はつぶっているが、ひょっとしたら昏睡状態に陥っているだけなのではないか? 下手に触るとまた動き出すのでは? と、そもそも死んだかどうかの議論がかわされていく。

また、そこまでの影響力が大きくなったらグリオールのことを神聖視するものも現れてくる。たとえば、彼の肉体は死んだのかもしれないが、それは大地と一体化しているとか、思考は漂い、精神はこの世界を雲のようにおおっているとか。彼は依然としてその周囲の人間の人生を操っていたり、運命をしっているのではないか──と。

「タボリンの鱗」ではそれを証明するかのようにして、グリオールの鱗をなでた一人の男と娼婦が過去にタイムスリップし、まだ壮健で空も飛べれば火も吐けたグリオールとの邂逅を果たす。平原で二人の人間は決死のサバイバルを経、タイムスリップ前へと帰還するのだが、その後に訪れる、世界の終わりに至るかのようなグリオールの暴走と街の崩壊の描写、カタストロフィックな情景は、あまりにも荘厳で美しい。

スカル

続く「スカル」は「タボリンの鱗」よりさらに後の物語だ。グリオールはとっくに死んでいて、その肉や内臓は様々な形で保存され、粉末にされた薬として各地で売られ、グリオールの頭蓋骨がテマラグア(メキシコの南にある国であるグアマテラのアナグラム)に運ばれる。その頭蓋骨にはまだ周囲への影響力が残っていると思われており──と、グリオールを神聖化し、信仰する人々の物語が語られていく。

たとえばある人物は、グリオールについて『何千年ものあいだ、彼はテオシンテの平原に横たわっていた。その精神は雲のように広がってこの惑星を包み込み、われわれの人生のあらゆる側面をあやつっているのだ』、そして、いまは生まれ変わって卓越した地位を取り戻すために、信仰者たちを動かしているという。そうした活動がテラマグアで行われているというのが重要で、不都合なことを隠そうとせずに武力で押し通そうとする政府、残虐行為、貧困、不正がはびこり、常に変化に晒されているこの不安定な社会そのものが、グリオールの再生をめぐる物語と共に描かれていく。

おわりに

「タボリンの鱗」では、タイムスリップした場所で紡がれる疑似家族を作り上げる過程や、シリーズ随一の崩壊の美学が。「スカル」ではより我々の住まうこの現実に寄せた舞台へと移して、ドラゴンの影響力の存在する世界での政治劇がそれぞれ展開しているように、短篇ごとにまったく別方向に向かっているのがおもしろい。

どの短篇も死と破壊のイメージが満ちているが、その美しさや恐ろしさの種類も異なるんだよね(「スカル」の終盤に訪れる、凄惨な暴力シーンも、「タボリンの鱗」で描かれたものと性質の異なる暴力性で素晴らしいのだ)。第一短篇集とあわせて、竜が存在する世界に思いを馳せずにはいられない人には是非読んでいただきたい。

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)