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物理学と進化生物学のあいだに存在するつながりを解明する──『生命進化の物理法則』

生命進化の物理法則

生命進化の物理法則

二〇一九年は、地球に存在する生物の動きと形は、この宇宙に普遍的に存在する物理法則から必然的に収斂するものであることを科学的に紹介するマット・ウィルキンソン『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年』。

動きや形よりもマクロな形として、はたして歴史を最初から繰り返した時に、今と同じような形と生態を持つ生物が生まれるのか? を進化生物学的な観点から解き明かしたジョナサン・B・ロソス『生命の歴史は繰り返すのか?』と生物✕物理の傑作ノンフィクションが刊行されたが、12月に刊行されたチャールズ・コケルによる『生命進化の物理法則』もその流れに連なる一冊だ。これも傑作といっていい。

前二著との違いを上げるとすれば、本書の方がよりミクロな方、よりさかのぼって本質的な部分に焦点をあてているところだろうか。たとえば、我々がみなもっている「細胞」には別の形がありえたのかという思考実験。炭素ベースではなくケイ素ベースの生物は生まれ得るのか。生まれ得ないとしたらなぜなのかを宇宙に広がる化合物ベース、宇宙生物学との関連で語る普遍生物学的な領域についての話など、地球生命の話ではなく、別の惑星で発生しうる生命の形まで含めて、議論は展開していく。

生命の構造のあらゆるレベルを導く原理は徐々に解明されてきているから、私はそこに光を当てるつもりである。蓄積されつつある研究成果から、生命は宇宙のあらゆる種類の物質を形成する基本法則に深く根ざしていることがわかる。その深さは、地球上の動物をざっと見るだけではとてもわからない。そのことにも本書で目を向けてみたい。

たとえば、地球外に生物がいるとして、それは地球の生命と似ているのだろうか? 形だけではなく内部の組成的にも似通うものなのだろうか? ほかの銀河でも、てんとう虫に似た生物は存在するのか? 他の惑星でてんとうが生まれるはずない、と思うかもしれないが、実際には観測技術の向上で、他惑星を構成する化合物の普遍的な割合がかなりの部分わかってきている。たとえ我々が一度も異星生物を発見したことがなかったとしても、そうした情報からかなりの部分を推測することができる。

てんとう虫の物理学

本書ではまず、鳥がどのようにして飛んでいるのか、てんとう虫の形やもぐらの形がいかに物理的な制約を反映したものになっているのかといった個別具体的な生物を通して物理法則との関わりに迫っていく。たとえば、てんとう虫を含むすべての昆虫には肺がない。そのかわりに気管と呼ばれる管がはりめぐらされていて、その管のなかを空気が移動することで昆虫の体内に酸素が行き渡るようになっている。

これは、原子や分子が濃度の高い場所から低い場所へと移動する物理現象である。当然その移動にはある程度の時間がかかる。一つの分子がある距離を移動するのにかかる時間は、t(時間)=x(距離。2乗)/2D(Dは分子が決まった媒体中を移動できる速さの尺度)で簡単に表現できる。酸素を運ぶ距離を2倍にすると時間は4倍になるから、距離が長くなればなるほどこの制約がきつくなってきて、それが虫のでかさの上限になる。距離が長くなればなるほど、酸素が運んでいる途中で消費されてしまうからだ。ゾウやキリンほどの大きさの虫がいないのには、こういう事情があるのである。

生命の限界

生息域に関しても、生物には物理的な制約がある。生物は、酸素や窒素といった原子と繋がった炭素原子の鎖からなるが、そうした有機分子は450℃前後の熱で確実に破壊される。そこが最大値というだけで、実際にはそこまで耐えられるケースはほぼなく、122〜455℃の間でほぼ死ぬことになる。高い熱に晒されたら生物は生きられないなんてそんなの当たり前じゃねえかと思うかもしれないが、しかしこれもたしかにこの宇宙に存在する物理法則から導き出せる「生物の物理制約」なのである。

絶対零度から、太陽などの恒星の内部温度までのあいだで、生命がすめる温度の範囲は全体の〇・〇〇七%にすぎないのだ。生存できる温度の範囲がこれほど狭くなったのは、進化史のなかで起きた事実の結果ではなく、進化がもう一度最初から起きたとしてもその制約から抜け出すことはないだろう。

なぜ地球上の生物は炭素から構成されているのか?

もう一つ、大きな問いかけとしては、なぜ地球上の生物は自身の構成要素として「炭素」を用いているのか? がある。たとえば、SFの世界ではケイ素を主要構成物にした異星生物が多く描かれてきた。それは炭素とケイ素が同じ族に属し、化学的に似た性質を持っているからだ。であれば、ケイ素生物がいたとしてもいいではないか。

そもそも炭素とケイ素が生物を構成するのに有利なのかといえば、これらが非常に結合しやすい性質を持っているからだ。原子は必ず周囲に電子を持っているのだけれども、そこにはいくつの電子が入るかが原子ごとに決まっている。炭素については4つの電子の空きスペースがあるのだけれども、空きがある場合、原子は反応性が高くなってそこを埋めようとする。炭素の空きスペース4は数ある原子の中でも最も他の原子と結合しやすい状態で、だからこそ生命の構成原子として用いられるのである。

じゃあ、ケイ素はどうなのかといえば、ケイ素のほうが電子数が多いが、最外殻における電子の空きが4なので、炭素と同じく結合しやすい性質を持っている。だからこそケイ素生物が空想されるわけだが、実はこれが現実的には難しいのである。なぜなら、ケイ素には14個の電子が含まれる一方炭素には6個しかない。そうすると、ケイ素に結合する最外殻電子は原子核からの距離が遠く、結合の力が炭素と比べると弱くなってしまう。『ケイ素とケイ素の結合は炭素と炭素の結合に比べておよそ半分の力しかなく、自然界では、三個のケイ素原子が並ぶ結合はほとんど見当たらない。』

他にも炭素が豊富な酸素と結合して二酸化炭素になることができるが、ケイ素の場合は酸素と結合すると非常に安定性の高い構造になってしまって1000℃以上の高温で熱しても一切気体にならない(のでエネルギーの出し入れに用いることが事実上不可能)などの弱点がある。つまり、ケイ素を主体として複雑な構成物を作り出すのは相当に難しい。『最も多様な分子をつくる元素としては、その結合の可能性の幅広さという点で炭素が群を抜いている。地球以外の場所でもおそらく、生命のプロセスは、生命を構成する基本単位として炭素を利用する方向に収斂していくだろう。』

おわりに

たとえ宇宙で最も寒冷な場所であったとしても、地球から何千光年離れた場所であったとしても、どのような温度、圧力、放射線のもとにさらされていたとしても、炭素が周期表のあらゆる元素のなかで最も多様な分子を生み出す、結合しやすい分子であることには変わりがない。本書ではこのように、物理から化学まで、簡潔な法則からいかに生物の在り方が推測できるのかを多様な観点から提示してみせる。

物理学と進化生物学のあいだに存在するつながりを解明してみせる、実にエレガントなサイエンスノンフィクションだ。