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『三体』の劉慈欣が「近未来SF小説の頂点」とまで言った、ページをめくる手が止まらない圧巻の中国SF──『荒潮』

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

  • 作者:陳 楸帆
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 新書
この『荒潮』は中国のSF作家を代表する一人と言われる陳楸帆による初の(そして今のところ唯一の)長篇SF小説である。陳楸帆の小説は、日本でも刊行された現代中国SFアンソロジーである『折りたたみ北京』にも短篇「鼠年」が載っている。

この「鼠年」は、中国で遺伝子改造されたラットの逃亡と、その駆除隊に入った底辺層の駆除隊の青年を通して中国社会の苦境と世界を支配するゲーム・ルールを描き出していく、ローカル性とグローバル性が適度にブレンドされ、そこからさらにSFならではの情景に繋がっていく圧巻の短篇で、アンソロジー全体の中でも群を抜いておもしろかった。また、この『荒潮』は英語や、原語で読んだ人の評判もずば抜けて高く、最初から期待していたのだが──、実際読んでみたらこれがもうめちゃくちゃおもしろい! 久しぶりに食い入るようにして最初から最後まで読み切ってしまった。

「鼠年」で描かれたように、近未来に中国の苦境、文化をしっかりと描き出していきながら、同時に「世界の中で、中国はどのような立ち位置にあるのか」、「生物を支配するルールは何なのか」、「人類の未来は──」といった長篇ならではの壮大なヴィジョンも後半にかけては展開する。序盤の超クールで確かな筆致の近未来的な描写からは想像できないほど、「まままっままじぃ!?」みたいな方向へと跳躍していくので、途中から完全にガッツポーズしてしまった。少しにおわせすると、英語版の「Waste Tide」には何にやらかっちょええロボが映ってるんだよなあ!

Waste Tide

Waste Tide

  • 作者:Qiufan, Chen
  • 発売日: 2019/04/30
  • メディア: ハードカバー
陳楸帆がGoogleや百度での勤務経験があることも関係しているだろうが、近未来のテクノロジー描写、政治的な状況、環境面への描写なども(執筆されたのが2012年と10年近く前なのに)先鋭的で、確かに劉慈欣がいうとおり圧巻の近未来SFだ! 2020年、おもしろいSFを読みたいのであれば、まず本書から手を伸ばしてもらいたい!

世界観とか

舞台となっているのは中国南東部のシリコン島と呼ばれる場所で、時代は21世紀の中頃。シリコン島には日々世界中から電子ゴミが集まっている。金属製のケース、電子基板、プラスチック部品、電子チップに捨てられた義体に配線材……。そこでは、中国各地から出稼ぎにやってきた「ゴミ人」と呼ばれる最下層民たちが価値のある部品を集め、溶かして銅や錫、金やプラチナなどの貴金属を取り出している。

出稼ぎにくるぐらいなので金にはなるが、当然ながらリスクのある仕事だ。呼吸器疾患、腎臓結石、血液疾患は周辺地域の5倍から8倍も多発するといわれている。死産も多ければ、癌の発生率も高い。そんなシリコン島に、リサイクルの超大手企業であるテラグリーン社の経営コンサルタントであるスコット・ブランダルが商談にやってくる場面で物語は幕を開ける。このシリコン島で行われているリサイクル事業は中国の三家が取り仕切って莫大な利益をあげているのだが、テラグリーン社の狙いは自分たちの技術を用いてゴミ掃除を低汚染でより効率的にし、利益を分け合うことだ。

だが、それは当然ながら既存のがっつり固まった御三家の利益配分構造に対する切り直しを迫るものになる。中国人は金よりも信用で動く傾向のある社会だ。容易にスコットの提案が通るはずがない──、といった大きな社会的、経済的対立を描きながら、ゴミ人である米米(ミーミー)と、スコットの通訳である陳開宗(チェン・カイゾン)の恋愛譚。またそれをきっかけとしたゴミ人ら底辺層と支配者層の戦い、さらにはその先にある人類全体を揺るがしかねない事実へと繋がっていくことになる。

魅力的な近未来の描写

読みどころは非常に多いのだけれども、なんといっても注目しておきたいのは魅力的な近未来の描写だ。まずそもそも、ゴミをできるだけ環境汚染をしない、持続可能な形で処理するにはどうするのか、というのが中国を舞台にしてテーマとされているのがいい。それから、2050年とはいっても科学技術の発展と普及は我々の知るものよりかは遥かに進んでいて、金持ちは携帯電話を変えるようにして義体を変えている。

大型犬にはチップが埋め込まれていて、指定エリア内で特定の信号を出さない人間を見つけると攻撃行動をとる。街にはフレキシブル有機ELのボディフィルムをむきだしの肩に貼って歩き回る若者たちがいて、アメリカでは患者のバイタルサインをモニターする医療用の診断ツールのはずが、この土地では個性を主張するストリートカルチャーになっているとか(”善”とかディスプレイに表示されている)などなど、シリコン島の風景は「ゴミの山」と聞いて我々の思い描くものとは大きく異なっている。

他にも高度化した材料工学と製造技術によって、メカの動作が電動人工筋肉繊維が主流になってリバースエンジニアリングが非現実的になっているとか、「確かにありそう感」がすごくて、そのへんの細かな描写の一つ一つがぐっとくるのだよなあ。

グローバル社会の中にある中国

もうひとつ注目しておきたいのは、中国特有の文化の密な描写と、それがこのグローバル社会の中でどう組み込まれているのかという地方視点と世界視点の混在だ。

たとえば、宗族制度が21世紀も半ばになって維持される理由は、という問いには、現代の宗族は共同出資会社のようなもので、経営管理のためのものであり、司法制度は常に非効率であり、宗族制度は速度で勝ると(登場人物のひとりが)答え、現代社会は法律をもとに生きるものです、と問われればこう返答する。『「よく覚えておけ。古代から現代にいたるまで社会を統べる法は一つ。ジャングルの掟だ。」』

世界中の国々を訪れたエリート中国人が、結局中国に戻ってくるのはなぜなのか。登場人物の一人の返答はこうだ。病的なまでの礼儀正しさや上辺だけの愛想があわず、信号が変わるまで待つのに我慢ならない。また、外の人間は口では爆買や経済成長を褒めるも実際には自国の経済が毀損されること、インフラにただのりされることへの恐怖に燃えている。なんでも剽窃、複製する恐ろしい中国人というイメージもある。そうした印象から起こることは、決して友好的な人間関係だけではありえない。

 しかし状況は複雑だ。アメリカ人の労働者は安価な中国の労働力に仕事を奪われていると訴える一方、安価な中国製品のおかげでそれなりの生活水準を維持できている。そうやって中国に流入するドルは人民元に替えられて、新興富裕層の懐にはいる。その層に属する工場主、仲買商、下級役人はそろって中国の模倣品を軽蔑し、かわりにマンハッタンのローワーイーストサイドやサンフランシスコのベイエリアのライフスタイルを模倣する。最新製品が出れば次々と買い替える。
 そうやって人民元はドルになってアメリカに還流する。つながっているのだ。

こうした描写は本書の中のほんの一部だが、「世界で中国はどのような位置を占めているのか」「世界は、どのような流れの中にあるのか」が繰り返し描かれていくことになる。

おわりに

中盤、米米が支配者層によって傷つけられ、ゴミ人らが立ち上がることで「底辺層vs支配者層」という対立構造が現れるのも最高に燃えるところで、うおおおこの先、中国は、社会は、どうなっちまうんだ!? という興奮が巻き起こってくる。

「これは戦争だ。俺たちとやつらの戦争だ。米米は仲間だ。俺たちの家族、俺たちの姉妹、俺たちの子どもだ。土地や空気や水を守るように、仲間を守るんだ」真剣な顔に不自然な苦笑が浮かんだ。自分が加害者になったような罪悪感もおぼえる。「羅家は米米を探している。AIを使った監視システムを持っている。こちらは人間の監視網で対抗する。羅家がふたたび米米を襲おうとしたら、その映像を拡散してくれ。シリコン島民に合法的で名誉ある方法で正義の鉄槌を下す。正義は俺たちの側にある」

「AIを使った監視システムを持った支配者層」にたいして、「人間の力を使った監視網で抵抗する底辺層」で、単なる対立構造に終始せず技術を巻き込んだ(しかも、口の動きからだけでも喋った内容を把握されてしまう状況でいかに情報を伝え合うのかといった細部も詰めている)SFならではの展開になっているのが熱いんだよなあ。

物語は100ページを超えたあたりからどんどん加速していき、序盤の近未来SF的な情景後半にかけては「世界の捉え方それ自体が変容していく」サイバーパンク的な情景、筆致へと変化していくので、そのあたりもお楽しみにねえ! 中国内にとどまらない、世界へと訴えかける力を持った超傑作だ!