基本読書

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我々は実際には「何を」みているのか──『ヒトの目、驚異の進化:視覚革命が文明を生んだ』

このマーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』は、ヒトの目にひそむあまり知られていない4つの力について解説する視覚科学についての一冊である。もともとインターシフトから単行本が2012年に出ていたものの文庫化(原著は2009年)なのだけれども、担当編集者氏のTwitterでの告知がバズってよく売れているようだ。

表紙は印象的だし、帯陣も8年前の単行本の文庫化とは思えないほどに豪華、そして内容は今でも十分におもしろいので、それもよくわかる。とはいえ最初はそれ(文庫化)に気が付かず、読んでいる最中に「なんかここに書いてある内容ほとんど知ってるなあ」と思いながら読んでいたんだけど、単に単行本刊行当時読んでいただけだった。記事も書いているけれど、せっかく読み返したのでもう一度ご紹介しましょう。

4つの力──色覚

さて、本書はヒトの目がもつ4つの力についての本である。その4つとは、色覚、両眼視、動体視力、物体認識の4つだ。「色が見えるのも、両目で物をみるのも、動体視力があるのも、物体が認識できるのも、別に普通の目の機能じゃないか」と思うかもしれないが、実際にはそこにはすごく複雑でおもしろい進化の歴史が絡んでいる。

たとえば、ヒトは3色型色覚で、3種類の組み合わせによって短、中くらい、長い波長を大雑把な分布で把握し、膨大な数の色を見分けることができる。その色にはなにか客観的な根拠があるわけではなく、人間と同じ数と種類の錐状体を持たない動物は(哺乳類の多くは2色型色覚)、人間とは異なる色で世界をみているのである。『人間が知覚する世界の眺めは、私たちが普通思っているよりもずっと客観的でない。』

色覚を持たない生物も多くいる中で、なぜ人間は(哺乳類の多くがそうである)2色型ではなく3色型なのか? 幾つかの実験が示すところによると、それは肌と関係があるらしい。人間の肌というのは別にみていておもしろいものではない。車を肌色に塗ろうとする人間も、好きな色を聞かれて肌色と答える人間もまずいないだろう。だが一方で、それは意識するようなものではなく、当たり前の色だということでもある。

体温が36℃から38℃に上がったらすぐに熱いと感じるように、我々は「標準」からの「変化」を敏感に感じ取る。それと同じように、肌色というのは(それが「肌」色であって、特定の色を指していないように)分類しづらく、色がついていないように知覚される。その代わりに、肌色が怒りや発熱などで赤みがかったり、逆に窒息寸前で青くなったりしていたらすぐにその変化に気がつく。それこそがまさに、色覚を持った個体が生き延びてきた理由なのではないか、と仮説を立て検証していくのである。

4つの力──両眼視

続けて紹介されるのは「両眼視」だ。我々の目が前に二つついているのはなぜなのか。前と後ろに一つずつ付いていたら、360℃見渡せて便利そうである。

でも、自然界にそんな生物は存在しない。それはようするに、目が前か横に二つ付いている状態に大きな利点が存在するからだ。その理由はこれまで主に、「立体視」のためだとされてきたが、本書での主張はそれとは異なる。大きいものから紹介すると、一つは「片方がさえぎられてももう片方が補正できる」からだ。

たとえば、自分の鼻で右目と左目の視界が部分的にさえぎられる、だが、両者でさえぎられる部分は違うから、二つの画像を統合することですべてを知覚できるし、鼻も同時にみえているので、臭いを嗅いだりする時に便利である。これがもっとわかりやすいのは、草むらの中で標的をみているような場面だろう。左目と右目それぞれで草にさえぎられた標的の部分は異なる。が、前についた両目でみることで、それぞれの欠けている部分を補い合って「より最適な形で」向こう側が見えるのだ。

そうした草むらの中で向こうを透かし見る目が効力を発揮するのは、葉が茂っているような場所で暮らし、葉っぱの間隔よりも大きい目をしたある程度サイズのある動物だ。ろくに木が生えてないようなところで暮らす動物にはそうした能力は必要ないから、左右につく傾向があるはずである。実際、これは葉を好む動物、好まない動物の目がどこについているのかという分類・相関をみると、正しいように見える。

4つの力──他の二つ。

他の二つは、我々の脳が目から受け取るまでの時間が0.1秒もかかることから、脳は実は常に未来を予測し続け補正しているのだとする「動体視力」(『現在は限りなく短く、刻々と過ぎていくので、私たちは未来予見の能力を進化させることを余儀なくされてきた。未来を予見して初めて、過去ではなく現在を知覚できるからだ。』)

ラストは読字に焦点をあて、我々の目が文字を読むように進化したのではなく、表記の方が人間の目にあうように進化したのだ、と表記言語と自然との繋がりを解明する「物体認識」(『本章でこれから見るように、この技術の裏には特別なトリックが隠されている。人間の視覚的な記号は、自然に似るように進化したのだ。』)がくる。

おわりに

こうした事例から明らかになるのは、色にしても映像にしても、我々は実際には現実をあるがままになど見ていない、という事実である。我々は視覚が作り上げた「フィクション」を体験しているのだ。それは、「フィクション」の方が「現実」
をそのまま脳が受け取るよりも便利だからである。『もし私たちの脳が、それぞれの目から送られてくる二つの違った映像をそのまま受け入れて満足できるのなら、フィクションなど必要ないだろう。それなのに、そもそも実在しない、統合された単一の映像を脳が好むとすれば、脳は「フィクションで行く」決定をしたのだ。』

目の驚異を知ることはそのまま、目と脳がどれほど「現実を改変」して伝えているのかを知ることでもあるのだ。単行本刊行からだいぶ期間は空いたが、価値は落ちておらず、文庫で気軽に手に取りやすい値段になったので、この機会にぜひ手にとってもらいたい。