- 作者:チャールズ グレーバー
- 発売日: 2020/03/05
- メディア: 単行本
これまでの歴史の中でも人間ががんに対する手段は概ね「切る(腫瘍を)」「焼く(放射線で)」「毒を盛る(抗がん剤で)」の3種類に限られていたが、今では他にとり得る手段も増えてきた。この『がん免疫療法の突破口』は、そうして今まさに花開き始めてきた数あるがん療法の中でも、免疫療法の歩みについて的を絞ってその歴史を追った一冊になる。この免疫療法の考え方自体は、とてもシンプルなものだ。
免疫療法とはなにか?
まず重要なのは、この免疫系は我々は誰しもが持っているものだということだ。免疫系は、病原体にたいして働く防衛機構である。病気をもたらす侵入者や、変異したり欠陥があったりする体細胞を破壊してくれる。免疫系があるから、我々は年がら年中風邪をひいたり、すぐにがんになったりしないわけだ。だが、なぜかがんはその免疫系の攻撃をすりぬけて増殖していくから、人類にとっての天敵となっている。
しかし、なぜ本来がんのような異常細胞を破壊してくれるはずの免疫系が、がんについてはスルーしてしまうのだろうか。この謎を解き明かし、「がんが免疫系の攻撃をくぐりぬけられないようにする」ことができれば、免疫系の力を使うことで、体中のがんを排除することができるのではないか? がんの免疫療法とは、端的にいえばそうした考えに基づいている。シンプルだから、誰でも思いついて実践してもよさそうなものだが、長らくこうした免疫療法は無理なのではないかと思われてきた。
というのも、単純に実験が成功しなかったからである。2000年までにマウスでは何度もがんを治すことに成功していたが、ヒトで成功させることができなかった。本書の書名に「突破口(原題はbreakthrough)」とあるのは、このような状況に風穴を開ける免疫治療薬がその後出現したことに起因している。「チェックポイント阻害薬」として知られる免疫治療薬は、がんがどのようにして免疫系を騙しているのかを解き明かし、さらにそのチェックポイントを阻害することで免疫系にがんを攻撃させることに成功した。つまり、そこからがんの免疫療法が花開いたのである。
本書は、この希望に満ちた新たな科学をとぎすまし実証することに貢献した天才たち、懐疑的な研究者と信念を抱き続けた研究者たち、そしてなにより、がんとの闘いに人生を捧げた患者、そしてそれを上回る数の、がんとの闘いで命を落とした患者たちの物語だ。これは、がん免疫療法の現在、ここに至るまでの道すじ、そして来るべき将来の展望を、じかに経験した人々、そしてそれを可能にした人々の姿を通して辿る旅である。
がん免疫療法の仕組み
免疫細胞はどんな仕組みで病原体やがんと戦うのか。重要なのは、その司令塔的な役割のT細胞だ。一つ一つのT細胞は限られた相手しか破壊することが出来ないが、ヒトのT細胞は約3000億個あり、この組み合わせによって潜在的な抗原に対応することになる。では、と最初に思いつくのは、そのT細胞を増やしたらいいのではないかというものだ。T細胞が多ければ多いほどがんに対応できる割合も増えるだろうと。
だが、そうした試みが突破口となることはなかった。部分的な効果が認められうこともあったが、目覚ましい成果とはとてもいえない。そのような苦しい状況が続いていた1990年代、がん免疫療法は日の当たらない場所だった。アメリカ国内で開かれるがん学会では免疫療法のプレゼン部屋は空に近い状態だったという。なぜT細胞ががんを攻撃しないのかわからないし(自己細胞と似すぎていて判別できないのだろうと思われていた)、攻撃を誘発させることはできないと多くの人が考えていたのだ。
そんな絶望的な状況の突破口は、「なぜT細胞ががんを攻撃しないのか」の解明にまつわる部分で起こった。単純化していえば、免疫系には暴走を防ぐ仕組み(チェックポイント)がある(免疫系が暴走すると、また無数の別の症状が出る)のだが、がんはそのチェックポイントを騙すことで、T細胞の免疫反応をダウンさせることができるのだ。そうしたら、T細胞はおとなしくなるのでがんを攻撃することはない。
がんがそのようにしてT細胞を手なづけているのなら、このチェックポイントをあらかじめ塞いでしまう抗体を注入することで、がんはこのチェックポイントを利用することができなくなり、免疫系に正常に駆逐される。だから、「チェックポイント阻害薬」なのである。これは、それまでとられていた「T細胞を増殖させる」ブースト的な免疫療法とは全く異なり、免疫系のブレーキを一時的に停止させる手法なのだ。
おわりに
効果が見込まれても、すぐに免疫療法が世界に受け入れられたわけではない。ずっとそうした相互作用はありえないと思われてきたので、まさにそれを指し示す実験データを多数取り揃えても受け入れられない。また、がん免疫療法は新しく、それがどのようにして患者に作用するのかも誰にもわからなかったので、薬の認可や試験をどのようにすればいいのかもスムーズにいかず、すべてが混乱の中で行われていく。
その後の度重なる研究、臨床試験の積み重ねによって、近年(本当にこの数年のこと)ようやく一般にこうした免疫療法が用いられるようになってきた。だが、まだまだ免疫療法の探求の道ははじまったばかりだ。効くがんも限られており、奏効率は20〜30%ぐらいのもので、多くの人が期待している「がんへの特効薬」とはなりえない。それでも大きな前進であることは間違いなく、治療法の進歩は免疫療法だけではない。複数の治療法を組み合わせることで、さらなる飛躍も期待できる。
免疫療法の仕組みだけではなく、それがどのような科学者・研究者らの苦闘によって発見され、守られてきたのかが概観できる、楽しい医学ノンフィクションである。ひょっとしたら、あと20年、30年生き延びることが出来たら、がんで死ぬことは珍しい死因、ということになっているのかもしれない。