- 作者:ロバート・アイガー
- 発売日: 2020/04/04
- メディア: 単行本
今ではマーベルの作品もスターウォーズもアバターなどの作品もぜんぶ「ディズニー」なのだ。この好調を思うとほんの15年まえにディズニーが落ち目だったことを思い出すのは難しいが、確かに当時ディズニーの出す映画はどれもぱっとせず、莫大な投資をしているにも関わらずなかずとばずで苦しい状態にあった。そうした状態から持ち直して今のような状態にまで持っていくのは並大抵のことではない。
すごいのは、そうした圧倒的成功体験を今まさに築き上げているさなかに何度も引退を打診していて、巨大買収が落ち着いたタイミングでようやく引退(今年のはじめに)を成し遂げたという「引き際の見事さ」もある。いったいそんなことをどうやったら成し遂げられるのか、気になるに決まっている。だからそんな彼が出したこの本には出る前から相当に期待していたのだけどいやはや、これがおもしろい。
10の原則とめちゃくちゃ自己啓発っぽくついているが、本のほとんどは彼の仕事人生を振り返るビジネス回想録であり、その時々で彼がどのように悩み、決断していったのか。ピクサーのジョブズやマーベルの買収の時にどのような判断があったのか、といったことが語られていく、そうした彼自身のストーリーが抜群に魅力的なのだ。
どのような人間なのか
ロバート・アイガーがそのキャリアを本格的にスタートさせたのは全米ネットワークテレビ局のABCに入った1974年のこと。スタジオ管理者という名前は勇ましいが実際はただのスーパー雑用係という大したことのない役職からのスタートだった。
北朝鮮で行われた世界卓球の中継を契約するなど(経済制裁中で北朝鮮との契約が一切禁止されていてアメリカ内務省から警告が入るなど困難があった)大きな仕事をこなして着実に社内での評価を上げていった結果、1985年、34歳でABCスポーツのバイスプレジデントに就任。1989年にはオリンピック番組の成功などを受けてこんどはABCエンターテイメントのトップに就任と、テレビ業界で上にのぼっていくことになる。ABCエンターテイメントはドラマなどを手掛ける部門で、スポーツ畑出身、エンターテイメント業界出身ではない人間がそのトップに立つのは初の試みだった。
この時期の注目すべき仕事の一つはデヴィッド・リンチ製作総指揮の『ツイン・ピークス』だろう。攻めた内容で話題になったドラマで、こんな作品をやってくれるなら……とスピルバーグやルーカスから電話がかかってきたという。ここでのやりとりがのちのルーカス・フィルム買収に寄与することになるのだが……それはそれとして、1994年にそうした功績が評価されて今度はABCの親会社であるCapital Cities /ABCの社長兼最高執行責任者に抜擢されることになる。ディズニーが出現するのはその2年後、1996年に(ディズニーが)Capital Cities/ABCを買収してからだ。
アイガーがディズニーのCEOになるのは2005年のこと。当時のディズニーは先に書いたように大量の問題をかかえていた。長年ナンバー2としてディズニーで仕事をしていたこともあって、次期CEOとしては社内唯一の候補だったが、同時に現在の状態に寄与した人間として旗色は悪かった。だが、15回もの面接を経てCEOに選出され、アイガーは事前に立てていた3つの戦略的課題に向けて動き出すことになる。
1つは、良質なオリジナルコンテンツを作り出すことにほとんどの時間とお金を費やすこと。2つ目に、テクノロジーを最大限に活用すること。3つ目に真のグローバル企業になること。言っていること自体はもっともだが、重要なのはそれをどう実行するかだが───、その初手がピクサーの買収なのがすごかった。制作体制を立て直すために、自分たちでやるのではなく、ピクサー流を持ち込もうとしたわけだが、誰もがそんなことは不可能だと言っていたし、実際もともとはダメ元に近かったのだろう。
数々の巨大な買収
その話をジョブズに持ちかけた時のエピソードがかなりおもしろい。ビデオiPodの発表を10日後に控え(ディズニーが番組提供をしていたので)、そのことについて話した後、「もうひとつ別にとんでもないアイデアがあるんだが話に行っていいか?」とアイガーが切り出したところ、「今教えてくれ」と返されたという。
電話をつないだまま、自宅前に車を停めた。それは一〇月の暖かい夜で、エンジンを切ったものの、暑さと緊張で汗が吹き出した。妻のアドバイスを心の中で唱えた。ドンといけ。その場で断られる可能性は高い。上から目線だと思われて、腹を立てられてもおかしくない。ピクサーを軽々しく買収できると思うなんて、ずうずうしいにもほどがあるのかもしれない。ふざけるなと言われて電話を切られて終わっても、元に戻るだけだ。失うものは何もない。「お互いの未来について、しばらく考えていたんだ」そう切り出した。「ディズニーがピクサーを買収するっていうのはどうだろう?」スティーブが電話を切るか、吹き出すか、待っていた。その一瞬が、私には永遠に思えた。
私の予想を裏切って、スティーブはこう言った。「あぁ、それならとんでもないってこともないな」
その後アイガー率いるディズニーはマーベルを買収し、ルーカス・フィルムを買収するのだけれども、こうした数兆円規模のビッグディールでも結局重要なのは人と人との関係性とか信頼の構築なんだなと思う。ジョージ・ルーカスとの交渉の中で、ルーカスは売るとしたら君以外にいないといい、その理由として、ルーカスがABCでやっていた『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』が視聴率がふるわなかった時に、アイガーが助けを出し、シーズン継続の許可を与えたことへの感謝を語ったのだ。
相手に敬意を払うこと
本書を通して一番印象に残っているのは「他者への敬意」だ。アイガーは本書の中で決して他者を悪く言わない。こういういざこざや言い争いがあった、と事実は書くが、相手を必ず認めた上でのことが十分わかるように配慮されている。
そうした言動はディズニーのような超巨大企業のCEOにおいては当然のものともいえ、嘘くささも感じるが、多くの関係者がアイガーのそうした態度をたたえていることもあって、少なくとも表向きには彼のその態度は真実のものなのだろう。
ほんの少し敬意を払うだけで、信じられないようないいことが起きる。逆に、敬意を欠くと大きな損をする。その後の数年のあいだに、私たちはディズニーを生き返らせ、その姿を変えていくような大型買収を手がけることになる。その中で、「敬意を払う」という、一見些細でつまらないことが、どんなデータ分析にも負けず劣らず大切な決め手になった。敬意と共感を持って人に働きかけ、人を巻き込めば、不可能に思えることも現実になるのだ。
目先の利益を無駄にしてでも、相手に対する敬意を優先させたほうがいいこともある。感情を傷つけることで底なしの闘いに巻き込まれるかもしれないし、それ以上に敬意を払うことで相手が協力的になってくれるという巨大な利益が見込めるのだ。アイガーのキャリアをみていくと、たしかにそうした現実がみえてくる。
もちろん時の運に支えられた面も多くあるが、アイガーという凄まじい経営者の手腕が垣間見えるいい本であった。