
- 作者:ウォード,ジェスミン
- 発売日: 2020/03/25
- メディア: 単行本
起こること、語られること自体に大したことはない。とある過去の記憶に悩まされる祖父と、癌を患い死期が近い祖母。その娘レオニと、レオニの息子ジョジョと娘のケイラが同じ家で暮らしている。家族仲は良好とはいえず、レオニは気に食わないことがあれば時折ジョジョに暴行をはたらき、ジョジョもレオニのことをただ「レオニ」と呼んで、祖母と祖父のことを「母と父」と呼び、慕う。屈折した関係性がこの家族の中でできあがっている中で、ある時服役していたジョジョの本来の父親であるマイケルが釈放されることが判明する。レオニとジョジョとミケイラは一緒に車に乗ってマイケルを迎えにいくのだが──と、基本的にはその道中と帰ってくるまでの物語である。つまり、単なるドライブ小説ともいえる。よくいえばロードノヴェルか。
だが、それだけのことが恐ろしく重厚に響いてくる。ワンシーンの心情の切り取りがスロウモーションのように鮮明に描かれていて、あまりにも美しい表現の数々には思わずページをめくる手がとまるほど。僕のようにがりがりと線を引くタイプの読み手はついついページを真っ黒にしてしまう。アメリカの南部、ミシシッピ州で暮らすことの意味や歴史を織り込んで紡がれてゆく、美しい小説、家族の肖像画なのである。
こういう田舎で育つと、いくつか学ぶことがある。人生の最初の部分をいっきに謳歌した後は、あらゆるものが時間に食われていく。機械は錆びるし、動物は老いて羽や毛が抜けていくし、植物は枯れていく。父さんを見ていても、年に一度ぐらいはそれを感じる。年ごとにどんどんやせて、腱が固くこわばり、浮き出てくる。インディアンらしい頬骨もどんどん険しくなってくる。でも母さんが病気になってからは、痛みにも同じ作用があるんだとわかった。痛みは人を食いつくし、骨と皮と細った血管だけにしてしまう。人間を内側から貪り食って、異様に膨張させてしまう。母さんの足はまるで毛布の下に仕掛けられた水風船だ。
あらすじとか
あらすじだけ聞くと、虐待を受け複雑な家庭環境にある子どものジョジョとケイラへ同情が湧いてくるだろう。が、本書はジョジョと(その母親の)レオニの視点が交互に(プラス一人いる)描かれていて、そのような単純な善/悪、被害者/加害者の構図に落とし込める問題ではないことがよくみえてくる。まず、レオニは麻薬中毒気味であり、白人のマイケルと結婚したことで相手方の父親から悪夢のように嫌われている。
兄であるギブンを15歳の時に亡くしたこともトラウマとして残り続けていて、その時に一度壊れた彼女を取り巻く関係性が彼女から多くのものを奪っていった。まだ幼いケイラは母親になつかず、ひたすらジョジョに助けを求めるばかりだし、ジョジョはまったくもって母親のことを信頼していないし、頼りにしようともしないばかりか母親のやることの多くを害悪だと認識している。敵対的な子どもたちの姿が、またレオニのいらいらをつのらせ、それが時に暴力にまで発展してしまう。
どのような状態であれ自分の子どもに暴力を振るうことは「悪いことだ」と断罪することは簡単だ。でも、自分の中で様々な感情が荒れ狂っている時にそのようなわかりやすい正論が自制を促してくれるわけでもない。衝動的に殴りたい気持ちも、何かをしてあげたい気持ちも本物だ。振り切れるものでもなく、すべてが彼女の中で荒れ狂っているのである。そのような複雑な衝動はあまりにも人間らしいものだ。
印象的なエピソードの一つが、旅の途中でケイラが吐くのが止められなくなってしまい、小休止した時の話。レオニは母からどの植物がどのような病気に効くのかを教えられた思い出を頼りに、ブラックベリーを摘んできてケイラに飲ませてあげようとするのだが、ジョジョはそれが症状を悪化させるのではと疑い、それを阻止しようとする。レオニ視点の文章を読むと(下記引用部)、それはかつての母親の行為を受け入れ、心中で母親と和解し、さらに子どもへと親切を受け渡していくいい話なのだが、ジョジョの側からみれば単に余計に悪化させかねない危険な行為にすぎない。
だけど、若いころのあたしは母さんに腹を立てていた。ハーブの手ほどきと見当違いな希望が気に食わなかったから。そして後には、母さんに癌の呪いをかけたこの世を、母さんの体を絞って力を奪い、乾いたぼろきれみたいに分解させていくこの世を、それでも善きものと信じているから。
ジョジョもまた、まだ13歳の子どもであり、親への強烈な反発を抱えた「頑固な」人間であることがこうした描写からはみてとれる。母親のやることなすことすべてが間違っているように感じられるのだ。それは、時折暴力を受けている彼からすれば当然の認識なのかもしれない。でも、少なからず両者の認識は異なっていて、お互いがお互いに反発と愛情の間で苦しんでいるのである。
葬られぬ者たちよ
本作の特徴は(葬られぬ者たちよ、と入っているように。原題「Sing, Unburied, Sing」)、ジョジョを含む一部の人物に、幽霊をみ、対話する能力が備わっていることである。とはいえそこら中に幽霊が溢れかえってシャーマンキング状態になっているわけでもなくて、基本的に語りかけてくるのは、祖父と過去に何らかの関係があったリッチーという少年だ。リッチーは、ジョジョの祖父の過去と密接に関わっていて、会話が通じてからはその過去を引き出せとしきりと催促するのだが……。
祖父のそうした記憶は、ネイティヴアメリカンの歴史と文化と密接に絡み合っている。『「すべてのものには魂が宿っている、とな。木にも、月にも、太陽にも、動物にも。いちばん重要なのは太陽だ。だから名前が与えられている。アバだ。だがバランスを保つにはすべてが必要だ。すべてのものに宿るすべての魂がな。そうしてはじめて作物は育ち、動物も育ち、肥え太って食べ物になる」』。そうした精神的な世界がこの過酷な南部での生活に混ざり込んで、死と生についての独特な世界観が浮かび上がってくる。『「おれにとって、これはそいつを見つけるたびなんだ」「そいつって?」「歌だよ。その場所というのは歌で、おれはその歌の一部になる」』
おわりに
原書は17年の小説なのだが、この先いつ読んでも輝きが失われない古典の風格を漂わせた小説である。装丁も紙の手触りもいいので、できれば紙の本で買ってもらいたいきもちがあるなあと書いた後調べたけど電子書籍はそもそも出てなかったわ。