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暴力が支配するカンフー・ハイスクールに公式記録で2400戦以上無敗のカラテNINJAがやってくる──『血まみれ鉄拳ハイスクール』

血まみれ鉄拳ハイスクール

血まみれ鉄拳ハイスクール

本書はライアン・ギャディスによる二作目の作品にして本邦初紹介作である。『血まみれ鉄拳ハイスクール』という書名からもわかる通りに(原題はKUNGFU HIGHSCHOOL)、血で血を争うカンフー学園ものとしかいいようがない作品だ。

舞台となっている高校(通称カンフー・ハイスクール)では、9割9分5厘の確率で、生徒はなんらかのマーシャル・アーツの心得がある。空手、相撲、柔道、合気道、柔術、忍法/忍術といった日本武道から、洪家、蔡家、李家といった中国武術。挑戦武術、ムエタイ、インドネシアのクンタオとシラット、フィリプンのエスクリマ、ブラジルのカポエイラ、イスラエルの護身術クラヴマガまであり、複数の種類が混合した使い手も数多く存在する。じゃあなぜそんなことになっているのかといえば、意図的に選別しているわけではなく、「ここでは強くなければ生き残れない」からだ。

武術を身に着けていない人間はこの学校から逃れ出るしかない。なにしろ、入学した瞬間から新入生は監視を受け、まずボコボコにされる、「ヤキを入れられる」のがこの学校の風習なのだ。その後もことあるごとに喧嘩をうられ、逃げるような真似はこの学校内においては許されることではない。この学校にしか居場所のない、腕におぼえのある極悪な不良しかもうこの学校には残っていないのである。

この暴力は学外の人間にまで及んでいて、ある時スポーツのために外部からやってきた集団は、大差をつけてカンフー・スクールに勝利したが選手たちはもちろん駆けつけた応援団も含めて体中を蹴り回された。明らかに警察案件だが、この学校には圧倒的な金と権力を持つリドリー家の息子が存在していて、警察も報道機関も手出しができない。人にどれだけの重症を負わせようが殺そうが暗闇に葬ることができる。

ファミリーと言う概念

少しでも油断すればぶん殴られて生死の境をさまよう羽目になる地獄みたいな高校なのだけれども、そうした地獄を加速させているのが「ファミリー」概念だ。この学校には全部で6つのファミリーが存在していて、それぞれに〈パパ〉と〈ママ〉。他に数人ずつの〈叔父〉と〈叔母〉という幹部が存在する。まあほとんどマフィアとかギャングのような仕組みがあるのである。学校の支配者であるリドリーの傘下にある4つのファミリーとは別に、〈狼〉と〈波〉の二つの独立勢力が存在する。

それぞれの流派には主要流派が存在し、体力、持久力、胆力、速力、創傷率(傷を負う確率および追わせる確率)、得意技などが設定されている。たとえば〈波〉は、メンバー数601人、最強ファイターはキューゾー・B(語り手の女性の実の兄)。主要流はは護身術、合気道、古式中国武術数種。パラメータは、体力5、耐久力5、胆力8、速力5だ。拳を使う流派しかいない〈拳〉とか、けっこう格闘スタイルが特徴として出ていて、今だとHiGH&LOWをみているときみたいな感覚がある。

カラテNINJA

そんな地獄みたいな状況にやってくるのが、同じくこの高校に属し最強の一角と目されるキューゾー・Bと拮抗するほどの力を持つジェニーのいとこ、ジミー、またの名をカラテNINJAだ。ジミーはこの学校にやってきた当初から誰しもにその存在を知られていた。強すぎたからだ。

 十四歳になるまでに全米規模の大会を五つ連続で制し、さらには三つの別種目それぞれの世界大会をすべて五度連続で制した──空手と柔道と中国武術の三種において、そのあと香港の高名なマーシャル・アーツ訓練校焔山高等武術学院の奨学生に選抜された。戦績の書類のみでの選考だった。(……)
 一六歳の誕生日を迎える直前に、武術をやめた。戦績は二四一二勝〇敗〇引き分け。まるで幽霊だった。怪我はまったくせず、投げられたことさえ一度もなかった。打撃を受けたためしもない。攻めをかわす心得が完璧だった。対戦相手だれ一人として手も足も触れられないのだから。

そんな凄まじい存在だったので学校中に知れ渡っていたわけだけれども、彼は武術をやめた結果としてこの学校にきていたのだった。父を肺癌で失い、人が違ったように暴れるようになって母親と口論して二度と人と闘わないと誓わせられたのである。

誓いは重く、ジミーはこの暴力が渦巻くカンフー・スクールにやってきてからもしばらくは自分からは絶対に手を出さずに殴られても殴られるままにしていたのだけれども、ジミーやジェニーにとっての大切な人間が傷つけられ、殺される事態にまで物事が発展。ファミリー同士の抗争が過激化していくに従ってそうもいっていられなくなってくる。決して喧嘩をしないと誓った男が、復習のためにその拳をふるう!

話の発端となったのは

と、シンプルなストーリーなのでそこまで説明すれば読みたい人は読むでしょう、っていう感じなんだけれどもここからはいくつか関連した情報を紹介してみよう。

たとえば、一見アホとしか言いようがない設定・世界観なのだけれども、実際に読んでみるとどこまでも真剣に、重い話を扱っている。学校が暴力に溢れている描写はリアルで最悪だなって感じだし、そうした状況に追い詰められていく人間の精神、大切な人を暴力の暴発によって失う悲しみやそれを乗り越えていく心理的な過程もしっかり描かれていく。バカバカしい設定ではあるもののそれを支える心理的な面の描写は綿密なのだ。これは、「はじめに」で語られている著者の執筆経緯も関係している。

その発端となっているのはコロンバイン・ハイスクール乱射事件(高校で銃を乱射する人間が現れて多くの死者が出た事件)なのだ。実際にこの事件に巻き込まれて生き残った友人に、この事件について書こうと思うのだがどうだろうかと伺ったところ、「芸術として書けばいい」というアドバイスをもらって、銃を拳に置き換え、リアルな痛みを実感させるもの描こうとしたのである。荒唐無稽な話にならないように医師に連絡をとって、作中の暴力や治療の描写もできるかぎり正確になるように注意を払っている。ようは、この世界では殴られればリアルにダメージを喰らう。

枠組みとしてマーシャル・アーツを中心におくことにし、彼が大好きなブルース・リーの『ドラゴン危機一発』を参考にして構成を練り──と繋がって、本作が生まれることになったようだ。実際、お話の大筋は『ドラゴン危機一発』からとられている。

おわりに

とはいえこれは小説であって、格闘描写をそのまんまやられてもなんもおもしろくないぞ──と思って読み始めたのだけれども、様々な格闘スタイルの違いが文章だからこその表現で書き分けられていて、加えて学内の敵が全員格闘技においてそれなりの腕があることから非常によく考えて作戦を練らないとすぐに対処されてしまうことから戦略性も生み出されていて──と、小説ならではの格闘描写のおもしろさが出ている。「マーシャル・アーツ小説」として完成された純度の作品といえるだろう。

描写の大半は格闘によっていてサクサク読めるので、気が向いたら手にとてみてね。