基本読書

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薬物はどのように精神を変質させるのか?──『幻覚剤は役に立つのか』

LSDやマジックマッシュルームと聞くと僕などは「やばいドラッグ」ぐらいの認識しかないが、近年こうした幻覚剤が再度盛り上がりつつある。アングラな連中が製造しているというわけではなく、医療目的や研究対象として再注目を浴びているのだ。

たとえば、2010年頃、ニューヨーク・タイムズの一面に幻覚剤を用いる医師たちについての記事がのった。これは、ガンの末期患者に死を目前とした時の「実存的苦痛」に対処するため、マジックマッシュルームの有効成分であるサイロシビンを与える措置についての記事で、余命宣告されて精神的に参っている人に対して、幻覚剤を用いることでその苦痛を少しはやわらげられるのではないかという。

で、これを実施したところ、有志の被験者の多くがガンや死との向き合い方が変わった、中には死ぬのがまったく怖くなくなったと話す人もいたという。『研究者のひとりは、「それぞれが、身体によって認識する自己というものを超越し、自我からの解放を経験する」と答えている。「ジャーニーから戻ったとき、患者さんたちは新たな視野を手に入れ、すべてを受け入れる境地に至っている。」という』

一読したところ、「一時的にラリってハッピーになってるだけじゃん」としか思えないのだけれども、実際のところどうなん、というのを体験・調査していくのがこの『幻覚剤は役に立つのか』である。今の再ブームがどのような流れで起こっているのか。どのような研究や分析が存在しているのかと言った歴史をまとめなおし、さらには著者自身が実際にガイドを雇ってLSDやサイロシビンの投与を行って、その時自身がどのような認知状態、意識の状態に陥っているのかを綿密にレポートしている。

完全にラリった人間の体験記がこれでもかというぐらいに敷き詰められていて、これを読んで幻覚剤に興味を持たないでいることは難しいだろう。終盤に至っては、幻覚剤を投与した時に、脳ではどのようなことが起こっているのかを脳科学的に解説し、実際にガンで闘病中の人に用いられたケースや、うつなどの精神疾患に対して用いられた時の効果がきちんとした研究と共に紹介されていく。それによると、一時的に死の恐怖を忘れられるだけでなく、長期にわたって死に対する恐怖感などが減じ、世界観自体ががっと切り替わる(ことがある)のは確かなようである。

2006年

今のように幻覚剤研究が盛り上がり始めたのは、2006年の3つの出来事が大きいという。一つは、LSDの発見者であるホフマンの100年目の生誕祭だ(本人が生きていて、元気に出席した)。そこで行われたシンポジウムで神経科学、精神医学、意識研究といった様々な分野の研究者が一同に介し、盛り上がった。米国やスイスで幻覚剤を人に投与する実験に承認がおり始めていて、風向きが変わりつつあったのだ。

二つ目は、アメリカの連邦最高裁判所が、小規模な宗教団体にたいし儀式で使う幻覚性の茶の輸入を許可したことだ。アメリカには宗教的自由回復法があり、「断念しえない利益」がないかぎり宗教に介入することはできないと定められており、許可されたのだけれども、これによって、米国内で幻覚剤の儀式がにわかに流行しはじめた。

三つ目は、学術誌に発表された幻覚剤が人間精神にもたらす効果を調べた論文である。プラシーボを用いた二重盲検法を用いて、綿密な計画にもとづいて行われたものとしては40年以上ぶりのものであり、マスコミでも好意的にとりあげられた。これによって、幻覚剤をきちんと研究する気運があがっていくことになる。

体験記

他、幻覚剤の歴史の記述も多いが、読みどころの一つは著者の幻覚剤体験記になる。米国でも研究では解禁されているとはいえその対象は健康的な人ではないから、必然彼は非合法的な手段に出る。よくもまあノンフィクションを書くためとはいえそこまでやるものである。彼は地下ガイドにコンタクトをとり、まずLSDを試す。そこで彼は、家族の顔が次々と浮かぶ上がり、深い愛情に満たされることになる。

続いてサイロシビンを試すと、「私」は付箋と同じくらいの大きさの小さな紙束となり、自我が分裂、もしくはなくなったかのような特異な感覚に陥る。『私は確かにここにいるのだが、私自身とは別の何かになっている。そして、感情や感覚を持つ自分はもういないのに、なんとなく穏やかで満ち足りた感じは残っている。』。……。最後に、ソノランデザートヒキガエルからとれる幻覚性物質を用いたときも「私」が消失し、紙吹雪のごとく吹き飛ばされてしまったと語るが、こちらは「私は存在する」という感覚すら消え、「死ぬとこんな感じがするのか?」と問いかけるに至る。

どのように作用するか

簡単にまとめているけれども、どれも数ページ以上に渡る体験談の詳細な記述であり、これだけでも凄い。劇的な体験だが、本書でその後に語られるのはそれがどう脳に作用するのかという神経科学的な話だ。わかっていることは多くはないが、その成果は魅力的。たとえば、幻覚剤は通常時の意識システムを壊し、別の形をあらわにする。それによって、意識と神経科学の結びつきがより深く理解できるようになる。

近年の研究によって、脳は何も集中していないときでもデフォルトモード・ネットワークといって一部分が活発に活動していることがわかっている。で、このDMN時に自己あるいは自我の構築が行われていて、自伝的記憶とも関わりが深いと言われている。経験豊富な瞑想者の脳をfMRIでとると、瞑想者たちが自己を超越した時にはこのDMNが鎮静している=わたしが消えているのだけれども、これと同じことが幻覚剤を投与した人間でも起こっていることが同じくfMRIでわかる。

「より大きな全体に一体化すると感じる感覚」は幻覚剤特有のものだが、それは自己を形作るDMNの沈静化と深く関係しているのかもしれない。また、脳は物をみるときに「顔」をみているという特徴を発見すると顔をみているのだから凸面だと推測してそれに基づいて視覚情報を組み立てる。ようは「予測」して情報を取捨選択するわけだが、資格情報処理系など通常時は独立したネットワークが幻覚剤の影響下では広範囲にわたって入り乱れることで、通常とは異なる感覚がたち現れるのだ。

記憶や感情を司る領域が視覚情報処理領域とじかに交流するようになれば、希望や恐怖、先入観や感情が視覚に影響を与えはじめる。まさに、原初的意識の特徴であり、魔術的思考につながるレシピである。同様に、脳内システムに新たな結びつきができ、共感覚が生まれる可能性がある。

こうした状態は、先入観や経験を持たないがゆえに予測の精度が低い子どもの脳の状態とよく似ている、という指摘もおもしろかった。つまり、我々は似たような状態をかつて一度は経験しているかもしれないのである。

おわりに

はたして、実存的苦痛を取り除くために幻覚剤を使うのは本当にありなのだろうか。著者は完全にありだし、ガン患者以外にも解禁してほしいとまで主張しているが、それは個人を、社会をどのように変質させてしまうのか。僕個人としては死を前にした患者にならともかく、一般解禁はどうでしょうかとひいてしまうが、現代社会というのは人間の精神を意図する方向へと変容、ハックする方向に徐々に進みつつあり、その境界線はどこで引かれるべきなのか(どこまでの精神のコントロールは許されて、どこから先は許されないのか)、そのラインは、時代によって異なるのだろう。