- 作者:ロネン バーグマン
- 発売日: 2020/06/04
- メディア: Kindle版
というわけでこの『イスラエル諜報機関』は、そんなイスラエルの諜報機関がこれまで行ってきた暗殺作戦を、その最初期から現代に至るまで丁寧に追った一冊になる。イスラエルの諜報機関の情報って公開されてんの?? と疑問に思ったが、やはりまったく公開されていないみたいで、国防省に調査協力を求めても無意味。イスラエルの各情報機関に、法律の規定に基づいて過去の文書の資料開示を要求するが、なんと裁判所が共謀して手続きを引き伸ばしている間に法律自体が改正され、50年だった秘密保持期間が70年になってしまったという。お前はミッキーマウスかよ。
さらに、バイネームで著者の調査を邪魔するために彼の調査を阻む特別会議が開かれ、職員には個別の面談を行うなど厳戒体制をしかれていたようだ。そうした網をかいくぐって著者は情報機関のリーダー、現場の工作員、政界の人間などにコンタクトをとって情報を集め、7年以上に渡る期間を経て本書として結実した、という経緯のようである。実際、読んでみたらそのデータ、状況の描写の細かさと密度。そして単純な質量にぶったまげてしまった。上下巻で1000ページ超え、原注と作中だけで200ページある。読むのも圧倒的に大変だったが、いやはや、これがおもしろい!
当然ながら暗殺作戦なんてそうそう簡単にうまくいくわけではない。それをどうやって確実に成功させるのか、また失敗した時にどうやってリカバリーするのか。歴史の中では手痛い失敗も(人質救出作戦で突入する階を間違えて人質を何十人も殺されるとか)数多くやらかしていて、そのすべてが本書の中にまとまっている。
それだけではなく、時の変化の中には技術の変化、攻撃の変化も含まれていて、たとえば自爆テロに暗殺でどう立ち向かうのか。ドローンを暗殺にどうやって組み込むのか、倫理の崩壊にどう立ち向かうのかなど多くの論点が詰め込まれている。読むのに時間がかかるのは確かだが、とにかく凄いのだ。
そもそもなぜそんなに暗殺しなければいけないの??
しかしなぜイスラエルという国はそこまでの暗殺大国、諜報機関大国にならなければいけなかったのか。それは当然といえば当然だが、国家が直面する危機に対処するためだ。イスラエルという国は建国された瞬間から常に危険と隣合わせだった。
国家樹立宣言後の深夜に、周辺のアラブ諸国から送り込まれた7つの陸軍部隊がイスラエルを攻撃し、ユダヤ人集落を制圧し多数の死傷者を出している。イスラエルは素早く部隊を編成し、防衛・攻勢に回ったが、周囲の国家は新しい国家の正当性をまったく認めておらず、生まれたばかりの未熟な国防軍が一時的に撃退を重ねているにすぎない。そして、イスラエルの長く複雑な国境を防衛することは難しい。そうした状況で必然的に選択されたのがインテリジェンスに力を入れるという選択だった。
六月七日、ベン=グリオンはテルアビブの元テンプル会居住区にある自分のオフィスに、シロアッフをはじめとする幹部や側近を招集した。その場でシロアッフは、ベン=グリオンに次のようなメモを手渡した。「インテリジェンスは、われわれがこの戦争において緊急に必要とする軍事的・政治的ツールである。これを、(平時の)政府機関を含め、国が恒久的に利用できるツールにしなければならない」
この日、ベン=グリオンは3つの機関の設立を命じるが、それがシン・ベト、アマン、政治局(これが、一年後にモサドになる)であった。イスラエルの諜報機関の歴史はここからはじまるのである。
泥沼化していく暗殺
本書を通して読んでいくと、確かに所定の目標をあげているように見える暗殺も多いが(周辺国の核開発に関わる科学者を次々と暗殺してその開発進捗を止めたり)、まるで無意味にみえる暗殺もあれば、「いったいこの暗殺に意味はあるのか……?」と判断がつかないようなものもある。ただ、それに対する機関側の言葉が凄い。
たとえば、1990年代の後半からイスラエルは度重なる自爆テロに悩まされるが、自爆テロ犯をとめるのに暗殺を実行してもしょうがない。では、どうすればいいかということで2001年末以降は自爆テロ犯の背後にいる活動の基盤をターゲットにしようと、地域の工作員からタクシー運転手、自爆テロ犯の別れのビデオを撮影するカメラマンまで、広範な領域を暗殺対象に含めることになる。「そいつらも殺してもしょうがなくね?」と思うのだが、情報機関は自爆テロの指揮に積極的にかかわっているのは300人以下であり、ある程度殺してビビらせればテロも減ると考えていた。
誰かが暗殺されれば、すぐ下の人間がその地位を引き継ぐことになるが、それを繰り返していくと、時間がたつにつれて平均年齢は下がり、経験のレベルも落ちていく。イツハク・イランは言う。「ある日、PIJのジェニーン地区の指揮官が取調室に連れてこられた。たまたま殺さず生け捕りにしたんだが、その男が一九歳だと知ってうれしくなったよ。勝利が目前に迫っていることがわかったからね。われわれは、この男に至るまでの鎖の輪をすべて断ち切ったんだ」
殺し続ければいずれ代わりもいなくなるのは人間が有限である以上真実だが、なんともまあ……という感じの発想だ。そもそもこの対処をしているのも、イスラエルでハマスからの自爆テロ者が多いときには数日おきに爆発を起こして何百人も(2002年3月、自爆テロだけで女性、子ども含む138人が死亡している)殺していることへの報復措置なのであって、泥沼化しているよなと思いながら読んでいた。
兵士は明らかに違法な命令には従ってはならない
個人的に好きなエピソードは、首相が精神衰弱で実務が行えない状態で実験を握りつつあるシャロンに反抗した軍人らが従った教訓の話である。イスラエル国防軍には、訓練の際に教えられる教訓がある。その教訓が生まれたのは1950年のことで、イスラエルの国境警備隊が、外出禁止時間帯に仕事から戻ってきた大勢の住民を集め、射殺した事件に起因している。これにより女性や子どもを含む43人が死亡した。
裁判になったが、警備隊は夜間外出禁止令に違反したものは射殺せよという命令を守っただけだと主張した。だが、この時の判事はこれについて「兵士は明らかに違法な命令には従ってはならない」との判決を下した。これはホロコーストに対する意識から出てきた判決でもあるのだろう。以来、これはイスラエル国防軍の教訓になっている。シャロンは「ターゲット以外の人間も乗っている民間機であってもターゲットを殺すためには撃墜せよ」と命令を下したが、現場指揮官らはこれに背いたのである。
セラは言う。「命令を受けると、私はイヴリを連れてエイタンに会いに行き、こう言った。『参謀総長、われわれにこの作戦を実行するつもりはありません。絶対に行いません。ここが国防大臣の指揮下にあることは理解しています。誰も大臣には逆らいません。だからこそ、われわれが食い止めます』。
おわりに
長い歴史の中にはいろんなことがある。暗殺に否定的な立場の長官も幾人も現れるし、俺たちスゲーと調子にのって手痛い失敗に陥ることもある。驚くほど綺麗に決まった毒殺もあれば、グダグダになって人質の交渉合戦に持ち込まれて毒を持った相手に解毒剤を渡すこともある。だが、そのたびにイスラエルの諜報機関は変化し、最新技術を取り入れ、諜報・暗殺技術の向上に対して貪欲だ。とにかく、凄まじい本だった。