- 作者:デイヴ・アディ
- 発売日: 2020/08/18
- メディア: 大型本
取り上げられていく作品は、『2001年宇宙の旅』『エイリアン』『スタートレック』『ブレードランナー』など有名作ばかりの7作で、数自体は少ないが、代わりに映画に登場する一瞬しか映らないような文字でさえもどんな書体を使われているのか見つけ、それぞれがその映画においてどのような意味を持っているのか分析してみせる。タイポグラフィって要は書体を何にするか決めてどう配置するかぐらいでしょ? そんなに語ることあるの? と思うかもしれないが、これが超重要だ。
未来的と思わせる書体は確かにあるし、逆にレトロ感を感じさせる書体もある。それをどう配置し、使い分けるのか、ほんの一瞬しか映らないシーンでも、というより、一瞬のシーンだからこそ、考え抜かれたタイポグラフィが必要になる。たとえば、下記は商品ページにあるサンプル画像の一枚(『2001年宇宙の旅』のオープニングについて解説しているところ。一瞬のシーンだが情報がかなりの密。)
Eurostileと未来
たとえば、未来を表す書体の一つとして知られているのがEurostileだ。これが未来を表すものとして最初に機能したのはSF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』でのこと。オリオン号の操縦室のスクリーンの中で最初に出るほか、無重力トイレの長い注意書きなど、至るところでこの書体が使われるだけでなく、その後SF映画(『エイリアン』や『スタートレック』など)で幅広く使われていくことになる。書体のサンプルは以下(2001年〜で使われているのはEurostile Bold Extended)。
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これ、確かに未来的に感じられるのだけれども、それはなぜなのだろうか。欧文フォントの人気サイトを運営する専門家のスティーヴン・コールズは、書体が大衆化したりとあるジャンルと紐付けられるのには3種類の筋道があると本書のインタビューで語っている。1つ目は、ある書体が「これはSFの書体です」と明白に公言され、宣伝された場合。2つ目は、まったく違う用途で作られた書体が、あるジャンルにおいて大いに注目を集めて(2001年〜のように)、そのジャンルと結びついた場合。
3つ目が、ある書体がテクノロジーもしくはSF作品に関する何かを反映している場合だという。これはわかりづらいかもしれないが、たとえば60年代後半に描かれた未来像の多くは硬質のラインと水平方向の伸び、大きく空きの作られた空間などが特徴的であり、そうした特徴を兼ね合わせていることでSF感が出る(ストレートなラインで、幅が広く、空きがあって、外へと広がるような感じの書体)のだという。
また、一方で、あえて未来感を感じさせる書体を避ける、ということも映画の選択肢としては重要になる。リドリー・スコットによる『ブレードランナー』のオープニング・クロールは、古風な書体であるGoudy Old Styleを選択しているが、これはブレードランナーが未来の物語であると同時に、陰影のある古風な探偵物であることを表現している。Eurostileの使用をあえて避けることで、60年代に影響を受けたユートピア的とみなされる、前向きな未来像と切り離すことができたのだ。
インタビュー
本書には様々なインタビューが収められているが、その中にはEurostileの作者もいる。おもしろい話がたくさんあるが、書体デザイナーは小さなサイズを手掛けることに常に惹かれているという話が特におもしろかった。2ptみたいなサイズになると、小文字のoが小さな四角にしか見えないなど、制約が生まれる。だが、それでも人間が認識できるものにしようとするうちに、独自の声が生まれるのだという。
つまりこういうことです。小さなサイズの文字を作ると、その文字には味わいが、独自の声が生まれる。グラフィック・デザイナーが、何か強い声が必要なものに取り組んでいる場合、解決法のひとつは、小さいサイズのためにデザインされたタイプフェイスを拡大して使うことです。
Eurostileの前身も、Microgrammaと呼ばれる小ささを指向した書体である。こうした「小さくても機能するもの」を目指したからこそ生まれた独自性が、普遍的な魅力につながっているのかもしれない。
SF映画はどうあるべきなのか
本書はもちろんデザインの話が主軸なのだけれども、同時にSF映画・映像作品に関わる人達へのインタビューからは、「SF映画とどう向き合うのか」という言葉が紡がれていて、こちらも負けず劣らずのおもしろさがある。たとえば、アニメーションSF映画『ウォーリー』でデザイナーをつとめたラルフ・エグルストンとクレイグ・フォスターの二人へのインタビューは、作中にみられる「上昇志向の未来像」「次に何が可能となりうるか?」と希望に燃えた未来の描き方についての話が興味深かった。
エグルストンは、かつて70年代の前半あたりを境目にして、NASAを含めてありとあらゆるものの予算が削減されはじめ、『何が可能となりうるかではなく、何が可能かという時代になってしまった』と語っている。40年代から60年代後半にかけてのアートワークは「こうであるかもしれない」ものが描かれていたが、72年頃から、『「これはすごいアイディアだ、どうやったら実現できるか考えよう」ではなく、「予算とスケジュールを決めたから、それに合わせたアイディアを出してくれ」になってしまったんです』というような状況に変わってしまったのだと語っている。
そうした状況を突破し、人々に可能となりうる未来像を提示し、人々を鼓舞する役割がディズニーには求められていると思う、と二人が語る話なんかは、「SF映画でデザインを決めることの奥深さ」の一端があらわれてていておもしろい部分だ。
また、長年スタートレックシリーズにおいて背景美術スーパーヴァイザーをつとめていたマイク・オクダへのインタビューで、彼は「未来への夢を人に抱かせるというのは、SFが果たすべき義務なのでしょうか」と問われて、次のように答えている。
義務という言葉は強すぎますね。SFの義務は人を楽しませることです。そして楽しませるプロセスのなかにはストーリーを語るという行為があって、そのストーリーがたまたま、結果的に夢を抱かせたりするのでしょう。ストーリーを語るうちに、未来を予言することもあれば、ディストピアを警告したり、別の選択肢を提示することもあります。でも、どんなに素晴らしいアイディアを持っていたとしても、面白いストーリーを語らないことには何にもならないのです。
スタートレックに憧れて宇宙飛行士になった人、あるいは天文学者に、科学者になった人は大勢いる。日本のロボット工学者や人工知能学者にも、アトムに憧れて(世代がくだるとドラえもんへとシフトしていくという)その世界に入った人間が多いという。それはアトムやドラえもんに「未来にいそう!」と感じさせるリアリティがあったというよりも、「アトムやドラえもんがいてほしい、彼らがいる未来がきてほしい」という欲望があったからだろう。こうした、デザインの枠を超えた「SF映画」というものにたいする、デザイナーらの思いが聞き取れるのも本書の魅力である。
おわりに
記事が長くなってしまったのでとっとと退散するが、映画のタイポグラフィだけでなくデザインについて興味がある人にはマストバイな一冊なのでぜひ手にとってね。全編フルカラーで映画のシーンが大量にあるので、パラパラとめくるだけでも楽しい。