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二人殺すと天使によって地獄に引き摺りこまれるようになった世界で起こる連続殺人事件を描き出す特殊設定ミステリ──『楽園とは探偵の不在なり』

楽園とは探偵の不在なり

楽園とは探偵の不在なり

本書は、メディアワークス文庫から『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビューした斜線堂有紀による、二人以上の人間を殺すと天使によって地獄に引き摺りこまれるようになった世界の連続殺人事件を描き出す、特殊設定ミステリの長篇である。

特殊設定ミステリは大好物だが、本作の場合は単なる事件とその解決に関連した特殊設定というだけでなく、導入によって社会構造自体が大きく変わる「世界全体に波及するタイプの特殊設定」で、一番好きな部類だ。なので、そのへんをどう描き出してくれるのか、あるいはあまり描き出さないのかと戦々恐々としながら読み始めたのだけど、いやーこれが期待通りの逸品! きちんとこの事象が発生することによって社会がどのように変化したのかを描き出し、なおかつそうした社会構造の変容それ自体が、事件やテーマ部分にも密接に関わってくる、無駄のない美しいミステリだ。

特徴的な設定でありながらも殺人事件が展開するのは人のやってこない閉鎖された孤島✕館であり、館の凄腕の料理人、記者、武器商人、金持ちの天使狂いなど、怪しげなやつが勢揃いで、古典的なミステリの雰囲気をたずさえているのもグッドポイント。作品の根底に通じるテーマはテッド・チャンの短篇「地獄とは神の不在なり」に影響を受けていると最後に語っていることもあって、SF読者的にも満足できる一篇になっているのではないか。たいへんにおもしろかったので、本書を読んでから、すぐに「地獄とは神の不在なり」を読み返してしまったもんな。当然、おもしろかった。

世界観とか

世界観的には、最初に書いたように「二人以上の人間を殺すと天使によって地獄に引き摺りこまれる世界」なのだけれども、ここがまず深堀りされていくことになる。たとえば、天使は二人以上殺した時どこからともなく現れるのではなく、最初からその辺をふよふよ浮いている、翼を持っているが、それは鳥類の持つような羽毛に覆われた灰色がかった骨っぽいもので、妙な嫌悪感を覚えるという。顔は削られたような平面になっていて、シンプルにいえば天使とはとてもいいがたい見た目をしている。

天使が最初に出現したのはとある国で起きた紛争の最中であり、兵士の一人が逃げ惑う村人を撃ち抜いた時空から光の柱が降り注ぎ、天使たちが飛び出してきて兵士を炎に輝く地面に引きずり込んだという。それが『降臨』と呼ばれる瞬間であり、以後二人殺すと地面に引き摺り込まれる世界へと切り替わることになる。「二人殺すと」といっても、そこには様々な疑問が湧いてくるだろう。たとえば殺意の有無は関係しているのか? 電車の運転席に座っていて自殺者が飛び込んできたら運転者が「殺人者」になってしまうのであれば、誰も電車の運転なんかやらないだろう。

純然たる善意で「絶対に病気にきくから」と信じ込んで他人に毒を飲ませて死んでしまったらそれは「殺した」ことになるのだろうか? 医療現場での手術ミスで死んでしまったら? 死刑執行人は存在し得るのか? そうした様々な疑問が思い浮かぶが、物語が進展するにつれ一個一個穴は塞がれていくので、安心してもらいたい(電車の例は僕が思いついて書いただけで塞がれないが、たとえば殺意がなかったとしても毒を飲ませて死んだらカウントされてしまう。死刑執行人は存在できず、どちらにせよ二人殺したら勝手に地獄に落ちるので、全世界的に死刑制度が廃止されるなど)。

探偵と天使

おもしろいのが、この「天使と地獄が存在する世界における宗教観」だ。我々の世界とは違ってこの世界には確かに地獄と天使がいるわけだから、すべてを天使、あるいは神のせいとすることも難しい話ではない。天使と地獄があるのならば、天国もあるだろうと想像するのも自然な流れである。天使がいるのなら神もいて、『降臨』以後の世界では起こることすべてに意味があり、偶然はないと受け入れる信仰者もいる。

この世界では、連続殺人事件が存在できなくなったかわりに、「一人までなら殺してもいい」と解釈する人間が増え、殺しが多発するようになった。また、二人殺したら地獄行きであるならば、それ以上の人間を道連れにしてやろうとする無差別テロも。天使がいる世界であっても、こうした不条理な人間による不条理な死はなくならないし、むしろ、天使がいるからこそ、死への疑問は強くなる。なぜ、天使がいるのにこんなことに? なぜ、裁かれるべき人間が裁かれず、死ぬべきではない善人が死んでしまうのか? 本書の主人公・探偵の青岸焦もそんな状況に直面する一人である。

天使の存在を、疾病の蔓延や災害によって世界のルールが変わるような事象とみなし、「不条理の象徴」とみなすものもいる。理屈・理解を求める探偵と不条理の象徴たる天使の存在は相性が悪い。ミステリーの解決篇における、探偵の推理の開陳を司法の代理のようなものだとすると、天使が司法の代わりになっているこの世界においてその役割はどこにあるのか、そうした「探偵の役割」とは何なのかが、青岸焦の葛藤と孤島での連続殺人事件の調査を通じて描かれていくことになる。

あらすじとか

物語の舞台となっているのは常世島という孤島だ。そこは富豪で天使を信仰している常木王凱が、天使が多く集まるからという理由で購入・所有している。そこに記者の報島、天国研究科の天澤など名だたる面々が「天国が存在するか知りたくないか」といって呼び出されるのだが、その中に探偵の青岸焦も含まれている。

楽園と称される夢のような島だが、しかし最初に常木が殺されているのが発見され、そこから日をおいて徐々に死者が増えていくことになる。天使ルールがあるので、一人の人間が二人以上を殺したことはありえない。であれば、どのようにして、なぜ死者は増えていくのか──。もちろんルールの穴などつかなくても、単純に10人いるのであれば1人1殺で5人まで人数を減らすことは可能なわけだけれども、途中からどんどん死者が増えそれでは計算が合わなくなってくる。はたして、誰が、どのようにこの連続殺人事件を仕組んでいるのか──と、それは解決編を読んでのお楽しみで。

おわりに──地獄とは神の不在なり

本書の書名元でもあるテッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」も世界に突如として天使と天国と地獄が現れた世界だ。時折世界には天使が降臨し、快癒不可能な病気を治し、幾人かを犠牲にして去っていく。死んだものは天国か地獄に行くが、地獄には神がいないというだけで、他は何ら変わりがない世界が続くようである。

神を敬虔に信仰する妻セイラを天使降臨の際に失い、自分と神との関わり合いを再検証する必要に迫られた一人の男ニール・フィスクの人生を通して、神が実在する世界の様相、「悲劇」をめぐる解釈、美徳が必ずしも報われるわけではないという不条理を描き出していく。本書(楽園とは〜)とテーマ的に響き合う作品なので、どちらかを読んで気に入った人は、もう片方も手にとってもらいたいものだ。

あなたの人生の物語

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