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予知能力を持った一人の女性の人生を2043年まで描きあげた『クラウド・アトラス』著者による幻想文学──『ボーン・クロックス』

ボーン・クロックス

ボーン・クロックス

この『ボーン・クロックス』は、19世紀から第二次世界大戦前、1970年代に現代ロンドンと幅広い年代&場所&職業の人間を通して一枚の複雑な絵を描きあげた『クラウド・アトラス』で知られるデイヴィッド・ミッチェルの6作目の小説である。これまでの作品と同じく、複数の時代や特殊能力を持つ人間を語り手に据えながら、パズルが組み上がっていくように大きな世界を築き上げてみせる、壮大な幻想文学だ。

最初の舞台になるのは1984年、イギリスのケント州で暮らす当時15歳のホリー・サイクスだ。親に年上の彼氏との交際に反対されたことから思春期らしい反抗性で家出を決意。その直後信じていた恋人に浮気が発覚して裏切られ、親を少し懲らしめてやるためにも、頼れる人がいない中数日間なんとか一人で生きていこうと四苦八苦するのだが、その過程で想像だにしない事件に巻き込まれていき──と、思春期の苦悩や葛藤を、これだけでも一つの長篇として成立するぐらい緻密に描きあげていく。

ホリーには頭の中で誰かの声がする、予知的な能力が発動する、わけわからないことばかりいって飲ませてくる釣りをしているババアと遭遇する、突如として謎の勢力の攻撃を受け、記憶改変を受ける。弟が突如謎の失踪をするなどの数々の〝超常現象〟に襲われていくが、読み始めてからしばらくはこうした謎が明らかになることはない。物語が進むにつれて、次第にこの世界の裏側──一読してさっぱり意味がわからなかった数々の事件や描写の意味が、明らかになってくることになる。

物語の構成

物語は全体で6つに分かれている。二部は1991年、ケンブリッジ大学の学部生であるヒューゴ・ラムが語り手になり、家出事件から7年経って20代になったホリーとの邂逅とロマンスが語られ、三部は2004年、ホリーのパートナーとなり子どももいる戦場ジャーナリストの視点から語られる家族とイラクについての物語だ。

四部では2015年に舞台を移し、批評家によって自身の名声と本の売上を傷つけられた作家クリスピン・ハーシーの復讐が描かれ、五部では25年を舞台にこうした歴史の裏側で起こってきた〝時計学者(ホコロジスト)〟と〝陰者(アンコライト)〟の最終戦争が。六部では疾病の蔓延や環境の変化により終末的な状況に到った2043年の世界で、歳をとり死の近いホリーの語りに戻って物語が締められることになる。

すべての語り手は何らかの形でホリー・サイクスと関係性を持っており、時代ごとにホリーの年齢的、社会的な立場、考え方の変遷などが描かれていて、「いったいこの時代のホリーはどうなっているんだろう」と章が変わるたびにワクワクさせてくれる。たとえば最初のホリーはどうみても子どもで衝動的だが、第二部でヒューゴ・と出会ったときには恋愛も経験し大人な対話ができるようになっていて成長を感じるし、三部では子どもも生まれ夫や娘をどうまとめていくのかという家族の問題に奔走し、四部では自身の特殊な予知や声を聞く経験を著した本によって世界的な名のある作家となり、癌におかされ死と向き合っている。第五部では戦争に巻き込まれ、第六部では孫が生まれていて、共に終末的な状況において終わりへ向かう日々を過ごす。

〝時計学者(ホコロジスト)〟は輪廻転生のようにして死んだ後、他の人間の体に魂として宿ることによって事実上の不死となり、〝陰者(アンコライト)〟は相性の良い他者を儀式的に殺害することによって延命を達成し、と両勢力とも人の一生にとらわれない時間超越の能力を持っている。一方で、ホリーはたしかに予知などの特殊な能力を持っているが、その始まりがあまりに普通であることからもわかるとおり(癌におかされて死にかけていることからも)基本的にその内実は普通の人間だ。

本書の書名はアンコライトが死すべき運命にある普通人にたいして使う「骨時計」という言葉からきているが、そうした超越的な能力を持つものらが跳梁跋扈する世界で、まっとうに生きて、その人生を終えていく、ホリーという「普通の人」の人生が、逆に際立ってみえる。

おわりに

幻想文学として高く評価されているが、物語の後半が終末的な未来であること、〝時計学者(ホコロジスト)〟と〝陰者(アンコライト)〟の最終戦争など、SF的なプロットもおもしろいので、SFファンにも楽しんでもらいたいところ。600ページ&5千円超えというのはちょっと気軽に読んでくれとは言い難い存在感を放っているが……。

ただ、第五部を除いては特殊な用語や世界観が前景化することもほとんどなく、どこまでもリアリスティックに徹する〝現実性〟とSF度の高い〝非現実的〟な部分が分割統治のごとく自然と同居しているように見えるのもおもしろい。作家の語りパートである第四部では、作家のクリスピン・ハーシー今書いている小説について、「三分の一だけファンタジーだ。多くても半分か」と答えて、「半分ファンタジーの小説なんてないよ。女が半分妊娠なんてありえないのと同じことだ。」と返答されているが、この本(『ボーン・クロックス』)のことを言い表しているようだ。