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テクノロジーの進歩で記録はどれだけ伸びてきたのか──『スポーツを変えたテクノロジー アスリートを進化させる道具の科学』

スポーツとテクノロジーは切っても切れない関係だ。ほぼ裸の人間が水中を泳ぐだけの水泳のような一見テクノロジーが一切関係ないようなスポーツでさえも、水着テクノロジーの進化によって世界記録がバンバン塗り替えられる事態が起こった。

テクノロジーの重要性は競技者のみに作用するわけではない。テニスではボールがインかアウトかを判定するには高度なカメラとシミュレーション技術が使われている。陸上競技でも正確な時間の測定はテクノロジーの進歩を待たなければならなかった。現代の技術ではピストルの音とともに計時がはじまり、フィニッシュラインを横切る光のビームを選手が通過すると終わる。精度は100分の1秒だ。これを人間がやると、人間がストップウォッチのボタンを押すわけだが、脳がスタートを認識してから手を動かすまでにおよそ0.2秒かかってしまい、それがタイムに反映される。

この『スポーツを変えたテクノロジー』は、そうしたスポーツに関連したテクノロジーを広く集めた一冊だ。最新のスポーツ・テクノロジーを解説するだけでなく、(存在している競技は)古代ギリシャの時代までさかのぼって、そのスポーツでどのような道具・技術が使われていたのか、それがどのように変化・進歩してきたのかも描き出す、歴史物的なおもしろさもある。著者のスティーヴ・ヘイクはスポーツ工学の専門家で、アディダスやプーマのような企業や国際サッカー連盟、国際テニス連盟、オリンピックと複数種類のスポーツ・分野にまたがってその技術を提供している凄腕。

テクノロジーが進歩すると記録はのびるが、のびすぎるとスポーツ競技自体を壊してしまう。たとえば、あるスーツを着るだけで記録が5秒も10秒ものびるのなら、その人物が世界記録を作ったとしてそれはその人物の実力なのか、「凄いスーツを着ただけで勝てる」人間はどうでもいいテクノロジーの競技になってしまったのかという問題が出てくる。大会などを開く競技側は「どこまでは許して、どこからは許さないのか」「許すとして、ルールは変えるのか」の線引をする必要があり、そうした競技側と技術開発側の葛藤の話も随所に差し込まれていてたいへんにおもしろかった。

テニス

本書の構成としては、「走る」「テニス」「自転車」「ボブスレー」「パラスポーツ」のように、競技・種類ごとにその歴史と現在のテクノロジーまでを概観していく流れになっている。どの項目もおもしろいのだが、技術の進歩とルールの改定が激しい「テニス」は中でもこの分野(スポーツテクノロジー)のおもしろさがよく出ている

1977年、テニスの公式大会で「スパゲッティ・ラケット」と呼ばれるラケットを使った選手が、それまでほとんど勝てていなかった相手をやぶる事件があった。通常縦横交互に編み込まれた通常のラケットと違って、こちらは縦糸が張ってある面が二面あり、横糸の上をすべりやすく通常のラケットよりも5割強いスピンがかかるという。それまで、ラケットについてのルールは「ラケットはフレームとガットで構成されていなければならない。フレームの素材や重さ、大きさ形は問わない」とシンプルなものだったが、この事件があってから「ガットは交互に編まれるか、交差した位置で接着されていなければならず、それぞれのガットはフレームに繋がっていなければならない。」とより複雑になった。だが、もちろんこれで技術の発展は止まらない。

ラケットの大きさも素材も縛られていないのだ。そこで次に出てきた大きな改変はラケットのヘッドを大きくするというシンプルなものだった。もともと特大のラケットにするためにガットを強く貼りすぎるとラケットが歪んでしまう問題があったのだが、それも木製のラケットだからで、アルミを用いることで解決された。この新型ラケットで、フェイスの幅が10%広がり、慣性モーメントは21%増大。これで中心から外れた位置にボールがあたった時もラケットがグリップの部分でねじれにくくなり、ボールがネットを超す可能性が高まって、テニスの技術も習得しやすくなった。

1977年の時点ではほとんどすべてのラケットが木製だったが、1986年には木製ラケットは姿を消した。素材の変化によってラケットを大きく、軽くできるようになったら競技の性質が戻せないほど変わってしまうと国際テニス連盟は今度はラケットの長さを約81センチとするルールを導入した。だが、それでもカーボンナノファイバーが主流になりさらにラケットが軽くなると速いサーブと力強いリターンが主流になり、サーブする側が著しく有利になり同じような場面が繰り返され単調になってきた。

そこでまた対策がとられるのだが、今度はラケットに対する規制ではなくボールの大型化が検討された。著者らも関わったこの試算では、ボールを大きくすると受ける側がサーブに反応できる時間が2.5%ほど延びることがわかったという。僅かな時間だが、強力なサーブを抑制して試合を面白くできる。こうした「競技を壊さず、見ている人が楽しめるようにする」ための技術と競技側の攻防が日夜続いているのだ。

未来のスポーツテクノロジーはどうなるのか?

未来のスポーツはどこへ行くのか、という観点の話もおもしろい。たとえば、スポーツにおける道具の進化の多くは素材の変化によってもたらされてきたが、今有望視されているのはグラフェンと呼ばれるものだ。原子1個分の厚さで炭素原子が格子状に結合したグラファイトで、鋼鉄より200倍強く電気を通しやすく紙よりも薄い。

テニスラケットをより軽くすることもできるし(ただ、軽ければ軽いほどいいわけではないらしいが)、ゴルフボールに混ぜることで反発係数を上げることもできる。また、全スポーツに関係してくる可能性があるのが、脳への干渉だ。経頭蓋直流電気刺激という手法を用いて運動皮質を刺激する装置があり、10人の自転車選手がこれを試したところ、選手たちの仕事率は装置を作動させていないときに比べて4%前後あがったという。あんまりたいした数字じゃないな〜という感じだが、今後パフォーマンスの向上にこの手の脳の働きを利用するものは増えてくるだろう、としている。

遺伝子治療薬や遺伝子改変を用いた「遺伝子ドーピング」が行われる可能性もあるが、現状はまだそうした存在が登場した兆候はない。

おわりに

ゴルフボールが進化し、飛距離を伸ばすことをメーカーは指向するが、飛距離が伸びすぎるとコースが一瞬で消費されゲームとしてのおもしろさが減ってしまうというメーカー側と競技運営側の攻防であったり、パラスポーツでの義足や車椅子の性能・機能の解説であったり、合計で43個もの世界新記録が出たローマでの水泳選手権で猛威を奮った新型の水着はどのような機能を持ったものだったのか(禁止された)など、おもしろいトピックが大量に盛り込まれているので興味のある人は読んでみてね。