基本読書

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なぜ今感染症のリスクが増大しているのか──『史上最悪の感染症 結核、マラリアからエイズ、エボラ、薬剤耐性菌、COVID-19まで-』

COVID-19が2019年から流行をはじめてから、日本でも怒涛の勢いで感染症関連のノンフィクションが刊行されはじめた。書き飛ばされたようなものから長年準備されてきたものでタイミングがあったもの、復刊に文庫化などいろいろあるのだけれども、良かったことの一つはこれまで翻訳されていなかった素晴らしい本がこの機会に発見されて翻訳されていることだ。この『史上最悪の感染症』もそんな一冊である。

著者のマイケル・オスターホルムはアメリカの疫学者で、ミネソタ大学感染症研究・政策センター所長。長年に渡ってアメリカの感染症対策に関わってきた人物だ。本書は2017年に刊行された感染症についての一冊で、今なぜ感染症対策が非常に必要とされているのか、今もし致命的なインフルエンザが蔓延したら世界中でどれほどの被害が出るのか、バイオテロの可能性についてなど、広範に語っている。

それだけでも十分すぎるぐらいにおもしろいが本書にはそこにさらに「2020年版に向けての序文」として現在の状況に向けての文章が追加されている。だが、重要なのは、COVID-19がどうというよりも(目下はこれが最大の問題なのだけれども)、現在の世界はそもそも感染症が蔓延しやすく、その被害が出やすい状況にある、これから先はもっとひどいことになるということだ。『世界は一〇〇年前とはすっかり様変わりしている。二五年前と比べても、まるで別世界だ。そして、起きた変化のほとんどすべてが、人間と微生物の戦いにおいて微生物側に有利なのだ。』

微生物側に有利な状況

なぜそうなるのか? 要因は主に3つあるという。1つは、公衆衛生とは本来協力を必要とするもので、特に世界が簡単に行き来できるようになった現状ではなおさらそうだ。世界最大規模の天然痘根絶プロジェクトが成功したのは、当時最大だった国家であるアメリカとソ連がそこで合意し、協力できたことが大きい。ところが、今ではソ連は崩壊、超大国である中国とアメリカはにらみ合い、EUは分裂、COVID-19はその溝を埋めるどころかさらに広げた。全世界的な協力体制がとれる状況ではない。

2つめの要因は、人口が急増傾向にあり、人間と動物の距離が近くなっていることだ。人間が増えただけならまだマシで、増えた人間を効率的に養うために大量の家畜──鶏や豚──を飼育する必要があり、その数が増えれば増えるほど中で新たなウイルスや細菌が育つ可能性がある。1960年に30億羽いた鶏の数は、現代では200億羽以上。豚も4億頭以上生産されている。しかも、彼らを病気から守り成長を促進させるために大量の抗生物質が使われ、耐性菌の出現を促している。スーパーで安い鶏肉を買っていると気づかないが、裏側はなかなかえげつないことになっているのだ。

3つめの要因はグローバルな人の移動と貿易の変化だ。おびただしい数の人間と動物が地球上を移動しており、今ではどこか一国で発生した感染症であってもあっというまに世界中に広まってしまう。しかも、病気が蔓延するだけではなく生産・製造拠点もグローバル化しているがゆえに、従来とは比べ物にならないほど物流に影響が出る。アメリカで扱われているジェネリック医薬品はほぼすべて海外で製造されているが、仮にその製造拠点の国で大規模な感染が起こると、医薬品を手に入れることができないためにアメリカの主要都市で多くの命が失われることにもなる。

こうした状況を指して、マクロ経済学者のローレンス・サマーズは全米医学アカデミーのグローバルセキュリティについての基調演説で、次のように語っている。

 我々の目の前に置かれた諸問題のなかでも、パンデミックとエピデミックは、政策の注目度の低さに比べて、世界に与える影響が非常に高い課題と言える。人類にとってこれほど重要度が高く、これほど注目されていない課題はない。直接的な形で比較してみよう。もし現在のような状況が続けば、次の一〇〇年間でエピデミックとパンデミックによって人類が負うことになるコストは、地球規模の気候変動で予測されるコストと同程度──二分の一から二倍、あるいは三分の一から三倍の間──の規模となるはずだ。気候変動に比べてこの問題が集めている注目の少なさに私は衝撃を受けている。

しかも、こうした感染症は「いつとは断言できないが、必ず起こる」。本書刊行後にCOVID-19が流行したように、首都直下型の地震や南海トラフ地震、富士山の噴火がいずれ起こるように。これは見えている脅威であり、だからこそ我々はその対策をしなければならない、と著者は語る。『インフルエンザ・パンデミックは、予測がつき、そのための準備が可能な脅威だからだ。二〇章でも説明したように、必要なのはユニバーサル・インフルエンザ・ワクチンとも呼ばれる、革新的なワクチンだ。』

ユニバーサル・インフルエンザ・ワクチン

どんなインフルエンザにも効果のある、ユニバーサル・インフルエンザ・ワクチンはまだ存在しないが、もし仮にそうしたものを作れるのであればゲームルールを変えるほどの大きな影響がある。そもそもなぜ今インフルエンザ・ワクチンを毎年打って、しかもその効果があったりなかったりするのかといえば、ウイルスが容易に変異するため、それ以前のワクチンや抗体では役に立たなくなってしまうからだ。

ワクチンが効いたり効かなかったりするのは、世界規模の調査に基づいて次に何が流行るのかを予測して開発されるからで、この調査は完全に信頼できるものではない。だが、A型インフルエンザは、18種類のHA亜型と11種のNA亜型をそれぞれひとつずつ持っていて、人の感染はHA1、2、3、5、7、9。NA1、2、9によって引き起こされる。なので、最低限このHA6種とNAの3種類から防御できるワクチンを開発できれば、インフルエンザによるパンデミックを脅威リストから取り除ける。

インフルエンザなんて毎年起こってるから余裕でしょ? と思うかもしれないが、インフルエンザは軽いものから重いものまで様々で、その一種であるスペイン風邪は1億人以上もの人間を殺したとされる。著者も現在の知識と世界の状況から致命的なインフルエンザが流行った時のシミュレーションを行っているが、世界の死者数は約3億6000万人、感染者数は22億、死者の平均年齢は37歳としている(平均年齢が若いのにも理由がある)。ユニバーサル・インフルエンザ・ワクチンの開発には莫大な資金が必要だが、それだけの被害が出ることを考えたらチャレンジする価値はある。

おわりに

COVID-19は目下最大の脅威だが、だからといって感染症の脅威はこれで終わりというわけではない。むしろ、脅威としてはこれから先の方が大きいのだ。耐性菌が増え、世界の密度はさらに増し、世界の協調は十分ではない。国レベルで動くことであって、個人ができることはあまり多くはないが、自分たちが世界の中でどのような状況の中にいるのか、それを把握するために読むとおもしろいだろう。

全然紹介できなかったが、本書は副題に入っているように結核、マラリア、エイズ、エボラに薬物耐性菌、バイオテロについてまで広く取り扱っているので、ぜひ読んでみてね。この100年ぐらいの感染症の流れはざっと抑えられるようになっている。