基本読書

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生命から都市まで、すべてを定量的に予測する枠組みを導き出す一冊──『スケール 生命、都市、経済をめぐる普遍的法則』

この『スケール』は、副題にあるように、生命、都市、経済、すべてに共通する普遍的法則についての一冊である。たとえば、ネズミはだいたい2〜3年しか生きられないのに、なぜゾウは75年も生きるのか。そして、なぜこれほど寿命に差があるのに、生涯心拍数がゾウ、ネズミなど哺乳類は約15億回付近に集約しているのか。

哺乳類の代謝率が体重の4分の3乗で比例していくのはなぜなのか。都市では、人口に比例して特許件数も犯罪件数もGDPも一定の割合で増えていく。人口が増えりゃそりゃ特許も犯罪件数も増えるだろう、と思うかもしれないが、それが一定の割合で増えていくのはなぜか。どこかで限界を迎えるのか、ないとしたらどのような規則がその裏側で働いているのか。本書は、生命から都市まで、すべてを定量的に予測する枠組みを導き出す、スケーリングとその背後にある一般原理についての本である。

こうした多様で無関係に見える各種の問題に取り組むにあたって、わたしが使うレンズの大部分はスケールと、科学という概念的枠組みになる。スケーリングとスケーラビリティ、つまりものがサイズに応じてどう変化するか、そしてそのときの基本法則と原理は、本書全体の中心テーマであり、本書のほぼすべての出発点だ。このレンズを通して見ると、都市、企業、植物、動物、人体、果ては腫瘍でさえ、その構成と機能は驚くほど似ている。

著者は理論物理学者で、数学・物理用語を駆使しながら生物に都市に社会に船の大きさまであらゆるものにこの考え方が当てはまるのかどうかを確認していくうえに、文章が異常に回りくどく過剰なのでかなり読みづらいのだが、生物と都市と経済が繋がるその壮大さには実にワクワクさせてくれる。

生物の規則性について

「スケーリング」は、簡単に言えばサイズが変化した時にそれがどう反応するのかという話である。たとえば、動物は体重が半分になったとしたら、維持する細胞・体も半分になっているわけだから、必要な食料も半分になるようなきがする。これは、要するに「線形に推移する」スケーリング的な考え方をしていることになる。

だが、実際には、体重が半分になったからといって必要な食料は半分にはならない。たとえば、体重53kgの女性が一日生きるだけで消費する基礎代謝、カロリーは約1300キロカロリーほどだ。その半分の体重の犬が消費するカロリーは、750ではなく一日約880キロカロリーとなる。この代謝率は、犬と人間の間にだけ成立する比率ではなく、哺乳類で最も大きく体重が100トン以上あるシロナガスクジラまで含めて、哺乳類はほぼこの比率におさまる。体重のほぼ4分の3乗が代謝率になるのだ。

ゾウはネズミの1万倍重いが、ゾウの代謝率はネズミの千倍でしかない。大きければ大きいほど重量あたりの必要エネルギーが小さくなるので、小さな動物よりも代謝効率は良くなる。これは、代謝効率に限った話ではない。成長率、樹高、進化速度、寿命まで同じ規則性を持つ。大きい動物は小さい動物よりも長生きだし、心拍数は遅く、成熟に時間がかかる。それも一定の比率で。なぜそんなことが起こるのだろう。異なる生物なのだから、一定の規則で決定しているのはおかしいように思う。

哺乳動物の大きさが分かれば、スケーリング則を使って、測定可能な特徴はすべてについて平均値がわかる。一日に必要な食料、心拍数、成熟にかかる時間、大動脈の長さと半径、寿命、子の数まで。生命の途方もない複雑さと多様性を考えると、これはかなり驚きだ。

だが、生物は大きく違うとはいっても、我々は同じ物理法則の下に生きている。しかもその姿・形・生命の仕組みは長年の進化の歴史の中でかなり最適化されてきているので、実は我々が思っているほど「大きく違っている」わけではない。生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドは『ワンダフル・ライフ』の中で、仮に進化の過程をゼロから再現したならば、今とは異なる生物界が現れるだろうと語ったが、現代では物理法則が今と同じ過程を経る以上、同じ形になるだろうとされている。

たとえば、生物は必ずエネルギーを必要とするが、その生産・やりとりには、あらゆる生命の代謝エネルギーの通貨と言われるATPと呼ばれる分子が用いられていて、血液や酸素を行き渡らせる毛細血管は哺乳類の場合は人間でもネズミ、ゾウ、クジラでも体の大きさに関わらず同じ。さらに、長い進化の歴史の中で、人間を含む哺乳類の心臓が血液を循環系に送り出すために使うエネルギーは平均では最小化されている。

血液循環のエネルギー消費が最小化されていること、毛細血管かそれに類するものは、必ず身体全体を満たすこと(植物や樹木は脈動を用いず、清水圧力による繊維束ネットワークだが、全体に充填するのは動物の身体と変わらない)、そしてそれらの機能が複数生物間で不変であること。こうした3つの前提条件によって、サイズに伴ってスケールする特質が大まかに説明できるというのだ。『理論の概念的枠組みの基礎となっているのは、これらの物理的デザインが完全にちがっても、どの種類のネットワークにも同じ三前提からの制約があることだ。空間充填、不変の端末ユニット、システム内に液体を送り込むために必要なエネルギーの最小化の三つだ。』

都市について

本書がおもしろいのは、こうした生物のスケールについての議論を都市や経済といった他の分野にまで拡張していくところにある。たとえば、前記の三前提は都市にもあてはまる。都市のインフラ・ネットワークは空間を埋め尽くすようにして存在している必要があるし(空間充填)、都市の建物にサービスを提供して維持しているネットワークの電源コンセントや蛇口といったものの多くはどの都市にいってもおおむね同じである(端末ユニットの不変性)。最適化もまた、都市では様々な面で行われている。

では、都市ではたとえば体重と代謝エネルギーのような何かがあるのかといえば、ものすごくたくさん紹介されている。たとえば、都市の人口サイズにたいして、多くのデータセットが1.15に近いべき乗スケーリングを示している。人口に応じて所得、特許、GDPがこの数値で増えていくだけでなく、犯罪発生件数も増えていく。『都市が大きいほど賃金は高く、GDPも大きく、犯罪も多く、AIDSやインフルエンザの症例も増え、レストランも多く、特許も多い等々で、しかもすべてが世界中のあらゆる都市システムで、一人あたりで見ると「一五パーセントルール」に従っているのだ。』

おわりに

人口に応じて特許や犯罪件数が増えることは不思議なことではない。しかし、一定の比率で増えていくのなら、生命と同じように都市にも生物と同じような一般原理が存在するということなのか。本書では、都市だけではなく企業や生物の死と生にたいしてもこうした考えを推し進めていて、エキサイティングな内容に仕上がっている。

ラスト10章は「持続可能性についての大統一理論の展望」といって、超指数関数的成長を遂げて有限時間シンギュラリティに近づいた時の停滞と崩壊をどうすれば回避できるのかという話になっており、この辺になるともうなにを言っているんだかよくわからんのだけど(訳者解説の山形さんも10章(と5章)についてはかなり批判的)、おもしろそうなところだけ拾い読みしても十分楽しめるだろう。

上巻が主に生物の話で、下巻が都市と企業についての話である。