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「最初の患者」たちが果たした役割を正当に評価する──『0番目の患者 逆説の医学史』

0番目の患者 逆説の医学史

0番目の患者 逆説の医学史

この『0番目の患者』は、医学においてスポットライトがあたり、病気の名前を冠されることも多い、それを発見したり治した医者の方”ではなく”、その症例をはじめて発症した患者の方に注目した、副題にあるように逆説の医学史である。

最初の患者っていうんだったら0番目じゃなくて1番目の患者なんじゃないの、と思うけれども、感染症学では集団内ではじめて特定の感染症にかかった人のことを「ゼロ号患者(Patients Zero)」と呼ぶ慣習があり、本書はそれに則っている。これは通常感染症患者にたいして用いる言葉だが、本書ではその定義を意図的に拡大解釈し、アルツハイマー病、AIDS、外科医学に精神医学など様々な領域に適用している。

最初の患者たちの役割と成果を正当に評価する

0番目の患者ってだけでそんなに書くことある? と疑問に思いながら読み始めたのだけれども、すぐに患者の側にも様々なドラマが存在していることに気がつく。名前のない病気にかかる時点で十分に悲劇的であり、治療法も確立されていないので、悲惨なケースに発展するケースも多い。さらに最初の患者として長く不快な検査に耐え、死体を提供してきた彼らがいなければ医学の発展など存在しなかったわけだ。

 近代医学の誕生は、医師が患者と向き合い、対話しながら診察するようになってからのことだ。とはいえ、これまでの医学史は患者をないがしろにしたまま、医師の手柄話、治療法や試行錯誤の過程など、もっぱら医師たちに焦点を当てつづけてきた。しかし、野戦病院や臨床の現場、検査室、診察室で自らの身体や傷口を辛抱強くさらしてきた者たちこそが、医学の歴史に大きな貢献をしてきたのだ。

近代医学の祖としてたたえられるアンブロワーズ・バレは、戦場で負傷した兵士たちの手足の傷口を手当するのに、当時一般的だった煮えた油をそそぐ灼熱止血法の代わりに血管を糸で縛って止血したが、これだって新しい治療法を受け入れた兵士たちという0番目の患者あってこそのものだ。本書は、このように医学史の中では忘れられがちな、最初の患者たちの役割と成果を正当に評価しようとしていく。

傷害を負うことで医学に貢献した患者たち

今はMRIなどを使って頭蓋骨や体の中をみられるようになったが、それ以前は、異常があるのだとしたら患者の死を待つ必要があった。死後解剖することで、脳の(その人だけの)特質が明らかとなり、病気と脳の特性が紐付けられるのだ。

たとえば、最初に紹介されるのは脳の言語領域の特定に貢献した男タンタンだ。完全に言語能力を失っていて、何を聞かれてもタンタンとしか答えられなくなったこの男は、壊疽の症状が現れなすすべもなく死んでしまう。病棟のポール・ブローカという高名な教授が死体を解剖したところ、左大脳半球の前頭葉に神経梅毒による損傷を見つけた。ブローカはこの損傷が言語障害に関係しているとし、それが脳の言語中枢の発見につながることに鳴る。1861年のことであった。タンタンの脳に損傷があった箇所は今ではブローカ野と呼ばれて広く知られているが、それは、裏にこうした脳に損傷を負い、言語が使えなくなった(わかりやすい)患者がいたからこそだ。

脳繋がりでもう一例紹介しておくと、脳の可塑性の可能性を示した、「脳のない男」がいる。この男、左脚が脱力するといって病院にきたのだが、CTとMRIをとって脳を確認してみると、そこには脳がなかった。正確には脳が髄液で満たされていて、頭蓋骨内の90%が液体で、サミュエルの脳はヒト以外の霊長類よりも小さかったという。それでも知能指数は75、言語知能指数は85もあり、結婚もして公務員として正常な生活を営んでいた。『サミュエルのCT画像には記憶と身体の協働運動に必要な脳の中枢構造が写っていないのに、当人には対応する傷害が何もないのだ!』

ズラッとみていくと、特に脳の機能は実験としてわざと傷つけてみるわけにもいかないので、意図せずして脳を損傷したりして、人間のどの機能に傷害が起こるのかを検証する形で発展してきた歴史がある(前頭葉を貫通する形で鉄の棒が突き刺さって攻撃的な人間になったフィネアスとか)。特に脳科学については、ゼロ号患者たちによって発展してきたと言ってもいいだろう。

おわりに

1953年、献血にいったマッキー夫人が血液型を調べてもらうと、A型とO型が混在していた──という、「ヒトにおける血液型の混合」のゼロ号患者の話とか、子供に高確率で遺伝する、発達性言語協調傷害を患ったゼロ号患者一族の話とか、性自認と体のズレからくる性別適合手術や精神医療にかかって、体と精神をめちゃくちゃにされた、初期の患者らの話など、多角的に患者たちの姿を描き出していってみせる。

基本的には事例、エピソード集であり、医学史といえるような体系的なものではないのだけれども、これを読んでいると医療における患者の重要性がよくわかる。多くのケースで、医者はちょうどいい患者が自分のもとに転がりこんでこなかったら、その名は今ほどには世の中には残っていないのだ。「最初の患者」はいつも医療を前進させてきた。そのことがよくわかる一冊だ。