なんとなく、一度僕の書評・感想記事の書き方についてまとめておこうかと思った。先日下記のようなブログに関する記事を寄稿したところ、幾人かがこれに触発されてブログを書いてくれたようで、個人的に嬉しかったから、というのが大きい。
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書評(でも感想でもなんでもいいんだが)の書き方の正解を教えるとかそういうわけではなく、単純に僕がどうやって記事を書いているのか、書くときに何を考えているのか、ということの簡単なまとめである。人によって感想ブログといっても書き方は全然違うはずで、書き方の違いを見比べてみるのもおもしろいんじゃないか。
手順
当たり前だが一度通読する。その時点でブログに書くかどうかを検討して(書かないことも多い。あまりおもしろくないな、と思ったり、おもしろいと思ってもタイミングを逃すこともあるし、書きづらくてスルーしてしまうこともある)、載せる、となった場合は、一度全体をざっくりと読み返しながら、何を取り上げるかを考える。
どの要素がその本の中心的なテーマなのか、どの要素を記事に書いたらおもしろそうと思ってもらえそうだろうか。特に、「その本において最もおもしろい要素は何なのか」を考えながら読む。次は構成だが。構成は僕の場合あまり変化はない。最初の300〜1000文字ぐらいを使って、その本についての基本情報(タイトルや作家名、受賞歴やどのような本なのか)を挙げ、ファースト・インプレッション、おもしろかったのかつまらなかったのか、おもしろかったとすれば何がおもしろかったのか、記事の全体要約となる部分を書いて、いったんそこだけで記事を完結させる。
そこで「おもしろそうだ」と思ってもらえれば、後の段落は読んでもらう必要はない。どれだけ情報を絞ってもあらすじを一行紹介するだけでもそれはネタバレなのであって、引き返せるのであれば早いほうがいい。それが終わったら、その後、2000文字ほどを使って、この最初の要約部分の根拠を説明する。
小説作品について
SFなどの小説作品であれば、一般的には現実・現代とは乖離した世界が舞台なので、まず世界観などを紹介し、次いで必要であればあらすじ、プロットを紹介する。現代物であれば、世界観は現代なので省略してプロットの紹介のみに注力する。紹介する、とサラッと書いているけれど、ここをどう書くのかが一番むずかしい。書き方によって非常に魅力的に紹介することもできるし、単なる無味乾燥な事実の列挙にもなりかねない。僕が気をつけているのは、なるべくだらだら書かないこと、その作品を特別なものたらしめている要素のみに注力すること、ぐらいだろうか。
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たとえば、『サハリン島』の紹介をした記事では、最初に現実のサハリン島とはどのような存在なのかという、基盤部分の話をして、そこからこの世界のサハリン島がどのようにそこからズレていったのか、とつなげている。この作品はポストアポカリプス物で、滅びかけている世界が舞台。だが、核戦争で滅びかけた世界というのはSFでは珍しくない。この小説におけるポストアポカリプス物としての特徴は「先進工業国で唯一日本だけが鎖国で乗り切った」という設定と世界情勢にあるから、核戦争だなんだはおいといて、そこにフォーカスして世界観を説明している。
SFの場合、一般的ではない現実の科学技術と物語が絡み合っていることも多いので、それらの技術の解説を物語紹介時に挿入する。たとえば、竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』は、AIエンジニアの犯罪がハードなプログラミング周りの専門用語・描写と共に語られていくのが魅力なので、その中で何度も用いられるAdversarial Example技術についての解説を紹介記事の中には入れている。ただ、これも密接にその技術が物語展開に絡んでいる・主軸になっている時だけで、膨大な未来描写のうちの一つにすぎないものを取り上げることは、僕はあまりない。
技術ではなくても、郝景芳『1984年に生まれて』について書くのであれば、当然ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に触れないわけにはいかないし、と先行作や関連作、著者の過去作に経歴と絡めれば書くことは湧いてくる。しかし、全部書いているわけにはいかないので、念頭においている取捨選択の基準は、「対象となる物語のおもしろさを伝えるために、必要なものだけを取り上げる」ということだ。
ノンフィクションについて
一方でノンフィクションの場合は小説の時よりも気が楽で、最初の「要約紹介パート」が終わったら、本を読んでおもしろかったエピソードを列挙していくだけだ。ただ、単純にエピソードを抜き出しているわけでもなくて、大抵の場合ノンフィクションにはその本を書くことによって伝えたい中心的な「テーマ」があるから、それに沿って、それが最も伝えやすく、おもしろかったエピソードを選んでいくことになる。
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たとえば、『囚われし者たちの国──世界の刑務所に正義を訪ねて』という本の中心的なテーマは、「刑務所は今のままでもいいのだろうか?」という問いかけだ。そこに絡まって、罪とは何なのか、許しや罰とは何で、どうあるべきなのか、という問いが連鎖的に生えてくる。この本の紹介記事では、最初にルワンダでのエピソードを選んでいるが、それはここに罪とは、許しとは、と先進的な罰の形が全部入っていて、重要だからだ。他にタイ、オーストラリアを紹介対象に選んでいるが、これはそれぞれに飛び抜けた特徴がある(タイではショーとしての訪問を意識させられ、オーストラリアでは悪とされがちな民間刑務所が人道的に運営されている)からだった。
こういう書き方をしていると、「テーマ」や「主義主張」が明確にある本は楽なのだけれども、テーマがあまり全面に出ていない、情報を網羅的に伝えたい教科書的な本や、対談集みたいなテーマ自体は存在するけれども比較的とっちらかりやすい本を紹介するのが難しくなってしまう。ただ、そういう時はもう諦めて、気楽に「ここおもしろかったよ〜」ぐらいでサッと短くまとめてしまうことが多い。あまりだらだら書かず、2000字ぐらいで書くことがなくなったならそこでまとめるのも良いものだ。自分が過去に書いたものだと、こういう記事とかがそれにあたる。
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共通すること
細かいテクニックだけれども、僕は記事の最初の要約部分のパートで、「こんな内容だと想像していたけど違った」という先入観と実際の違いがあったら必ず入れるようにしている。たとえば、『サハリン島』はこの10年で最高のロシアSFとロシアのメディアで言われている、という宣伝文句がついているのだが、「いやそれはさすがに言いすぎでしょ笑」と読む前は思っていた(けど読んだら確かに面白かった)。
これは、僕が思うような疑問や想像はその記事を読んで本の存在を知った人も思うであろうことで、そうした「読む前にこんな本だと思ったけど実際は違ったんだよ〜」という話は、未読者に最初に同調してもらう取っ掛かりとして優れていると感じる。これは、昔読んだアナウンサー吉田尚記さんの『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』に、「怖い人だと思ってました」みたいな先入観を相手にぶつけると、「いやいや、実はそうじゃないんですよ」と会話が転がっていくとする話術として書かれていたもので*1、喋りだけではなく文章にも応用させてもらっている。
おわりに
と、長くなってきたのと細かいテクニックに入ってくるとあらすじをどうやってまとめるのかや記事タイトルの付け方などキリがなくなってくるので一度切るが、書評・感想に限定せず、ブログの書き方には人それぞれの方法論があるだろう。これを読んだ人は、自分は〜などと思ったり書いてもらったりしてくれたら幸いである。
*1:『もっと言えば、先入観はむしろ間違ってるほうがいいかもしれないくらい。なぜか? 人は間違った情報を訂正するときにいちばんしゃべる生き物だからです。』という記述も同書にはあるが、これは卓見だと思う。