基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

東浩紀による自伝的経営奮闘記──『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』

この『ゲンロン戦記』は、ゲンロンという、SF作家養成や批評家養成スクールを開いたり、批評家や作家や哲学者らの対談イベントを自前のカフェで開いたり配信したりして利益を出している小さな会社を経営していた東浩紀氏の自伝的奮闘記である。経営本であるというと基本的には大成功を収めた人がその華々しい経歴やその経営哲学を語るものだが、本作で描かれていくのは無残な失敗の連続だ。

それも、「それならしょうがねえよな」と同情してしまう失敗、というより理念や理想が先行してそのうえ行動力も伴っているがゆえに実態がまるで追いつかず、「そんなことやっているんですか……」と絶句してしまうような失敗が多。それを真摯に反省し、なんとかしようと奮闘し、また同じような失敗をして落ち込む……という繰り返しが発生している。それでも、少しずつ前に進み『会社の本体は事務にあります』と悟り、最終的にはゲンロンの代表をひき、適度な距離感のもとゲンロンとの新しい向き合い方に至るという、凡庸な敗退、しかし実態としては大きな達成についての話に繋がっていて、これが非常にエモいのだ。

人間は権力や立場を得ると、ミスや間違いを認めなくなる傾向がある。それは損失をより強く恐れるという人間の認知的にもそうだし、一度立場を築いてしまったらミスを認めないダメージも大きくはないのだろう。そういう点でいうと東氏を見ていておもしろいのが、この人はキャリアの初期から明らかに良い立場を築き上げている一方で、ゲンロンに限らずに、比較的に自分の間違いをよく認めているところである。

それも、ただ言葉で認めているだけではなくて、その後の行動が大きく変わるのが見えることから、ああ、その反省は行動にまで影響が及ぼしているのだな、とわかるのだ。完全に他人事で申し訳ないが、はたからみているとそういう人間としてのあり様がとてもおもしろい人、というイメージだったが、本書はその人間としておもしろい部分が凝縮されている。何しろ、本書のまえがきは次のような文章で始まるのだ。

 ゲンロンの10年は、ぼくにとって40代の10年だった。そしてその10年はまちがいの連続だった。ゲンロンがいま存在するのはほんとうは奇跡である。本書にはそのまちがいがたくさん記されている。まがりなりにも会社を10年続け、成長させたのは立派なことだとぼくを評価してくれていたひとは、本書を読み失望するかもしれない。本書に登場するぼくは、おそろしく愚かである。
 ひとは40歳を過ぎても、なおかくも愚かで、まちがい続ける。その事実が、もしかりに少なからぬひとに希望を与えるのだとすれば、ぼくが恥を晒したことにも多少の意味があるだろう。

おそろしく愚か

おそろしく愚かとはどういうことか。たとえば、ゲンロンを創業した2010年、宇野氏、濱野氏、浅子氏、X氏と東氏の5人で新しい時代をつくるために会社をつくろうといっていたのだが、方針で決裂し宇野氏が抜け、創業後には濱野氏が抜けてしまう。あっというまに3人の会社になるも『思想地図β』を刊行しこれが売れた。

ゲンロンは当時取次と契約しておらず、想定を超えて3万部も売れたので多くの資金がこの時点でどっと入ってきた。しかし、これが次の問題に繋がっていく。原稿料も新しい流れを、ということで印税方式を導入していて(破格の15%)、さらに100万だか200万だかをかけて無意味で派手なパーティムービーまで作った。すべては資金ありきだ。ところが、問題の人物X氏はゲンロンの金を勝手に引き出して個人事業所の運転資金に流用しており、いきなり金銭面で大きなもめ事に陥ってしまうのだ。

「いきなりそんな人と出会っちゃってかわいそう」同情したくなるものだが、実態としてはこの使い込みに本人が自白するまで半年以上も気づかなかったわけで、そうした「お金の管理とか、事務とか、面倒くさいことは見たくもない」という態度が大きな問題に繋がっているのである。実際、こうしたお金の勝手な使い込みはこの後も続くのだ。『ところがじっさいには使い込みに半年以上も気づかなかった。こんな鈍感で間抜けな人間が、言論人なんて名乗れるわけがない。新しい出版社をつくると息巻いても、じっさいは面倒なことを大学の事務員や出版社の編集者に押しつけ、見ないふりをしているいままでの知識人たちとたいして変わらなかったわけです。』

地道に生きねばならん。

その後も、売れた思想地図の続編で売上の3分の1を被災地に寄付すると決めたら、純利益じゃなくて売上にしたせいで利益がまったく残らずに会社が傾いたり、社員の頑張りで乗り切ったら疲弊して大量にやめるなど、経営的にはめちゃくちゃである。

本書がおもしろいのは、批評や脚本、小説執筆といった言葉、理屈の世界で生きてきた東氏が、そんなめちゃくちゃな状況から、事務作業やら対面の対話やら、書類の整理といった細々とした面倒なことを「ちゃんとやることが大事なんだ」と自覚していく過程にある。ゲンロン立ち上げ当初はすべてはリモートで完結可能であると思っていたが、それも間違いだった。ファイルはクラウドにおいてもいいが、それだけだと社員は仕事を忘れてしまう。誰かが紙でファイルに入れなければならないのだと。

 そういう作業をするなかで、ついに意識改革が訪れました。「人間はやはり地道に生きねばならん」と。いやいや、笑わないでください。冗談ではなく、本気でそう思ったのです。会社経営とはなにかと。最後の最後にやらなければいけないのは、領収書の打ち込みではないかと。ぼくはようやく心を入れ替えました。そして、ゲンロンを続けるとはそういう覚悟をもつことなのだと悟ったのですね。

そうやって七転八倒しながら経営していく中で、ゲンロンカフェでイベント事業を立ち上げ、3時間でも4時間でも時間を決めずに会話をする中で、コミュニケーションでは思いも寄らない事故が起こる、その「誤配」こそが重要なのだと言って誤配の哲学に繋がったり。我々は誰もが作家やクリエイターといったスター選手になれるわけではない、しかし、作品を楽しく鑑賞して制作者を応援する「観客」になるのもいいのではないか、というコミュニティ作りの哲学に発展していったりといった、大きな流れ、思想も生まれていくことになる。

おわりに

メインストリームにとってかわる価値観、「オルタナティブ」を指向し続けてきた東氏が、ゲンロンというオルタナティブな場を10年なんとか成立させようとしてきた話でもあり、単純な経営奮闘記というよりは、その思想・人生を総括するような一冊になっていて、語り下ろしの軽い新書ながらも抜群におもしろかった。