まえがき
本の雑誌2020年8月号掲載の原稿を転載します。原稿にも書いたが、今回は大作揃い。特に『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』は上下巻でアホみたいに文字が詰まっていてページ数も多くて読むのがゲロ大変だった。おもしろいからいいんだけどね……。『幻覚剤は役に立つのか』も最高なノンフィクションだったし、『絶望を希望に変える経済学』も年間ベスト級だし、と非常に充実した月になっている。
ここから原稿

幻覚剤は役に立つのか 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ
- 作者:マイケル・ポーラン
- 発売日: 2020/06/26
- メディア: Kindle版
幻覚剤を投与した時に人の脳内では何が起こっているのか。本書では、そうした神経科学的な理屈を紹介するだけでなく、著者自身もアングラガイドに依頼をして三種類の幻覚剤を体験し、それが彼自身の知覚にどのような影響を与えるのか、詳細なレポートを行っている。あまりに楽しそうにラリっているので、これを読んで幻覚剤に興味を持たずにいるのは難しい。うつ病などの精神疾患やガン患者に対する治療的意義だけではなく、大麻と同様に幻覚剤の使用も解禁されていく可能性はある。その時社会にどんな変化が起こり得るのかなど、多角的な視点から考察した一冊だ。

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか (日本経済新聞出版)
- 作者:アビジット・V・バナジー,エステル・デュフロ
- 発売日: 2020/04/17
- メディア: Kindle版
明日の経済や社会政策は、人々の生活を脅かす要因を緩和するだけでなく、生活困難に陥った人々の尊厳を守ることを目標としなければならない、と「未来に希望を持つことができる」経済の在り方の模索を進めていく点も、まさに今求められている経済学といえる。一般向けの経済書として、非常に感銘を受けた。

スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰
- 作者:オーウェン・デイヴィス
- 発売日: 2020/04/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
戦場では、死人の靴や衣服を身につけるのはよくない、一本のマッチで三本の煙草に火を付けると三人のうち一人が死ぬなどの不運に関するまじないが蔓延していた。なぜそうした発想が生まれたのか、本書では超自然を通してこそ見える人間心理のおもしろさを捉えていく。光の当たらない側面から、戦争に光を当ててみせた快作だ。

- 作者:ロネン バーグマン
- 発売日: 2020/06/04
- メディア: Kindle版
イスラエルは国の面積が小さく、建国前から周辺のアラブ諸国によって常にテロの脅威にさらされてきた。防衛に割く大規模な戦力もないままにそうした危険に晒され、国家として存続するために、強固な暗殺機構が必要とされたのだ。一九八〇年代から暗殺作戦にドローンが組み入れられていたこと、テロとの戦いが次第に自爆テロとの戦いになり、それに対抗するための暗殺のターゲットも変化してきたことなど、イスラエルが技術や手法の変化に柔軟に対応してきたことがよくわかる。また、こうした「暗殺が当然」という前提があることによって、どのような倫理的代償がはらわれたのかについてまで触れられている。まさに、「決定版」といえる一冊だ。

- 作者:伊藤元輝
- 発売日: 2020/05/20
- メディア: Kindle版
せめて死ぬときだけは女性の体でいたいと語る七〇付近の女性に対する手術など、性別適合手術を受ける人々の苦悩や、性認識と適合した身体を得る喜びが存分に語られている。まだみぬ世界を知る楽しみと、実際に性同一性障害に苦しむ人にとっては、性別適合手術で具体的にどのようなことが行われているのかといった実用的な情報源にもなるだろう。