基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

多角的な視点で幻覚剤の効用を考察する『幻覚剤は役に立つのか』やイスラエル諜報機関の全貌を暴く『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』まで色々紹介!(本の雑誌2020年8月号掲載)

まえがき

本の雑誌2020年8月号掲載の原稿を転載します。原稿にも書いたが、今回は大作揃い。特に『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』は上下巻でアホみたいに文字が詰まっていてページ数も多くて読むのがゲロ大変だった。おもしろいからいいんだけどね……。『幻覚剤は役に立つのか』も最高なノンフィクションだったし、『絶望を希望に変える経済学』も年間ベスト級だし、と非常に充実した月になっている。

ここから原稿

今回もかなりの大作揃い。まずご紹介したいのは、マイケル・ポーラン『幻覚剤は役に立つのか』だ。実は近年、LSDなどの幻覚作用を持つ薬物が医療や意識の研究対象として注目を浴びている。たとえば、ガンの末期患者らに、精神的苦痛に対処するため、マジックマッシュルームの有効成分サイロシビンを投与した研究がある。その結果、被験者の多くがガンや死との向き合い方が変わり、死の恐怖が完全になくなったと話す人もいた。それ、一時的にラリっているだけでは、と疑問に思うのだが、長期にわたる調査でも死の恐怖が減じているとする研究結果が出てきている。

幻覚剤を投与した時に人の脳内では何が起こっているのか。本書では、そうした神経科学的な理屈を紹介するだけでなく、著者自身もアングラガイドに依頼をして三種類の幻覚剤を体験し、それが彼自身の知覚にどのような影響を与えるのか、詳細なレポートを行っている。あまりに楽しそうにラリっているので、これを読んで幻覚剤に興味を持たずにいるのは難しい。うつ病などの精神疾患やガン患者に対する治療的意義だけではなく、大麻と同様に幻覚剤の使用も解禁されていく可能性はある。その時社会にどんな変化が起こり得るのかなど、多角的な視点から考察した一冊だ。

『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』は、二〇一九年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジー、エステル・デュフロによる経済ノンフィクション。今の経済学は市民に対する信頼性を欠いている。ではどうすれば経済学は信用を取り戻すことができるのか、どのような経済学こそが今真に求められているのか─と問いかけ、「移民は悪か?」や「いま世界で二極化が起こっているのはなぜなのか?」などの、説明するにはあまりに複雑すぎる問いかけに対する経済学の返答を、面倒臭がらずにしっかり説明していく試みの書である。

明日の経済や社会政策は、人々の生活を脅かす要因を緩和するだけでなく、生活困難に陥った人々の尊厳を守ることを目標としなければならない、と「未来に希望を持つことができる」経済の在り方の模索を進めていく点も、まさに今求められている経済学といえる。一般向けの経済書として、非常に感銘を受けた。

オーウェン・デイヴィス『スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰』は、現代ではその勢いを失いつつある魔術や占い、予言が第一次世界大戦時にどのように機能していたかについて書かれた一冊である。当時、市中には占い師や心霊術師が溢れていたが、彼らはペテンで金を稼いでいたというわけではなくて、悲しみにくれる遺族たちへの一種のセラピストの役割を担っていた。

戦場では、死人の靴や衣服を身につけるのはよくない、一本のマッチで三本の煙草に火を付けると三人のうち一人が死ぬなどの不運に関するまじないが蔓延していた。なぜそうした発想が生まれたのか、本書では超自然を通してこそ見える人間心理のおもしろさを捉えていく。光の当たらない側面から、戦争に光を当ててみせた快作だ。

戦争関連で続けて紹介したいのが、ロネン・バーグマン『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史 血塗られた諜報三機関』。世界的に有名なイスラエルの諜報機関だが、本書はその成立過程から現代までの間にどのような作戦が遂行されてきたのかを赤裸々に明かす通史である。イスラエルがこれまで国として行ってきた暗殺作戦は二七〇〇件以上の膨大な数に上るとみられているが、それはけっして偶然ではない。

イスラエルは国の面積が小さく、建国前から周辺のアラブ諸国によって常にテロの脅威にさらされてきた。防衛に割く大規模な戦力もないままにそうした危険に晒され、国家として存続するために、強固な暗殺機構が必要とされたのだ。一九八〇年代から暗殺作戦にドローンが組み入れられていたこと、テロとの戦いが次第に自爆テロとの戦いになり、それに対抗するための暗殺のターゲットも変化してきたことなど、イスラエルが技術や手法の変化に柔軟に対応してきたことがよくわかる。また、こうした「暗殺が当然」という前提があることによって、どのような倫理的代償がはらわれたのかについてまで触れられている。まさに、「決定版」といえる一冊だ。

伊藤元輝『性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち』は身体の性と自身の性認識が異なる、性同一性障害を持つ人を中心に、タイで性別適合手術を斡旋するアテンド業について書かれた一冊だ。性別適合手術では、男性から女性になるときに単にペニスを切り取るというだけではなく、性感もある膣を形成することができる。日本では二〇〇四年からこうした手術を受ければ戸籍上の性別を変更できるようになり、毎年一〇〇〇人近くが法的性別を変更しているのだが、その半分以上がタイで手術を受けているのだ。これは、タイの方が技術力が高く、供給も多いからだという。

せめて死ぬときだけは女性の体でいたいと語る七〇付近の女性に対する手術など、性別適合手術を受ける人々の苦悩や、性認識と適合した身体を得る喜びが存分に語られている。まだみぬ世界を知る楽しみと、実際に性同一性障害に苦しむ人にとっては、性別適合手術で具体的にどのようなことが行われているのかといった実用的な情報源にもなるだろう。

おわりに

今月発売の本の雑誌もよろしくね!

本の雑誌452号2021年2月号

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  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)