患者の話は医師にどう聞こえるのか――診察室のすれちがいを科学する
- 作者:ダニエル・オーフリ
- 発売日: 2020/11/10
- メディア: Kindle版
患者からすれば待ったり並んだりしてようやく出会える一人の医師だが、医師側からすれば時間におされ一人でも多く診なければいけない大多数の患者のうちのたった一人。ひどく歪んた立場の構造がある。その差を埋めるようにして医師は患者に対して聞き取りを行って、病気やその程度をある程度推察し、この病気はこうでこうでこれを飲んだりあれをやったりしてください、とお願いをするわけだが、知識量も立場も違う二人の人間によるやりとりなのだから、そこには「すれちがい」がある。
医師と患者では、明らかにスタート地点が異なる。患者は、発熱したり、息切れがあったり、首のしこりががんだとパニックになったりしている。より弱い立場からスタートするわけだ。それなのに、患者のほうがリスクはずっと高く、状態が悪化すれば失うものもはるかに大きい。したがって、ストーリーが正しく理解されるよう万全を期す責任はおもに医師側にあるといって差しつかえあるまい。とはいえ、それはやはり、それぞれの偏見、人生経験、長所、弱点が反映された、二人の人間のやりとりなのである。
本書『患者の話は医師にどう聞こえるのか』は、患者も医師もあまり意識しないコミュニケーションの中で、そこにどれだけのすれ違いが実際には存在しているのか。すれ違いをなくそうと努力をすることで、どれだけ多くのことがもたらされうるのかについて書かれた一冊である。医療上のコミュニケーションの話が中心となっているけれども、実態としては人と人が話をすれば必然的に起こるコミュニケーション・エラーとその解消の話であって、幅広い職場・学校で応用可能な視点があるはずだ。
どのようにすれ違うのか
本書には多くの医師と患者の意識のすれ違いが描かれていくので、いくつかピックアップしてみよう。たとえば、ほくろのために家庭医を受診した患者のケースがある。医師はがんを疑い、すぐに切除してもらえるよう外科に紹介した。患者も自分の話をよく聞いてもらえたと判断し、医師のアドバイスもよく把握できたと話した。
だが、一週間後、患者は電話をかけて予約を先に延ばした。医師からしてみれば、がんの可能性が高くそんな悠長なことをやっている場合ではないと伝えたつもりでいたのに、伝わっていなかった。双方ともにコミュニケーションはうまくいっていると思っていたのに、理解が異なっていたのだ。患者からすれば、ほくろなんて誰にでもあるわけで、患者は無意識のうちに自分の経験と理屈で重要性を薄めてしまっていた。医師のアドバイスに同意したように見えても、意味は伝わっていなかった。
医師と患者の継続的なコミュニケーションが必要で、ありふれた病の一つに糖尿病がある。患者は長期にわたってその病気と付き合い、自分を制御しないといけない。自制を失い暴飲暴食をすると状態は悪くなるから、医師はしきりと注意をする。一キロでも太ったら大変になるぞ、薬は確実に服用し、血糖値もチェックしろと。
医師からすればこれ以上悪くなってほしくないという善意の発言だし、言っていることは完全な正論だ。だが、そればかり言われる患者からすれば医師は嫌な存在になってしまう。患者だって、節制し運動し検査をするのが重要なことはわかっている。しかし日々の生活の中では気分の浮き沈みもあり、多忙な時期もある。何ヶ月、何年もにわたってそのすべてに対処することは難しい。「やりたくてもできない」というのが最大の悩みなのだ。そこへの理解、あるいは理解できなかったとしても共感をしてほしいと願うのは、患者としては当然の欲求といえるだろう。
先生が私にいらいらしていたのは感じたけれど、私は私で四〇代前半の女性として、糖尿病とは関係のない問題がたくさんあった。そして体調が優れなくても、どうせまた糖尿病の話になって自分が悪いように感じるのだから、お医者になんかいきたくないと思うところまでいってしまったんです
研究によれば、糖尿病患者の50-75%が治療計画の正常な進行に問題を抱えていることがわかっている。なぜそれほどまでに困難なのか? 複数の原因があるのは明らかだが、その一つはコミュニケーションの不足にある。実験の一環で、診察後に、医師を介さない自由な話し合いを実施すると、患者は診察では医師にあまり話さない日常のことをよく話す。インスリン注射の不快感、薬の副作用、食事に対する社会的な圧力、複雑な仕事のスケジュール、ストレスからくる食事、高価な処方薬……。
患者は正確に自分の困難を知っている。こうした話は、医師の診断を撮影した映像をみてもほとんど出てこない。なにが問題を難しくしているのかは患者一人ひとりで大きく違うのに、医師が行うのは全部の患者に共通する普遍的な教育だ。医師が会話の流れを支配し、診察時点での医学的問題にのみ焦点を当てると、服薬時の治療実行計画不良のリスクは3倍にもなるとする研究がある。さらに、住宅問題や失業などの強いストレス下にあるときにその問題を回避することは、実に6倍にもなる。
話し合いの効用
話し合いの時間をとること、共感を示すことの治療上の有効性を示す研究は多数ある。たとえば、700人以上の風邪の症状を持つ患者を対象にして、処置なし、処置あり(通常)、患者と積極的な関わりを作るために努力をする医師の診察を受けるグループの3つに分けた。すると、この文脈ではやはり、患者から共感とコミュニケーション能力について医師を評価してもらい、それが高かった医師の患者の回復ははやい。
風邪の重症度が17%減少し、風邪の期間も短くなった(共感能力が高いと判定された医師は5.9日、他の医師の患者は7日)。これは共感それ自体が治しているわけではなく、コミュニケーションを改善することで患者は指示をよりよく理解し、自分の病気を管理する能力に自信を持てることが服薬をきちんとし、よく寝て、仕事を休み、という結果に繋がっているのではないか、という見方が強い。が、それで十分だろう。
じゃあすぐにでも医師はコミュニケーション能力・共感能力を高めろ!! 授業にとりいれろ! と言いたくもなるが、共感のような無形の技術は、血糖値や身体の様々な数値と比べて、測定が難しい。コミュニケーションや共感のための処方箋も書くことができない。医学部でも注目ははじめてはいるものの、通常は付加的なものとみなされ、コミュニケーションそれ自体のカリキュラムは矮小化されているという。
おわりに
医師と患者の話ではあるが、人と人のコミュニケーションは持っている情報も立場も異なるものの間で行われるものだ。だからこそ、本書で綴られていく様々なケースや、自身も内科医として患者と接する著者が、口を挟まずにじっくりと話を聞くことに集中することで変わった患者との関係性の数々から、学ぶべきことは多い。存在していることを見逃しがちなズレを表出させてくれる、非常に重要な一冊であった。