基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

AIと少女の深い愛情を描き出す、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞後第一作──『クララとお日さま』

クララとお日さま

クララとお日さま

この『クララとお日さま』は、カズオ・イシグロが2017年にノーベル文学賞を受賞してからはじめての著作となる。原題は『clara and the sun』だが、「太陽」ではなく「お日さま」なのは(加えて、デザインがとても童話・児童書っぽいのは)、本作がそもそも5、6歳の子向けの話として始まったから、という理由がある。

そういう前提があって、読み始める前はあまりにも子供向けっぽい感じだったら楽しめないかもなあと思っていたのだけど、読んでみたらそんな杞憂は吹き飛ばされてしまった。児童書っぽいスタイルなのだけれども、それはまだ人間とこの社会について何も知らないAIのクララが世界を知っていく過程が描かれているからであって、しっかりカズオ・イシグロの最新長篇として成立している。丹念に感情のゆらぎ、世界の情景がうつしとられる、しみじみと涙がこぼれ落ちるような、素晴らしい長篇だ。

AIが語り手であることからもわかると思うが、近未来(なのか別の流れをたどった過去/現代なのかわからないが)を舞台に、遺伝子編集によって高知能化されてきた子供たちが存在する社会を描き出す物語であり、SFとしてもしっかりとした作りになっている。SF寄りということもあって、読み味的には『わたしを離さないで』と近い。

あらすじや舞台など

物語の舞台になっているのは先にも書いたようにおそらく近未来。この世界ではAF(Artifitial Friend、人工親友) と呼ばれるアンドロイドが存在していて、もっぱら子供たちの面倒をみて、友達とするために活用されている。人のように喋り、行動できるレベルのAIがいるので、当然人間の労働の大多数はAIによって置き換えられていて、さらには置き換えられなかったエリートたちはみな子供に向上処置と呼ばれる遺伝子編集を施していて、普通の人間よりも優れた能力をもたせている。

さらには、何らかの理由によって環境汚染も深刻化していることが描写からはみてとれる。そうした諸々の技術の進展によって格差が広まっていく社会の様相は、本作が進行していく中で断片的に描かれていくが、メインはあくまでもAFの目を通した少女との交流だ。AFたちは買われた時に意識を起動するのではなく、出荷段階で意識が生まれているようで、語り手のクララはAF屋の一番目立つウィンドウで外を眺めながら自分がいつか誰かに買われる日を、いまかいまかと待っている。

クララはAFたちの中でもとりわけ好奇心が強く、隣にいるローザと話していても、情報を汲み上げる精度が異なっている。たとえば、目の前でドライバー同士の喧嘩があっても、ローザはそれが喧嘩だと解釈できない。学習能力が高いとはいえ、クララはB2型と呼ばれるAFであって、すでに最新式のB3型が売り出されており、いわば旧モデル機。店内でもクララの存在感は薄れつつあり、最終的には奥の方にまで押しやられてしまう。そんな時彼女に目をつけたのは14歳の少女であるジョジーで、B3型を欲する母親をはねのけてクララがいい、と彼女を家に連れて帰ることになる──。

あたたかい物語

ジョジー家での生活が物語の舞台となるわけだけれども、そこで展開するのは、お日さまのようにあたたかい物語だ。ジョジーは決してクララの敵にならず、信用して良き友たらんとする。渋っていた母親もクララを認めるようになり、クララはAIの目線を通して人間とはどのような存在なのか、心とはいったいなんなのか、仮に彼女がある人間を再現するとしたら、それは可能なのか──といった思考を深めていく。

AIを語り手に据えたのは、人間以外の視点から世界を、人間を捉え直すためだろう。クララはAIとはいえその語りは常にクールではあるものの人間的で、新しい世界や人間を知る純然たる喜びに満ち溢れている。たとえば、ある時人間が、自分が孤独になったりといった不利益をこうむることであっても相手のために何かをしてあげたいと思うことがあることを理解する。たとえば、世界の情景そのものに感動することもある。下記はクララがジョジーの家にきてからはじめて外に出て世界を体験したときのシーンだが、描写は実に細かく、感情豊かに世界をうつしとっている。

 すぐに砂利で覆われた場所に出ました。ここは、車のためにわざと粗い表面にしてあるのだと思います。穏やかで心地よい風が吹いていました。丘に立つ高い木々が波打っていて、こんな風でも木は曲がったり波打ったりするのかと驚きました。でも、すぐに足元に気をとられ、周囲を気にする余裕がなくなりました。砂利の下に隠れている地面の窪みは、タイヤでえぐられた跡なのでしょうか。

AIと信仰の物語

とはいえ、物語はただ喜びだけが語られていくのではない。ジョジーは何らかの病にかかっていて、途中、その命がつきそうになってしまう。クララは高性能とはいえ医者ではないし、そもそも医者にも何もできない病なので、基本的にただ付き従うだけなのだが、深くジョジーのことを思うクララは、ある行動に出ることになる。

AFは基本的に太陽光でエネルギーを得ているので、おそらく太陽を好ましく思うようにプログラミングされている。太陽から数時間遠ざかれば、なんとなくだるくなるのを感じ、自分はどこか悪いのではないか、と感じるほどだと語られている。だからだろうけれども、クララは自発的に「お日さま信仰」とでもいうようなものを生み出している。自分に栄養を与えてくれる、必要なものという絶対的な事実と、ショーウィンドウで外を見ていたときにお日さまが起こしてくれた(と勝手に解釈した)いくつかの出来事をもとに、お日さまは奇跡を起こす力があるのだ、と解釈したのだ。

こうした「目の前で起こっている出来事に因果関係を見つけて勝手に解釈すること」は、実に子供/人間らしい発想だ。彼女は高度な知性を持つAIだが、同時にそうした豊かな発想力と学習能力を持っていることをこの事実は示している。子供の世界では幽霊や妖怪がいて当然のものであるように、クララの世界でもまたお日さまが奇跡を起こしてくれることは自明なことだ。クララはジョジーを助けるために、自身も相当なリスクを払ってお日さまに祈願をすることになる。その描写はパワーに満ち溢れており、読んでいるとSF的な物語であることも相まって、こちらまでその実在を信じてしまいそうになる。本当に、この「お日さま」に相当する何かはこの世界には存在するのではないかと。実際、この物語の中では、それは真実かもしれないのだ。

おわりに

この物語は3分の2ぐらいを読み終えたところで大きな事実が明らかになり、ぐっと「人の心とは何なのか」というテーマに接近していくのだけれども、そこで問いかけられる問いは、AIやビッグデータが当たり前になった世界でしかありえないものだ。

あまり前景化こそしないものの、向上処置を受けた子供たちが存在する極端な格差社会、子どもたちはみな学校に行かずリモートで授業を受ける、AIが入り込んだおかげで仕事の性質ががらっと変わっている……そうした科学技術の進歩が変えた「家庭内の生活」をしっかりと描き出していて、現代的の歪みを描き出す文学であると同時に、SFとしても成立している。