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種の宿命を問う、森博嗣によるWWシリーズ最新刊──『君たちは絶滅危惧種なのか?』

この『君たちは絶滅危惧種なのか?』は、リアルとヴァーチャルの区別が曖昧となった未来の社会を描き出していく、森博嗣によるWWシリーズの第5巻である。前巻が出たのが昨年の6月だったので、本シリーズのペース的には久しぶりの刊行となる。
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Wシリーズなどと同じく全10巻であるならば、この第5巻は折返し地点となるわけだけれども、(今作に限らず)独立性の高い作品なので、どこから読み始めても問題はない。人工的に作られた有機生命体ウォーカロンが存在し、人間は人工細胞で自身らの体を作り変えて以後、子供がほぼ生まれなくなった世界を舞台としている。

世界観とか

ざっと振り返ると、このシリーズの特徴は、ヴァーチャルの比重が増し、リアルが縮小する世界を描き出している点にある。現代でも多くの人がVR機器を楽しんでいるが、このWWシリーズでのヴァーチャルの重要性はそのはるか先をいく。ヴァーチャルのリアルの再現率、情報量が高くなり、現実と遜色がつかなくなっているだけではなく、現実それ自体もまた、不確かで曖昧なものへと変化している。

たとえば、肉体を人工細胞に置き換えることでいくらでも寿命をのばすことができるので、死と生の境界線がゆらぐ。ほぼ人間と同等の存在であるウォーカロンが存在すること、さらには人間以上の演算速度を持ち人間と会話をすることができる人工知能、肉体を破棄し電子世界に移住した人間らが当たり前に存在する世界なので、人間と非人間の境界線も曖昧になっている。世界の実質的な管理者も人工知能に移行しつつあり、旧来の人間が立脚してきた「リアル」は、様々なものに侵食されつつある。

本シリーズは、その過程を丹念に描き出してきた。

君たちは絶滅危惧種なのか?

というところでこの『君たちは絶滅危惧種なのか?』だが、今回中心となっていくのは人間以外の動物たち。国定の自然公園で、研究用の動物や飼育係が行方不明、さらには湖岸では正体不明の大型動物が目撃されていて──と不可思議な事象が連続しており、ほぼほぼ怪奇現象専門の便利屋とかしている本シリーズ主人公グアトがそこへ調査に赴くことになるという、お決まりのルーチンで物語ははじまる。

本作はWWシリーズの中では最も映画的な一作ではないか。導入部の時点で明らかだが本作はモンスター・パニック路線の作品で、モンスターの登場にあたふたと慌てふためくだけではなく、それっぽいアクションシーンやド派手なあれやこれやのシーンも詰め込まれている。一方で、人類外の生物をテーマとして持ち出したことで、種の宿命と目標についての大きなテーマが(人類も含めて)展開することになる。

この世界ではヴァーチャルの比重が増しているだけではなく、リアルもまたヴァーチャル、仮想的なものに近づいている。というのも、人間と同等からそれ以上の能力を有するウォーカロンを作り出せるような技術など、科学の進歩が意味することは、我々の知る現実を好きなように作り変えることができる=なんでもありに近づくことだからだ。たとえば、この現実世界をゲームクリエイター目線で好きなように作り変えられるのだとしたら、現実世界と仮想世界の違いはほとんど存在しない。

本作において、グアトたちは向かった自然公園で、現実には存在しないような動物たちと遭遇することになるが、そうした「「現実には存在しない」とかいう常識」が存在しない、何でも起こり得る世界なのである。すべてがコントロール可能なものに近づいていけば、いずれ人間を突き動かしてきた怒りや恐怖、競争心などの感情もまた消えていく。「君たちは絶滅危惧種なのか?」という問いかけは、本作においては一つの生物種への問いかけを超えて様々なものにかかってくる。

ヴァーチャルの比重が増していく

このWWシリーズは、巻数が増すごとにどんどんヴァーチャルの重要性、比重が増している。たとえば、電子界に精神をアップロードする人々が描かれた前巻から引き続き、今巻でもそうした人々の物語が紡がれていくわけだが、おもしろかったのは、「はたしてそれによって失われるものはあるのか?」という問いかけである。

現実世界には煩わしいものがたくさんある。感情もあるし、体調もあるし、移動には時間がかかるし、何か成し遂げたいことがあったとして、それを実行するためにはそうした現実の摩擦を避けられない。ヴァーチャルにはそれらは存在しない、ピュアな世界だといえるだろう。それは失われるものといえるかもしれないが、ヴァーチャルはすべてをパラメータによって調整できるので、そうした煩わしさや摩擦それ自体も再現することができるはず。であるならば、失われるものなどなにもないのか。

その問いに対する思考自体は本作を読んで確かめてもらうということで。すべてがコントロール可能になった世界における「自由」を問う、実に百年/Wシリーズ/森作品らしい一冊であった。