基本読書

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筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、サイボーグになることを選んだ男──『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来』

ALSという病

筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気がある。体が徐々に動かなくなっていき、最終的には自発的な呼吸も行うことができず、意識は明瞭で、感覚も残ったままにも関わらず、目以外(こちはも最後まで残るだけで弱まっていくようだ)のすべてが動かせなくなってしまう病気で、現在治療法は皆無である。進行もはやく、人工呼吸器なしでは余命は3〜5年ほど。日本ではさまざまな理由から、約7割の人が人工呼吸器をつけずに亡くなるという。

現在の日本では、一度人工呼吸器をつけたら、たとえ死にたいと思ってもそれを意図的に外すことは難しい。2020年には、ALSの女性の依頼によって医師2名が薬物を投与し死に至らしめた事件も話題になった。ニャンちゅうの声優である津久井教生さんの連載を読んだことがある人も多いだろう(僕も毎回楽しみに読んでいる)。
gendai.ismedia.jp
目以外何も動かせなくなってしまうとはいっても、逆にいえば目は動かせるわけである。そして、ALSは体が動かなくなるだけであって、感覚自体は存在しているし、頭もはっきりしているから、気管切開して人工呼吸器をつけ、食事もとれず胃ろうに移行したとしても、自分なりの楽しみを見つけ出している人もいる。たとえばテレビを観たり、子供や孫の成長を見守ったりすることはできるし、近年は目線によって文字入力をこなすデバイスも出てきているので、従来よりも文字を打つこともできる。

ALSをテクノロジーでどこまでハックできるか?

つまり、治療法は存在しないが、できることはある、それもテクノロジーの進展著しい現在であれば、10年、20年前よりもよほど有意義に生きることも(相対的な話ではあるけれど)可能なのである。と、かなり前置きが長くなったが、本書『NEO HUMAN』は、ALSにかかったロボット工学の博士号持ちの男性が、動かなくなる体を前にして、どこまでテクノロジーで抵抗できるのかを綴った体験記である。

彼は自らを実験台として体を積極的に改修し、前向きな改革を開始する。たとえば、自分の声を事前に録音しておき、自分のVOICEROID的なやつを作ることで声を保存して喋らせられるようにしたり。事前にアバターを作り、表情をシミュレートさせる。AIを作ることで、自分そっくりの応答をさせて時間を稼ぎ、その間に目線入力などで自分の言いたいことを伝えるなどなど。情報伝達に使える手段が目線の入力だけでは複数の操作をこなすことなど不可能なので、彼はAI技術全般に活路を見出す。

正直いって現代のAIは進歩したとはいえ著者(ピーター・スコット-モーガン)の求めるレベルにはまるで達していないので絶対無理だろうなと思いながら読んでいたが、実際読み終えてみてもできるようになってはいない。本書は著者がいよいよ自力呼吸が不可能になり、誤嚥性肺炎を防止するために喉頭摘出を行う場面で幕を閉じるので、彼のALS人生的にも、テクノロジーによるALSのハック的にも、道半ばである。

だがしかし、「テクノロジーによってこれまで当たり前に思われてきた不都合を乗り越えていくんだ」という彼の信念と挑戦それ自体は刺激的で、いったい彼はどこまでの景色をみせてくれるんだとワクワクさせてくれる。著者は、テクノロジーはどんどん世界を良くするし、未来は素晴らしいものになると啓蒙するコテコテのテクノロシー至上主義者で、ついていけなさも感じるのだが、彼の行動力は本物だ。

人生をかけた実験

本書では、著者がALSを発症しどのような過程で病名を告げられたのか(通常ALSは確定までにかなりの時間がかかる)。また、それが発覚してからパートナーとどのような話し合いを行い、戦うことを決めていくのかといった過程が丹念に描かれていく。著者はゲイであり、病気の発覚がかつてゲイと周囲にカミングアウトした時の回想だったりといった過去と共に語られていくので、人生の回顧録ともいえる。

楽観的な性格に見える著者だが、さすがにALSと診断されて前向きでいられるわけもない。人工呼吸器なしでは、3〜5年ほどで死に至ることが多い病だ。自分だけの問題ならなんとかなるかもしれないが、ALSは必然的に周囲の人間のサポートを必要とする。パートナーを愛しているからこそ(男性同士のパートナーによる辛さもこれまでたくさん体験してきている)、これ以上の迷惑をかけたくないという思いも強い。

だがそれでも、著者はテクノロジーを使って戦うことを決意する。ただ延命するだけではなく、楽しく生きること。そして、自分と同じALS患者のために。

 われわれは軍を組織し、ムーブメントを起こすのだ。これは反乱だ!
 MND患者に限った話じゃない。
 これは、病気や事故、老化によって生じた極度の身体障害を、最先端のテクノロジーで解決しようという挑戦だ。
 自由な思考を持っているにもかかわらず、不自由な肉体に囚われてしまったすべての人々に関わる話だ。
 そして、もっと強く、もっと立派な、今とは違う自分になりたいと願ったことのある、すべてのティーンエイジャーと大人たちのための戦いなのだ。
 私たちが目指すのは、〝人間である〟ことの定義を書き換えることだ。

こう勇ましい決意を告げた著者は、まず自分の体を改造することを決意。下の世話などの介護者の負担と自分自身の負担を少しでも減らすため、胃ろう、膀胱ろう、結腸ろうの増設を一気にやることを提案し、同時に資金を集め企業の協力を得るためにメディアの関係者に自分の野望と状況を伝え、世に広く自分の存在をアピールした。雑誌に彼について書いた記事が載ると、さっそくテレビ制作会社からオファーがあり、彼の活動をドキュメンタリー番組にするためにクルーがつくことになる。

また、広報活動の一環としてMND(運動ニューロン疾患)協会に入る──だけでなく理事に立候補し、テクノロジーの力で状況を覆すことを訴えかけ見事選ばれることで組織の支援まで獲得しと、とにかく行動力がありすぎなぐらいだが、『ルールなんてぶっ壊せ!』をキーワードに、何度も繰り返しながら前に進んでいく。仮想現実はどうだ、車椅子型のロボットはどうだ、体を機械に置き換えるのはどうだ、と本当に様々なことに手を出していて、もちろんそのほとんどは現在ではまだ簡素な試作品すら難しいが、10年、20年後はわからない、そのためにやろう、というのである。

おわりに

ALSは最初に書いたように日本では7割ほどの患者が人工呼吸器をつけずに死を選ぶというが、その理由の一つには、生きてても仕方がない、あるいは死んだほうがマシだ(自分的にも、周囲の人のコスト的にも)という考えがあるのだろう。

支援してくれる家族もいなければ、たとえ行政の支援が存在していたとしても、動かなくなった体ですべての手続を進めることはかなり難しくなる。本人の意志で死を選ぶというよりも、環境がALS患者を延命の拒否に追い込んでいく側面があるのだ。だからこそ、そんなことは受け入れられない、単なる延命ではなく、より「楽しく」生きるんだ! そして、テクノロジーに投資して、未来を自分たちにとって、よりよいものにするし、それはできることなんだ! と前向きなメッセージを発し続ける著者のような人物は、絶望に沈み込むALS患者にとっては、大きな力になるだろう。

著者は2021年現在もまだ生きており、アバターなども活用しながら現在もテレビ出演など積極的に活動しているようだ。