基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

中国の思想と文化が色濃く反映された、傑作ぞろいの中国史SFアンソロジー!──『中国史SF短篇集-移動迷宮』

この『移動迷宮』は近年躍進著しい中国SFの中でも、中国の歴史を扱ったSF短篇を集めたアンソロジーである。SFジャンルは近年それなりに市民権を得てきたといっても、特に翻訳ではまだごく一部の出版社(早川とか東京創元社とか竹書房とか)が刊行することがほとんどだ。だが、本書は普段SFを出さない中央公論新社からの刊行で、その意味でも中国SFの翻訳刊行の輪が広がってきたな、という感じがある。*1

で、この『移動迷宮』だけれども、まず特徴は中国史を扱った作品を集めているところにある。とはいえ、中国史を扱った作品自体は、これまでのアンソロジーや邦訳作にも多数存在する。『時のきざはし 現代中華SF傑作選』の表題作は武帝が関係してくる歴史と時間についてのSFだし、『月の光 現代中国SFアンソロジー』には我々のよく知る歴史が逆行していく世界で中国史が紡がれていく宝樹「金色昔日」が入っていて──と、あげはじめたらきりがない。これは「中国SFです」と紹介するにあたっては、中国史を扱った作品が手っ取り早いというのも関係しているのだろう*2

中国史物が中国SFのアイコンとしてわかりやすいとはいっても、歴史や中国特有の価値観が色濃く出ている作品は中国国外読者にはわかりづらいわけで、アンソロジーでは比較的入りやすい作品が集められている。一方、本書は序文で『本書の収録先に共通しているのは、中国の台頭著しい二十一世紀に発表された作品であること。そして言うまでもないが、編者が心から面白いと思った中国史SFであることだ』と宣言されているように、もう少しディープに中国史や思想に寄りかかった作品が多い。

僕は小学生ぐらいの頃に司馬遼太郎や宮城谷昌光といった歴史作家、とりわけ中国史物にハマっていたが、その理由はとにかくスケールがデカいことにあった。歴史が長いだけでなく人口も多いからか、作る物も戦争も反乱も規模がでかい。そこに諸子百家、儒教、道教、中国仏教といった中国哲学の流れも入ってくるので、どこを切り取っても題材には事欠かないのだ。本書も、中国史全体を捉えたものもあれば、孔子や老子の思想を中心に据えたもの、紀元前の春秋時代から近現代物までありと、時代的にも題材的にも広がり、とにかく、無法におもしろい作品が揃っている。

以下ざっと紹介してみよう。

各作品をざっと紹介する。

トップバッターである飛氘「孔子、泰山に登る」は、前5〜6世紀を舞台に、孔子が天を支える柱であり、人には登ることができないとされる泰山を目指す短篇だが、いきなり墨翟だったり老子だったりといった当時の思想家がぽこじゃか出てきて、歴史的にはディープな一篇である。歴史的な文脈が多く、最初はかなりとっつきづらく感じるのだが、よく読むと、〝道〟とは何か、〝器〟とは、〝能〟とは、といった思想についての議論がそのまま〝歴史とは何か〟、〝歴史を理解するとはどういうことなのか〟といった本筋に問いかけへと繋がっていき、どんどんおもしろくなっていく。

泰山に登ることで孔子は宇宙の真理を知り、さらには歴史を歴史を理解する術をあるのだが、はたしてその時孔子は何を思い、何を選択するのか。短くも中国史SFの醍醐味が十全に詰まった、トップにふさわしい一篇である。

続く馬伯庸「南方に嘉蘇あり」は、笑って読める偽史もの。現実の中国においてコーヒーが伝来したのは19世紀で、現在もそれほど消費量が多いわけではないようだが、コーヒーがもしずっと前に中国にきていたら──というifを描き出していく。どのようにコーヒーが中国で栽培されはじめたのか、という生産の話だけでなく、後漢時代庶民の手に入らなかったこのコーヒーのに庶民はどう想像を膨らませていたのか。孔明が嘉蘇の製法にどのような改良を加え、嘉蘇の飲みすぎがその死に関わったエピソードなど、全部嘘なのだが、様々な手管を使ってその偽史を紡ぎ出している。

程婧波「陥落の前に」は雰囲気が変わり、洛陽の街を舞台にしたゴースト・ストーリー。舞台は洛陽だが、大きな骨の巨人が洛陽をひっぱって、太陽に追いつかれないようにするのでずっと闇に包まれている。街は幽霊で溢れかえっていて、語り手の少女は洛陽を停めるため、街を駆け回る。最初はいろいろと謎が多いが、次第に歴史的事実との交錯がみえてきて、鮮やかになぜ洛陽がこんなことになっているのか、街が幽霊だらけの謎に解決が与えられる、儚くも美しい一篇だ。宮崎駿に影響を受けたと書いているが、たしかに全体の雰囲気や少女の造形はかなり千と千尋っぽい。

続く飛氘「移動迷宮 The Maze Runner」は、18世紀末の清朝を舞台にイギリスとの一瞬の交錯を描き出す一篇。当時の清は反乱が増え社会不安が増大し、逆にイギリスは産業革命もあり国力が増大していく時代だった。中国は大英帝国に対し、この「万花陣」を超えることに成功したら何もかも融通してやるわいと条件をつけ、使節団はそれに乗るのだが──。それは有限の時空に無限の宇宙を詰め込んだかのような終わりの見えぬ迷路なのであった。中国が大英帝国に一泡吹かせる話ではあるのだが、その裏には中国の強烈な不安もあり、時代の空気感を幻想的に写し取った一篇だ。

『三体』の二次創作作家としてデビューした宝樹による「時の祝福」は、古典的なタイムマシーンとタイムトラベル理論を鮮やかに演出してみせた一篇。舞台は1920年で、当時中国は日清戦争に負け、国としての危機感がつのっている時代。語り手とその友人は、たまたまタイムマシンを手に入れ、歴史を変え中国を再度大国にしようとするのだが、その前にテストとして身近で非業の死を遂げた女を助けようとする。

これは結局、「変化を起こしても、大局として起こったことは変えられない」タイムトラベルにおいて古典的な状態に陥ってしまうのだが、それが「歴史のあるべき形とはなんなのか」という、より大局的な議論へと繋がっていくのがやたらとうまい。

最後の二篇はどちらも本書の中でも飛び抜けて好きな作品だ。韓松「一九三八年上海の記憶」はタイトルどおり1938年上海を舞台に展開していく時間SF。語り手は30ほどの女店主がいるレコード屋に通っているのだが、ある時彼女から「人生と歴史をやり直すことができる」レコードの存在を教えられる。それを使うと人生をやり直し、別の未来に到達することができるが、記憶は持ち帰れないから、タイムトラベラーのようにはいかない。使った場合、その人物は今いる時間軸から消失してしまう。

おもしろいのが、こういう話はたいてい語り手が何の選択をするかに焦点があたることが多いが、本作の場合、語り手がいや〜ぼくは別にいっかな〜とかいってためらっている間にこのレコードの存在が中国全土に広がっているような気配が描かれていく点にある。文化人が、政治家が、徐々に消えていくのである。当時、中国は日中戦争の真っ最中。今が最悪なのだとしたら、記憶なしでやり直してもよりましな未来になるのだろう。だが、どうやったら今が最悪だと正しく判断できるのか? 夜明け前が最も暗い、という格言もあるように、少し待てば国家としての最盛期がやってこないとも限らないのだ。歴史をとらえる難しさを感じさせてくれる一篇である。

最後に収録の夏笳『永夏の夢』は傑作中の傑作なので(できるだけ内容を明かさず)サラッと紹介するが、地球の寿命よりも長く生きる永生者と、時間を自由にかける時間旅行者の物語。永生者は時間を飛ぶことはできないが、待てば未来には行くことができる。一方、時間旅行者は時間を飛び回ることができるだけで、寿命は人と変わらない。時間と特殊な付き合い方をする両者が、どのようにその関係性を深めていくのか。恐ろしいほどにロマンティックかつ鮮やかなヴィジョンをみせてくれる作品で、時間SF短編としてはオールタイム・ベスト級の作品だ。これは本当にすごい!

おわりに

歴史SFの醍醐味の一つとは、時間移動や人生やり直しレコードなど、特殊な設定・状況を導入することで、歴史を違った視点や観点から捉え直すことができる点にある。起こったことは変わらないが、人が紡ぐ歴史はそれが行われた時代の価値観や研究内容によって意味合いを変える。そうした、歴史を扱うおもしろさがたっぷり詰め込まれた一冊だ。

*1:ちなみに、中央公論新社からは昨年中国のSFを書く作家の一人として著名な郝景芳の自伝的小説『1984年に生まれて』も刊行されていて、中公の中での流れは続いている。

*2:これは編者解説の受け売り