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砂漠の美しさ、サンドワームの神話的な恐ろしさを見事に表現してみせた傑作映画──『DUNE/デューン 砂の惑星』

『DUNE/デューン 砂の惑星』公開時にIGN japanに寄稿した映画reviewを、年末ですし、Amazonでも買えるようになっているのでブログ用に編集して投稿してます。おもしろいので観てね。

はじめに

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『DUNE/デューン 砂の惑星』がついに公開された。ヴィルヌーヴ監督は、映画『メッセージ』で特殊な言語を用いる地球外生命体とのコミュニケーションという難しいテーマを見事に映像化し、その後カルト的な人気を誇るSF映画『ブレードランナー』の続編『ブレードランナー 2049』の監督も担当。

『ブレードランナー 2049』は、熱狂的なファンのいる映画の35年ぶりの続編で、事前のハードルは上がりきっていたといっていい。だが、蓋を開けてみれば巧みにオマージュを取り入れながら前作を継承し、同時にヴィルヌーヴらしさも全開の映像で、数十年来の面倒くさいファンをも納得させる形で世に送り出してみせた。今では映像化の難しい題材のSF映画を任せるには、最良の監督の一人であるといえる。

で、そんな面倒くさいSF映画請負人になっていたヴィルヌーブ監督が次に手をつけたのが、フランク・ハーバートによる映像化不可能と言われた伝説的SF小説『デューン 砂の惑星』なのである。先に結論を述べておくと、ヴィルヌーブ監督は本作を完璧に現代の映画に仕立て上げてみせた。砂に覆われた惑星は荘厳に演出され、本作を象徴する砂蟲のヴィジュアルと登場シーンには圧倒された。ずっと観たいと思ってきた『デューン』の世界がここにあった! と叫びだしたくなるほどの快作だ。
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公開前の期待と不安

話を戻すと、ヴィルヌーヴ監督がフランク・ハーバートの『デューン 砂の惑星』の映画化を担当するというニュースが飛び込んできた時、期待半分怖さ半分といった感情が沸き起こってきた。ヴィルヌーヴ監督がこれまで手掛けてきた作品、特に近作については、ゆったりとした時間の流れの中で、重厚で美しいレイアウトとカットをつなぐスタイルが特徴的である。それは、砂に覆われた美しくも終末的な惑星を舞台とし、銀河帝国が存在し、領地を任された貴族たちが陰謀に邁進する、旧時代的な体制が復活した原作の世界観とよくあっている。それは、期待できたポイントだ。

一方で不安だったのは、シンプルに原作の映像化のハードルが高い点だ。『メッセージ』の場合は、原作のSF小説はシンプルな短篇であり、一本の映画にするのに無理のある分量ではなかった。対する『デューン』は、複雑な人間模様と陰謀が渦巻き、言葉で相手を屈服させる超能力者など、神秘も入り混じった複雑な設定がウリの大長編だ。未来視能力持ちの主人公によって、無数の未来の可能性が交錯する演出。

砂漠の惑星に住まう原住民の特殊な文化や、特殊な生物の細かな生態描写。これらのディティール集積が原作『デューン』の魅力であり、それらの要素を映像化にあたって簡略化したり取り扱わなくなると、その魅力は途端に消えてしまう。

魅力的なポイント

実際、これまで映画化は試みられ失敗してきた(ドラマ版はそれなりの成功)わけだが、そこにきてのヴィルヌーヴ監督なのである。彼のこれまでの不可能を可能にしてきた実績からすればいけそうな気もするが、それをはねのけるほど『デューン』の壁は厚いようにも思える。さて、どうなることやら──と思って観てきた結果は、最初に結論として述べたとおり。高まったハードルを遥かに越える作品である。

その内実に迫る前に、先に本作の世界観をざっと説明しておくと、舞台は人類が地球外に進出し、恒星間移動までを成し遂げている遠い未来。だが、恒星間移動移動のためには砂に覆われた惑星アラキスにしか存在しない特殊な香料が必要で、これが現状この宇宙で最も価値のあるものになっている。この世界では先にも書いたように皇帝が存在し、皇帝から貴族に領地が任される旧来のシステムが復活しており、主人公ポールは、貴族たちの中でも特に力を持ったアトレイデス公爵の一人息子である。

アトレイデス公爵は、皇帝の命によって香料生産の重要拠点であるアラキスの管理・運営を任されることになるのだが、実はこれはアトレイデス家の力を恐れた皇帝が、彼らを抹殺するために仕掛けた罠なのであった──という流れで、ポールは父に付き添って砂の惑星に降り立ち、貴族たちの陰謀に巻き込まれていくことになる。

プロットが複雑だとかいろいろと映画化にあたってハードルを上げることを書いてきたが、プロットの軸はシンプルでわかりやすい貴種流離譚(身分が高く若い主人公が、生まれ故郷を離れて放浪を続け、困難を乗り越えていく説話の一類型)であり、本作では台詞に至るまで原作に忠実にそのストーリーをなぞっていく。

映画化にあたってまず偉かったのは、複雑極まりない原作を一本、2時間程度に無理やりまとめる愚はおかさず、2部作構成とし(『デューン/砂漠の救世主』の映像化を加え、3部作とする可能性も模索しているという)、しかもその一本目である本作の上映時間からして2時間30分超え(155分)の長さにしたという英断にある。

その時点で信頼感が湧いてくるが、個人的に本作の映像化で最も注目していた二つのポイントがしっかりと抑えられていた点にまず喝采をあげたい。ひとつめのポイントは、砂に覆われた惑星という本作の最大のヴィジュアル的特徴をどう映像に落とし込むのか。もうひとつは、本作を象徴する生物といえる全長数百キロメートルにもおよぶ「砂蟲」の造形とその圧倒的な巨大さ、恐怖感をどう演出するのかである。

ハーバートが原作で描き出した砂漠は、無機的なだけでなく、美しさも感じさせる特別な場所であったが、本映画でも、朝、昼、夕方、夜とさまざまな時間帯にあわせて姿を変える砂漠を、その美しさや終末的な虚無感まで含めて描き出している。

なんといっても素晴らしいのは砂蟲の造形と演出だ。砂の惑星アラキスの砂の中にはこの砂蟲がさまよっており、人間が普通に歩く程度の振動であっても探知し寄ってきて、凄まじい大きさの口で対象を丸呑みにしてしまう。超巨大な生物が砂中を移動してくる絶望感と壮大さ。人間が立ち向かうなど不可能であることを一瞬で理解できるそのモンスター性に、まるで実在しているかのような生物性──皮膚の質感や、口の開き方──が、本映画では濃密に描き出されている。ヴィルヌーブ監督は砂蟲に関して、設定面まで含めたデザインを決めるのに一年かけたなど、相当気を使っていたことがインタビューで明かされているが、それだけのことはある仕上がりだ。

他にも注目すべき箇所はいくつもある。たとえば、凄まじい日がさすこの惑星で生きていくためには必要不可欠な保水スーツ(身体からでる汗などの水分をすべて吸収・リサイクルして再度飲めるようにする)のデザインであったり、個人の体を攻撃から守ってくれる防御シールドの存在と、それを前提としたアクションもいい。生物に着想を得た、四枚羽で飛ぶ飛行機の造形も素晴らしかった。原作の文章は常に神話が綴られていくような詩的な文章で綴られていくことも特徴だが、古さと新しさの混交した世界観や台詞のデザインは、その詩情をよく画面に映し出している。

主人公のポールを演じるティモシー・シャラメは、裸で出てくるファースト・カットからゾッとするような美青年ぶりで、初登場以後も美しくないカットなどひとつもない。その美しさには、男の自分でも見惚れてしまうほどであった。

原作を知らない人でも楽しめるか?

完成度の高い作品だが、原作未読でも楽しめるか? といえば、独特な造語、宗教と政治を含めた世界観が多く描かれ、複雑な人間関係が入り乱れる作品なので、他のSF映画と比べてもハードルは高くなる。長めの尺を使っているとはいえ、原作から削除された部分も多いので、説明不足に感じる部分もあるだろう。

ただ、そうであっても背景に存在する深い世界観は断片的な台詞ややり取り、背景などからかなりの部分を推察できるようになっているし、骨格としてのプロットはシンプルなので、あまり問題なく楽しめるだろう。ヴィルヌーヴらしい絵作りも相変わらず圧巻で、これまでのヴィルヌーヴ監督作品を楽しめた人なら、言わずもがなだ。

総評

『デューン 砂の惑星』という原作を、ヴィルヌーヴ監督は完璧な形で映像に仕立て上げてみせた。画面いっぱいに広がる砂漠の美しさ、砂蟲の恐ろしさに、ハンス・ジマーによる音楽、どれをとっても映画館で体験することをオススメしたい。

正直、二部作構成となったことで第一作目である本作は中途半端なところで終わるのだが、本作だけでも間違いなくその映像の特別性とおもしろさは伝わってきて、ただただ「早くこの続きが観たい!」という渇望が湧いてくる。この原稿をIGNに書いた時(公開当時)にはまだ第二部の制作にゴーサインが出ていなかったが、現状はそこはすでにクリアしているようで、よかったよかったというところである。

それどころかヴィルヌーヴ監督はクラークの『宇宙のランデヴー』の映画化まで担当することが報じられていて、いよいよSF映画何でも屋じみてきたなというところだ。