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はるかな未来から少し先のニューノーマルまで、パンデミック後の多様な世界を表現する韓国SFアンソロジー──『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』

この『最後のライオニ』は韓国の作家6人がパンデミック、感染症をテーマに短篇を書いたSFアンソロジーである。韓国語の原書が刊行されたのは20年9月のことで、ようは世界が新型コロナウイルスの存在を知ってから書かれた作品ということになる。

近年、SF作家らに未来を予測、あるいは自由に想像してもらおうとする試みが世界で行われるようになっていて、日本でも日本SF作家クラブ編によるアンソロジー『ポストコロナのSF』が刊行されたが、本作もそうした流れに連なる一冊である。黙示録、感染症、ニューノーマルと作品は描き出すテーマと情景ごとに分けられており、ポストコロナにとどまらないSFが揃っていて大変おもしろかった。

この記事の最後で少し書いているが、21年は韓国SFが多数出た年でもあったのだけど、21年末に出た本作はその印象をさらに強めるものだった。全6篇と多いわけではないので、全体をざっと紹介してみよう。

黙示録

巻頭を飾るのは、韓国でも飛び抜けた人気を誇る新鋭作家キム・チョヨプの「最後のライオニ」。大胆さと勇敢さで知られる種族ロモンに属する語り手が、遠い惑星系で発見された、人間たちに打ち捨てられた居住区をたったひとりで探索していく。

その居住区には人間はいないものの、かつて人間に使われていた自律行動する機械たちが残っていて、語り手はその機械たちのリーダーに「ライオニ、あなたはライオニだ」と誤認識して語りかけられ、なぜか監禁されてしまう。語り手からすれば自分はライオニではないし、監禁される意味もわからないしで最初は理不尽なことしかないのだが──、ロモンという種族がどのように生み出されるのか。ライオニがかつて機械たちと約束したことはなんだったのか。なぜ語り手はここを一人で探索しようと思ったのかなど過去が明らかになるにつれ、すべてが繋がることになる。

語り手は勇猛さで知られるロモンの中でも例外的に気弱な人物であり、ようはマイノリティで、ロモンに対して所属意識を持っていない(『間違った種に閉じこめられているという感覚。人生で常に感じてきたこの感覚こそが、狭い培養室に閉じこめられてもまだ正気を保っていられる唯一の理由なのかも知れない』)。ライオニにも実はそうした特性を抱えていて──と、本作はある意味ではそうしたマイノリティ、社会から「欠点」とみなされる部分を持っている人々についての、優しい物語である。

続くデュナ「死んだ鯨から来た人々」は、海の惑星で、全長1.5kmにまで到達する巨大な鯨の背に乗って暮らす人々を描き出す鯨SFだ。鯨は実際には複数の個体の寄せ集めだが、そのおかげで総体としての「鯨」は生き続けることができ、人は長期的に安定した生活をおくることができる。しかし、鯨病と呼ばれる伝染病が蔓延し、鯨を構成する個体が死に始めると、増殖サイクルが崩れ、人間が住むことのできる背中の領域も少なくなってしまい──と、破滅を前にした人々の行動が描かれていく。

鯨に乗って暮らす人々、その情景が素晴らしい作品だが、ウイルスが人を利用して増殖する構図が、人間が鯨を利用して増殖する形で描き出されるなど、ウイルスと生物の関係性をより大きなスケールで捉えていて、本書の中では一番好きな作品である。

感染症

第二章感染症では、新型コロナウイルスに近い感染症によって変わってしまった日常を描き出す短篇が二作品並んでいる。チョン・ソヨン「ミジョンの未定の箱」は共同生活を行うカップルの片方が流行りの感染症にかかって(おそらく)亡くなってしまい、もうひとりはその罪の意識から過去を幻視し、この悲劇を再度起こさぬよう、厳しい選択を決断する。韓国特有の住宅事情や仕事の厳しさが反映された短篇だ。

キム・イファン「あの箱」は感染者の神経系を破壊する感染症が蔓延した世界の日常を描き出す一篇。この感染症のつらいところは、感染者をただ”昏睡状態になる”ことで、語り手の父母も感染し、意識がないままに一年以上の月日が経っている。それでも2年が経てば安楽死対象になるのだが、そろそろその月日が経とうかというところで、語り手には手違いによって空っぽの骨壷が届いてしまう。家に存在する空っぽの骨壷、ボランティア活動を通して町の人々の死を常に実感するのと同時に、根拠の曖昧な希望も描く。コロナ禍の気分を、また別の形で的確に写し取った作品だ。

ニューノーマル

第三章ニューノーマルでは、感染症が当たり前になってからしばらく経った後、新しい普通が確立した後の世界を描く二篇が並ぶ。ひとつは、ペ・ミョンフンによる言語SFである「チャカタパの熱望で」。2020年の5月を基準として、それ以前に出た情報だけを集めた近代史アーカイブにこもる一人の歴史研究者の話が展開する。

だが、読み始めるとすぐにこの短篇が脱字だらけであることに気がつく。たとえば『ジサイにもそうだ。そのような作品はジュチュハク、征服されている』など明らかに変換や言葉遣いがおかしい。ただ、よく読めばわかるのだが、これはつばが飛ぶ破裂音が消えた話し方なのである。つまり、これは感染症を蔓延広げないために(現代の価値基準からすると)特殊な話し方が蔓延した世界の人の言葉遣いなのだ──といって、22世紀の未来と現代の価値観のズレが様々な形で描き出されていく。

最後の一作は、イ・ジョンサン「虫の竜巻」。スズメバチのように大きな蚊によるインフルエンザが蔓延し、人と人の接触機会が激減した世界で、結婚を間近に控えたポポの不安を描き出す一篇。人はスクリーンウインドウを通して出会い、会話をすることが当たり前になっていて、ポポと恋人のムイもその例外ではない。今まで平和に過ごせたのは、スクリーンウインドウだけで会っていたからではないのか? 

二人は一人家の家が繋がった(中は壁で分割されている)二人用住宅と呼ばれる家に引っ越す予定だが、そこで暮らすうちに相手が冷淡で無情な人間に変わることだってある──と、完全なるマリッジ・ブルーに陥った状態といえるのだが、そうした不安は人の接触がより減少した社会にあってはより強くなるのは間違いないだろう。

末尾の作家ノートには、『小説を構成する際に関心があったのは、「パンデミック時代であっても、変わらないものは何だろう?」ということだ。他の誰かとつながりたい心、さらに進んで、つながった誰かと人生をともにしたいという心──それが私の結論だった』と語られている。

おわりに──2021年の韓国SF

全体を通してみると、同性カップルの話や、苦しい住宅事情や結婚にまつわる話、マイノリティの話が(複数あることもあって)印象に残るが、それは翻訳されている他の作品でも同様なので、韓国の状況・文化の事情も関係しているだろう。

2021年は『三体』完結などで話題沸騰の中国SFのそばでそうした韓国SFの存在感が増していた年でもあった。「最後のライオニ」の著者でもあるキム・チョヨプはデビュー作『わたしたちが光の速さで進めないなら』が素晴らしいSF短篇集だったし、『保健室のアン・ウニョン先生』などで知られるチョン・セランの『声をあげます』も地球の滅亡や感染症をテーマにした本格的なSF短篇集で素晴らしかった。

他にも、イ・ランによるゾンビ物などが含まれる短篇集『アヒル命名会議』、社会から排除される寸前の競走馬とヒューマノイドの感動長篇のチョン・ソンラン『千個の青』、一九八二年と二〇一六年の間で、時を超えた文通が少女間で繰り広げられる長篇イ・コンニム『世界を超えて私はあなたに会いに行く』など、刊行元の出版社もバラバラで多様な韓国SFが刊行されている。