基本読書

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誰もがテレポートを実施でき、距離が存在しなくなった世界をどこまでも追求する、エネルギーに満ち溢れた四年ぶりのSFコンテスト受賞作──『スター・シェイカー』

この『スター・シェイカー』は、三回に渡って大賞が出なかった(優秀賞は出てたけど)ハヤカワSFコンテスト久しぶりの大賞受賞作にして、いかにもデビュー作らしく、荒削りながらも圧倒的な才能を見せつけてくれる渾身のテレポートSF長篇だ。

テレポートといえばどれだけの距離であっても瞬時に移動することをさすが、それが出来たとしても、少し考えればそれってどんな仕組みなの? と疑問を持つはずだ。たとえば「瞬時に移動する」といっても、その間に地球は時速1600kmで自転しながら太陽の周りを時速10万kmで公転しているわけで、宇宙の絶対座標で移動しようとしたら地球に置き去りにされる。また、テレポートした時体はどこを通るのか、テレポートした先に何かがあったら──など疑問はつきないが、本作はそうしたテレポートの疑問に答えを与えていくうちに、宇宙の真理にまで到達するような作品である。

本作は選考でも評価が割れたというが、たしかに既存の大賞受賞作(『コルヌトピア』や『構造素子』、『ユートロニカのこちら側』や『ニルヤの島』)と比べると表現力や構成といった作品全体の完成度では一段落ちる。正直文芸的な部分、キャラクタ造形やその心情の描き方などにはまるでノレず、途中で読むのやめようかなと思うレベルだったが、同時に他の作家では味わうことのできない圧倒的なスケール感とごった煮感、偏執的な世界観構築などの一点突破の魅力がいくつもあり、マイナス50点にプラスが200点ぐらいあって150点になっているような作品である。

大好きだし、今後どのような作品を書いてくれるのかワクワクさせてくれるような、新人賞受賞作らしい作品だ。ちなみに、著者(人間六度)は本作と同時に電撃小説大賞を《メディアワークス文庫賞》で取っておりこちらも今月の25日に発売される。

世界観について

物語の舞台は、何度も書いているが誰もがテレポートができるようになっている近未来。この世界でのテレポートは機械で行われているわけではなく、人間の身体機能に組み込まれていた潜在能力として説明される。テレポート利用時には細胞からエネルギーが均等に奪われるが、そこまで大きいわけではなく普段使いできるレベルだ。

テレポートが実施された場合、行為者は輪郭が重心に向けて〈縮入〉し、出現はその真逆の〈膨出〉を生む。そこで最初の疑問の「何かある場所に〈膨出〉したらどうなるの?」が出るわけだが、この世界のテレポートでは先に物体があった場合、光速に近い速度で膨張する輪郭の衝撃で何もかも裂断される。そのせいで、テレポートが「発見」された直後は、多くの人間が誤テレポートで裂断されているのだ。

また、人間がテレポートを行う時、どこからどこまでがワープされるのかは「輪郭」によって決定される。輪郭とは体とは関係なく、行為者の認識次第であり、仮にそれが広いと自分の体の周囲のものを切り取って、テレポート先を広範囲に破壊するし、、逆に小さく、足が認識から漏れていたりすると足がその場に取り残され、ワープ先で致死的な身体の欠損に至る。テレポートは狂気の能力というほかない。

そんなんじゃテレポート使いようがなくない? と思うかもしれないが、それを解決するためにこの世界では「WB(ワープボックス)」が用いられている。これは箱の容積いっぱいを「自分だ」と認識させる機能を持っており(無理やりな設定だが)、WBからWBへと飛ぶことでテレポートを安全な移動手段にすることが可能となり、日本からは公道が完全に消え、高速道路は遺棄されひとが立ち入らぬ場所となっている。

 現在、日本に公道は存在しない。都心の道路は全て再整備され、土地として売り出された。区に還元された売上金でWBを主体とした新たなインフラが築かれ、日本中の都市がこれに倣った。
 今や自動車は、限定空間で行うスポーツのための余興品。馬と同じく、車主と呼ばれるオーナーが管理し、自前のエンジニアにメンテさせる。カーレースは日本で五番目の公営競技になった。

あらすじなど

で、物語はそうしたテレポート能力を事故で失ってしまった勇虎と、麻薬の密輸などを行う〈炭なる月〉から逃げてきた特殊なテレポート能力を持つ少女ナクサが出会う、シンプルなボーイミーツガール物として幕をあける。テレポートは通常横移動が中心で高低差のある場合は中継地点が必要とされるが、ナクサは重力に逆らってテレポートし、「地球を貫通し宇宙にも届くことができる」力を持った破格の能力者だ。

最初は単なる家出少女扱いで、厄介だなあと思いながらも家においておくだけなのだが(このあたりの描写は正直かなり気持ち悪い)、ナクサは世界に三人しかいないといわれる限定された能力者であることもあって〈炭なる月〉からの追手が迫り、勇虎も否応なしに巻き込まれていくことになる──。

圧倒的なケレン味

といったところまでが概ね本作の導入部だが、本当におもしろく、めちゃくちゃなケレン味が出てくるのはここから先だ。たとえば追手がくるといっても、相手もWB経由でしかこられないんじゃないの? と思うかもしれないが、この世界では〈度〉という修行をこなし「どこにでも飛ぶことができる」本来のテレポート能力を駆使する「奥義者」が存在する。彼らは古典テレポートでどこにでも飛べるだけではなく、それを使って相手の体にテレポートすることで、相手を裂殺することができる。

わずかな物質でも相手の体の中にテレポートさせれば殺すには十分なので、”初撃で相手を殺せなければ絶対的な不利を負う”。たとえば、初撃で体を半分持ってかれても、意識がわずかにでも残っていれば残った体をすぐ近くの相手に飛ばすことで同士討ちにまで持っていけるので、初手を外すと死が確定するのだ。他にも、消えた瞬間に切り取られた空間に大気が流れ込むことを利用した攻撃など、テレポートがあるからこそのバトル・ロジックがいくつも出てくるので、戦闘と修行シーン(氣空道というものがあり、勇虎に教えられることになる)を読んでいるだけでおもしろい。

最初に、「テレポートするっていっても地球はすごい勢いで自転&公転してるんだからどう座標を指定するの?」という問いを出したが、氣空道を学ぶ過程でそれに答えが与えられ、攻撃に利用される話が出てきたりもする。もっとも、その答えは「人が無意識で変換しているから」なのだが、理屈の押し付け方が凄い。

「無意識に変換……? なぜそんなことが」
「わかりません。ただそうでなくては、我々は膨出するたびコリオリの力に振り回され、まともにテレポートすることなど不可能でしょう。しかし現に──できている。このできているということが重要なのです。プラセボ効果や自由意志の定義と同じように、証明を経ずして一般化されてしまっただけで、おそらく人類の空間認識が惑星での生存に適した様態へと、自動補正されているのです。故にその様態をコントロールできれば──」
 位置エネルギーは速度になり、速度は衝撃力へと変わる。

おわりに

と、この部分だけ読むとえ、この作品って途中から完全にテレポート能力バトル物になっちゃうの? と思うかもしれないが、テレポート能力バトル修行&実践篇の中盤を経て、物語は終盤でこの宇宙の存亡をかけるような大きなスケールへと発展していく。ナクサが「地球を貫通できるほどの長距離能力テレポート能力者」であることからもわかるように、本作はもとより宇宙がその射程の中にある。

テレポートは本当に移動のための手段にすぎないのか? また、テレポートをする時、人はどこを通っているのか? そこにとどまることはできないのか? など、どこまでもテレポートの意味と意義を深堀りし、壮大な風景をみせてくれる。これぞSF! と言いたくなるような、ドストレートなSF作品だ。