基本読書

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街なかの時計がすべて別の時刻をさすほどにルーズなブラジルと、時間に厳しいタイトな日本、何が異なるのか?──『ルーズな文化とタイトな文化』

世界は技術の発展によって、過去例にないほど密接に繋がるようになった。飛行機は世界中を行き来し(今は違うが)、インターネットは光速で世界の情報を伝えてくれる。それなのに、なぜこれほどまでに国ごとで大きく文化が異なっているのか。

本書『ルーズな文化とタイトな文化』は、国ごとの文化がこれほどまでに異なっている根本的な理由を、「世界にはルーズな文化とタイトな文化があるからだ」とし、なぜそのような文化の差が生まれるのか、ルーズな文化とタイトな文化の違いは何なのかを解き明かしていく一冊である。ルーズさとはいってみれば自由さやだらしなさのことであり、タイトさは規律や規範を重視する秩序だった姿勢のことをさしている。

 タイトな文化は社会規範が強固で、逸脱はほぼ許されない。一方、ルーズな文化は社会規範が弱く、きわめて寛容だ。前者は「ルールメーカー」(ルールを作る者)、後者はルールブレイカー(ルールを破る者)と言える。

この区分けでいえば日本人はタイトに分類される。電車は一分の狂いもなく到着し、人々は整然と並び、規律を乱すものに厳しい態度がとられる。一方でアメリカやブラジルはルーズに分類される国だ。アメリカではごみのポイ捨てから信号無視、犬のふんの放置など数々のルールの逸脱をみつけることができるし、ブラジルでは街なかの時計はすべて違った時刻を指し、ビジネスの会議には遅刻するのが普通だ。

正直、ルーズな文化とタイトな文化のような抽象的な分け方は印象論に留まるもので、客観的な数値を出して説得するのはなかなか難しいんじゃないかと思いながら読み始めたのだけれども、きちんとそのあたりも丹念な調査・研究の裏付けがあり、おおむね信頼がおける内容であった。本書を一冊読み通せば、国や文化をみるときの、おもしろいものさしをひとつ手に入れることができるだろう。

どうやってタイト/ルーズをわけるのか?

国をタイト・ルーズで分けるとしてそれをどう決定するのか? 著者は7000人30ヶ国以上の人にたいして、自国の規範についての質問をなげかけている。たとえば、あなたの国には従うべき社会規範があるか? 望ましいふるまいが決まっているか? 不適切な振る舞いをする人がいたら、他人は強く不満を示すか? などなど。

集められた回答を使ってタイトとルーズのスコアをつけると、タイトな国上位はパキスタン、マレーシア、インド、シンガポール、韓国、ノルウェー、トルコ、日本、中国などがあがる。一方、ルーズな国はウクライナ、エストニア、ハンガリー、イスラエル、オランダ、ブラジルなどである。これは違和感のある結果ではない。

そのランキング結果だけみせられてもだからなんなんだよ感があるが、重要なのはタイトな国とルーズな国にそれぞれどのような特徴があり、このスコアの並び通りにそれが発生しているのか? だ。たとえば、タイトな国では犯罪率が低く、ルーズな国では犯罪はよく起こる。『タイトな国は犯罪は少ないのに加えて、たいてい整然として清潔である。この点でもやはり、強固な規範と監視が連携して作用している。』

また、おもしろい例のひとつに、街なかの時計という尺度がある。実は時計はきちんと揃って同じ時刻を示す国もあれば、そうではない国もある。30カ国あまりの首都の時計を調べた調査では、オーストリア、シンガポール、日本などのタイトな国では市の中心部にある時計はよく揃い、ズレは30秒未満だった。一方ブラジルやギリシャといったルーズな国では、2分近いズレがあった。各国の時間のズレの調査結果をみると、タイト・ルーズな国がそのままの順番できれいにならんでいておもしろい。

なぜタイトな文化とルーズな文化は分かれるのか?

しかし、そこまで明確な差があるとしてなぜ、どうやって分かれていくのか? 同じタイトな文化であっても地理的に離れていることは珍しくない。理由のひとつは、「タイトな文化は、脅威に立ち向かう必要に迫られた場所で生まれる」だ。

たとえば日本でいえば度重なる自然災害があった。アメリカはルーズな国だが、二つの広大な海で他の大陸から隔てられているおかげで外部から脅威を感じることが少なかった。同じくルーズなニュージーランドやオーストラリアも同様だ(紛争がなかったわけではないが)。アジア、特に中国では紛争が頻発していたし、パキスタンを筆頭に中東の国々も同様である。それがタイトな文化を生んだ一要因ではあるのだろう。

もうひとつの理由としてあげられているのが、人口密度だ。タイトさで高いスコアを示すシンガポールは、2016年の人口密度が一平方キロメートルあたり8000人近い。一方アイスランドはわずか3人だ。日本の人口密度330人程度で、かなり上位になる。

混雑したエレベータや電車の中でもみくちゃにされれば横にいる他人のふるまいがめちゃくちゃに気になるように、人口密度が高い国では規律・規範を守ることが強く求められるようになる。『高い人口密度は、人間が直面する基本的な脅威だ。パーソナルスペースを確保するのが難しい社会では、混乱や対立が起こりやすい。』

タイトさにもルーズさにも良い面がある。

と、ここまでは世界各国がどのように分けられるのか・またその原因は何なのかについて書いてきたが、重要なのはどちらかが良い・悪いわけではないということだ。

たとえば、タイトであれば集団が規律づいていて、社会秩序が守られ犯罪も発生しないという点ではいいことだ。だが一方で変化を好まず、慣れ親しんだものを好むことからイノベーションが起こりづらく、移民などにも否定的な感情を持つ傾向がある。ルーズな文化では自由が尊重され、イノベーションが発生しやすく、リスクを恐れない行動がみられる。ただし、あまりにルーズすぎても問題だ。二週間に一回以上学校に遅刻した人は、アメリカでは30%もいたが上海は17%だった。

どちらも組織・集団にとっては良い側面、悪い側面をあわせもっている。重要なのは、タイト・ルーズといった基本的な文化が存在することを認識することと、それをうまく使いこなすことだ。ブラジルの企業(ルーズ)とシンガポールの企業(タイト)が合併するとなったら、恐らく組織間の文化摩擦は凄いことになるだろう。だが、対立が避けられないと知っていれば、事前に対処することもできる。

本書では、ルーズな文化を持つ企業がタイトな文化を取り入れる方法(またはその逆)など、幅広くルーズ/タイトのバランスを取る方法が語られている。

おわりに

本書は国家間のタイト/ルーズだけを追っていくわけではない。たとえば国以外のより小規模な組織でもその傾向はあらわれる。日本で言えばルーズな県とタイトな県があるように、本書では一章を使ってアメリカの州ごとの違いを検証している。

また、タイト/ルーズの法則は国の中の「労働者階級」と「上層階級」にも見ることができる。生活が苦しい家庭はいってみれば国家の例で出した「脅威にさらされている状態」にあたり、秩序を好み型にはまった単純明快な暮らし方を好むなどの回答を示す割合が高かった(上層階級はルーズ)──など、タイト/ルーズな文化比較を通して、格差、企業合併、組織内の対立など幅広い問題が理解できるようになる。

環境問題のような地球全体が関連したテーマに向き合うには、世界中の国が「タイトさ」を求めらるともいえるので、どうタイト/ルーズをバランス良く取り混ぜていくのかという観点は、これからより一層重要になっていくのかもしれない。