本書『おしゃべりな脳の研究』は、そうした頭の中で鳴り響く声、セルフトークについて書かれた一冊だ。誰もが似たようなことは経験しているとはいえ、それはあくまでも主観的な体験であり、その内実はみな大きく異なっている。内なる言葉が明確に言語化可能な人もいれば、逆にぼんやりとしたイメージのようなものでで言語化不可能な人もいる。内言のスピードも人によって異なるし、常に頭の中で対話が渦巻いているような人もいれば、ほとんどの時間無音で過ごしている人もいる。
本書は、そうした様々な「内言」についての最新の研究事例を漁り、これに人間にとってどのような意味があるのかを探求すると同時に、統合失調症患者など、完全に外部からの声として幻聴が聞こえる人たちのことも「聴声者」として「内言」とは区別し、神経科学的な観点からもそれが発生する原因に迫ってみせる。
普段当たり前のように自分と対話しているので、その意味について深く考えたことはなかったが、本書を読んでから「自分っていつもどうやって対話したり、文章を読んだりしているんだっけ?」とあらためて考え込まずにはいられなかった。
どれぐらいの頻度で起こっているのか?
さて、その自己との対話である「内言」、セルフトークはどれほどの頻度で発生しているのか? それを調べる手法がいくつかあるが、MRIの中で数分間横たわった人間を調べた研究では、90%以上の参加者がその時間に何らかの内部言語を経験したものの、それが主要な思考方式であった人は17%に過ぎなかった。
それだけみれば「ほとんどの人は長時間にわたっては自分と対話していない」と言えるのだが、記述的経験サンプリング(DES)と呼ばれる、ランダムに鳴るブザーが鳴った瞬間に何を考えていたのかを記述、あるいはインタビューされる手法では、また別の結果が記されている。こちらでは、ブザーの瞬間に内言が高い割合で含まれている人もいれば(あるDES参加者の場合は94%)、まったく含まれない人もいる。
ある研究チームは、この二つを平均してブザーの瞬間の23%に内言が含まれていることを確認した。おそらく、「内言が常に行われている人」と「あまり行われていない人」の間で個人差が激しく、全体の平均をとっても意味がないような気もするが、目覚めている時間の4分の1〜5分の1ほどの時間(3〜4時間)もセルフトークが行われているとすれば、そこで何が起こっているのかを解き明かす意味は大きい。
どのような内言があるのか?
著者らが行った内言の種類に関する調査では、内言には大きく4つ──対話的、凝縮、他者、評価的──の性質が存在しているという。「対話的」は、内言が異なる視点同士の会話の形式をとるかどうかと関連し、「凝縮」は内言がどれほど省略されたかを示す。たとえば、ある研究では内言は発話時の10倍の速度で展開するとしたが、短いフレーズや単語を使って考えるひともいて、凝縮度合いは人によって異なる。
「他者」は、自分の内言には他の人が出てくる(たとえば自分ではない誰かが自分にたいして小言をいってきたり)という回答と関連していて、「評価的」は、自分がしていることを評価するか、やる気を高める役割が内言にあると答える度合いと関連している。たとえば、「あれはよくやった」とか、「あれは愚かだ」、などが相当する。
内なるセルフトークは、音声を伴う発話と同じように、好奇心や憤り、興味、退屈など、多様な感情を伝えることがある。また、さまざまな身体的感覚が付随する場合もある。内言が胴または胸から出てくると感じる人もいれば、頭、ときには頭蓋の特定部位(前頭部、後頭部、側頭部)から出てくると感じる人もいる。
「他者」が語りかけてくるように感じる人は、全回答者の4分の1しかいないそうので、こうした4つすべての性質や、引用部にあるような内言のパターンがすべて自分にもあてはまる、という人はいないはずだ。それだけに、本書を読んでいると自分と他人の内面にはこれほどの差異があるのか、という驚きが大きくなる。
黙読
読書を趣味とする人間としてもっとも興味深かったのは、「黙読」を扱った章である。我々は普通文章を読む時それを声に出さず頭の中で読む──黙読──と思うが、その時人は頭の中で声に出して読んでいるのか、はたまた抽象的に読んでいるのか?
DESで得られた結果としては、少なくとも一部の人は読みながら文字を心の中で喋っているようだ。一方、イメージも内言もなしにテキストを処理できるようにみえる人もいる。実際に会話が発生する小説では、主人公の声が頭の中に鳴り響く人も多い。
『ガーディアン』紙の協力を得て、私と同僚が一五〇〇人以上のサンプルに、読書中に頭の中で架空の登場人物の声が聞こえるかどうかを訪ねたところ、聞こえると認めた人は約八〇%にのぼった。その声は実在の人間に劣らぬほどはっきり聞こえると、七人に一人が答えた。なかには、主人公の声を積極的に設定しようとする読者もいた。
これは、個人的に驚きの結果である。僕は小説でもノンフィクションだろうが読む時に頭の中でその文字を頭の中で読み上げないし、小説の主人公の声が鳴り響くこともない。アニメや映画などでよく見知った登場人物の声でも、まったく想起されないので、世の中の人はそんなに登場人物の声を小説を読みながら聞いているのか? と読みながら疑問が渦巻いていたし、体験できないのでいまだに信じられていない。
僕がもし文章を読む時にそれを心の中で読み上げていたら、読書速度は何倍も落ちるだろう。おそらく、常に心の中で読み上げながら読んでいる人は、読み上げずに読む人なんているのか? と逆の驚きを味わうに違いない。本書を読んで内言について知っていく過程は、そうした「異質な他者」の存在を認識していく過程でもあった。
おわりに
この記事では単純化した研究結果・成果などしか紹介できていないが、実際には各研究はさらに深堀りされている。たとえば小説の声についても、間接話法と直接話法ではどう違うのかを脳の活性化をみて違いを調べたり、朗読などの形で速く読み上げたケースと遅く読み上げたケースではどのような認知の違いが出るのか、早口だと描写されている登場人物の発話を速く読むのか読まないのかなどなど。
他にも、内言の量と創造性の関連性について、統合失調症患者などがよく報告する幻聴は、自分が生成した内言を自分が生成したと認識できない時のものなのではないかとする脳画像研究などを用いた研究など、無数の観点から内なる声の秘密に迫ってみせる。読めば、自分と、他人のことをより理解できるようになるだろう。