長篇しか読んだことがなかったので、短篇にはそこまで期待せずに読み始めたのだけどこれが大ヒット。文章はまるでひとつの曲のように詩的で、思いがけない発想、表現がどの短篇にも盛り込まれ、独自の世界観にたっぷりと浸らせてくれる。僕の大好きな要素が詰まった短篇集で、特に中篇の「風はさまよう」は読んでいて思わず身を乗り出すようなおもしろさがあった。今年もさまざまな短篇集・アンソロジーが出ているが、今のところはこれが個人的なベストだ。
あと、装幀も今年ベストといっていいほどに素晴らしい。竹書房文庫は坂野公一デザインで時折攻めた装幀を放ってくることがあるが、本作も肝心要の書名が背表紙も含めて上下に反転していて、イラストも相まって美しいのだ。
各篇をざっと紹介する。──奇想系
収録作は全13篇あるので、お気に入りの作品を中心に紹介していこう。トップの「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は右腕を事故で失った男が、脳と連結し自由に動かせるはずの最新の義手をつけると、なぜか自分は道路である、具体的にはコロラド州頭部にある二車線97kmの一筋に伸びるアスファルト道である、という認識が宿っていて──といういったいどこからこんな発想が生まれたのかという短篇である。
右腕は道路であると主張するが、当然右腕は道路ではない。それはつらい経験だ。ある場所の道路でありながら、その場所に身をおけていないのだから、違和感にさいなまれる。現実でも体の一部をなくした人がその部位に痛みを感じる現象があるが、これはまた少し違う。はたして、これは治るのか、そもそも治ることを望むのか──特異な発想ながらもその違和感や喪失感は強く残る、本書を象徴するような一篇だ。
続く「そしてわれらは暗闇の中」は、同じく奇想よりの一篇で、夢の中でベビーが生まれ、存在感がましていく人々の物語だ。ベビーは夢の存在だが、現実の乳房にも母乳が出るなどの影響が現れる。それは一人だけではなく、インターネットで検索をすると同じ親が大勢存在することが明らかとなり、語り手はそのベビーが現れると確信がある、南カリフォルニア沖へと他の親たちと共に向かうことになる──。
意外な結末が提示されオチがつくような作品ではないが、海へと向かう親たちの異様な情景がやけに印象に残る。
終末系
世界の終末をテーマにしたのが表題作の「いずれすべては海の中に」。何らかの災厄により文明は終末に瀕しているが、富裕層は豪華客船で海に出て、インターネットも繋がらなくなってしまうので、ついでにロックスターなども音楽を演奏させながら日々の娯楽にかえている。だが、船に乗ったロックスターの女は何かをきっかけとして船を救命ボートで下り、漂流し、死にかけたところをゴミ拾いの女に救われる。
終わりかけた世界で傷ついたロックスターとゴミ拾いの女が出会い、ギター一本で好きな音楽を演り、少ない物資を分け合い、交流を深める過程で船の上で何があったのかが明かされていく。終末✗音楽は『新しい時代への歌』でもみられた組み合わせだが、その叙情感の出し方がサラ・ピンスカーは異様にうまい。
特におすすめの作品
「深淵をあとに歓喜して」は脳梗塞を起こしそう余命が長くない92歳の建築家のジョージと、その妻ミリーを中心にその長い人生を描き出していく一篇だ。ジョージはかつては創造性豊かに様々な建築物の設計を行っていたが、ある時期から高い設計能力を持ちながらも熱量を失い、評価もされず腐ってしまい、現在に至っていた。
ミリーはジョージにかつての情熱を取り戻して欲しいと願うが、一人きりで家で寝るとき、ジョージが変わってしまったきっかけとなる、不可思議な出来事を思い返すことになる。ジョージは軍に関係した秘密の設計の仕事に関わっていたようだが……といったところはSFネタが仄めかされているが、魅力はそれよりも老境に入った夫婦の日々、過去を懐かしむノスタルジーや喪失感をたっぷり描き出していく点にある。
子どもたちは88歳の親にはもはや何もできるわけがないと判断してミリーが何をするかも全部決定してしまうし、彼女自身、体も知的能力もだいぶ衰えているから、それが正しい面もある。しかし──まだできることも、やるべきこともあるはずだ。老境に入った人間の力強さ、その人生がぐっとくる、本作の中でも特に好きな一篇。
もう一つ、大好きなのが世代間宇宙船ものの「風はさまよう」。人類はかつて遠くの世界を目指す世代間宇宙船を作って送り出し、その内部では現在三世代目、四世代目の人間が生まれるほどには時間が経っている。だがしかし、その船が出発してしばらく経った頃に映画や音楽、演劇に歴史といった、船を維持する目的以外の地球から持ち出したデジタルアーカイブが船内のハッカーによってすべて破壊されてしまう。
残ったのは殺風景な壁ばかり。船内の人間は以後、歴史も芸術も、そのすべてを記憶に頼って再現しなければいけなくなる。俳優は覚えている限りの劇を片っ端から上演して、沖に理の小説や戯曲、絵は記憶に頼って書き直された。もちろん完全な復元は不可能だ。記憶違いもあるし、アレンジが加えられることもある。そもそも、地球を発ってしまったうえに映像資料も消えてしまい、宇宙船で生まれた彼らは、風も、山も、海も、すべては自分が体験することができない、想像上のものにすぎない。
すべての芸術はまたデータベースが破壊されないとも限らないので、人々はそれを分担して暗記するようになっている。そんな世界では、真実かどうか誰にも判断できない。歴史を学び、どこまで合っているのかもわからない芸術を再現し、覚え伝えることにどれほどの意味があるのか。語り手の、歴史の教師兼フィドル奏者は、最初に船に乗り込んだ世代の祖母との対話を振り返りながら、その問いに答えていく。
「何か地球のものが恋しい?」
「もの? 人じゃなくて? 人も入れていいなら、あなたのおじいちゃんと、ほかの子供たち──いつも恋しいし、ずっと恋しいはず。持ってこられなかった大切なものは、ほかに一つもない」祖母は遠い目をして言う。
「一つもないの?」重ねて訊く。
祖母はほほえむ。「人が手元におけるものは一つも。海は恋しい。海から吹く風も。いい曲を弾いていると、今でも風を感じる」
祖母は手を伸ばしてフィドルをとる。
風を知らぬ人々が、風について歌われた曲を演奏することができるのか。あるいは、知らないからこその何かがありえるのか。設定の斬新さに引き込まれる作品だが、歴史を継承すること、音楽や物語を作ること、その意味がノスタルジックで美しい筆致でつづられていく、サラ・ピンスカーの良いところがぎゅっと詰まった一篇だ。
おわりに
他にも、平行世界のサラ・ピンスカーが大量に集まった会合で一人のサラが殺害される奇妙なミステリー譚「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」や『新しい時代への歌』の原型で、感染症の流行で人々がVRライブを楽しむようになった世界でナマの音楽にこだわるミュージシャンを描き出す「オープン・ロードの聖母様」、むごい戦争の記憶を封印すべきなのかが問われる「記憶が戻る日」など、紹介していない中にもバラエティ豊かな短篇が揃っている。SFらしいSFはあまりないので興味は分かれそうだが、この記事を読んでおもしろそう! と思った人は絶対大丈夫だ。
先日紹介した『疫神記』と合わせて(どちらも竹書房文庫なので)本作もKindleの読み放題に入っているので、すぐ読める人は読んでみてね。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp