基本読書

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友好的なヒトが自然淘汰で残ったからこそ、いまのヒトが存在する──『ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』

近年、人類史を通して、年々暴力が少なくなっていることを示したピンカーの『暴力の人類史』や、人間の本質は利他的であると多くの類例を通して論じてみせたブレグマンの『Humankind 希望の歴史』のように「人間は想像以上に他の人間にたいして優しく、寛容な存在となりつつある」ことを示す本がよく出ている。

本書『ヒトは〈家畜化〉して進化した』は、(その善性のみを扱っているわけではなく、裏表で発露される暴力性にも触れているが)そうした説にたいして、進化人類学、認知神経科学方面からのアプローチをまとめた一冊になる。進化人類学者で動物の認知調査で知られる著者によれば、ヒトは「自己家畜化」することで友好的になり、見知らぬ他者と強調する能力を手に入れることができた。そして、その能力こそが仲間と技術や文化を共有する原動力となり、ここまで繁栄することができたのだ──と、自己家畜化からはじまって人類の発展にまつわる大きな絵を描いてみせている。

自己家畜化については2020年に本邦でも翻訳されたリチャード・ランガムの『善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』などもあって、今ホットな話題のひとつといえる。本書(ヒトは〈家畜化〉して〜)は、類書の中ではコンパクトで(本文およそ270p)、要点をつかむにはもってこいの一冊だ。

自己家畜化とは何なのか。

そもそもここでいう自己家畜化とは何なのかの話からはじめよう。家畜化とは一般的に人間がイヌやブタ、ヒツジにウシ、ウマなどの動物をの生殖と生活を管理し自分たちに都合の良い傾向を持つ遺伝子を選抜していく過程のことを指すが、これには人為的な淘汰だけではなく、自然淘汰の結果としての家畜化も存在しうる。

その代表例といえるのがイヌだ。イヌは長らく人間のパートナーとして知られ、家畜化された動物の代表格といえる存在だが、はたしてそれはいつ行われたのか? 遺伝子の研究によれば、オオカミの家畜化は農耕の開始以前に行われたとみられている。最初期の家畜化されたイヌと暮らしていたのは、おそらく狩猟採集民に近い人達だっただと想定されるが、その場合、人間に友好的なオオカミだけを選抜して何十世代も交配し、氷河時代に肉をあたえて育てていく形は非現実的である。

そこで考えられているのが、イヌは人為的に手なづけられたのではなく自然に手なづけられていったのではないかとする説だ。たとえば、人間は生活の過程で大量のゴミや便を残すが、それはオオカミたちにとってみれば重要な食料だったはずだ。そのため、人間にたいして友好的で怖がらず、をうまく利用することができたオオカミは遺伝子競争上有利になり、子孫を残しやすかっただろう。逆に人を怖がるオオカミの遺伝子は衰退していき、人間が意図的に選抜せずともヒトに友好的な種が残ってきた。

このように、人間の積極的な干渉なしに家畜化が行われることを本書では「自己家畜化」と呼称している。

家畜化を通して起こる変化

おもしろいのが、家畜化の過程にある動物には、意図してその特徴を選抜していないにも関わらず。共通してある身体的な特徴が現れることだ。その実験の代表例である遺伝学者ベリャーエフによるギンギツネの実験は、数千匹のキツネからおとなしい個体を選んで選択的に交配していくものだったが、わずか3世代で攻撃性やおびえた反応を示さない個体が出現し、世代を重ねるごとに友好性を増していった。

友好的なキツネは、意図してその特徴を選別したわけでもないのに、耳は垂れ耳になり、鼻づらは短くなり、巻き尾、小さくなった歯など身体的な特徴が共通して現れるようになった。それだけでなく、友好的なキツネは人間のジェスチャーを理解するようになり、何のおもちゃで遊ぶかを選択する時に、人間が指を指したほうを選ぶ(普通のキツネは指差しの意図を理解せず、ランダムに選択する)などの変化が起こる。

恐怖心の影響を受けなくなったキツネは、協力的コミュニケーションなどの社会的な能力をより柔軟に利用できるようになった。以前は独りで向き合っていた問題が、社会的な問題となり、協力関係にある仲間たちと容易に解決できるようになった。

イヌやキツネに起こったことが人間にも起こったのではないか。

ここで重要なのは、家畜化は人間の関与しない自然淘汰でも起こり得ること、そして、家畜化の過程でその動物の体と認知能力にはジェスチャーを理解するような変化が現れ、より友好的になり、協力的コミュニケーション能力が上昇する点にある。

ヒトの自己家畜化説では、ヒトにおいて友好的な行動が有利になるような自然淘汰が働くことで実質的な家畜化が行われ、コミュニケーションを柔軟にこなす能力が高まり、大規模な社会的ネットワークの構築と文化・技術の発展が加速されたと仮定する。現代人に特有の行動の証拠となる化石が現れ始めるのは5万年前あたりからだが、ヒトが家畜化されていく痕跡が遅くとも8万年前あたりから残っているはずだ。

何が「家畜化」の過程を示す証拠となりえるのか? ひとつは、キツネの例でもみれたような身体の変化である。たとえば、更新世後期の人間の頭骨はそれより昔の更新世中期の頭骨に比べて、眉弓の突起が40%短くなり(より友好的な顔つきになっている)、顔の横幅は5%、縦幅は10%も短くなり、見た目の印象としてはより若くみえるはずで、より友好的にみえたことだろう。

寛容さが残虐さにつながる。

重要なのはこうした変化は決して友好性だけに寄与するものではない事実である。

たとえばイヌは家族には甘えて、優しいふるまいをするが、反面侵入者などには果敢に吠え立てる強い攻撃性をも併せ持つ。著者らは、これは家畜化の過程でオキシトシン系に変化が起こることが原因なのではないか、と仮説を提示している。

たとえば、投与することで他人に対する信頼感を増加させるこのオキシトシンは、同時に脅威をもたらす敵にたいする攻撃性を増大させる。ハムスターの実験では、母親にオキシトシンを投与すると脅威となりうるオスを攻撃して噛み付く傾向が高まる他、ラットのオスは交尾相手のメスと仲良くなるとオキシトシンの分泌が増大し、雌を大切にする行動が強まる一方で、メスを脅かすよそ者を攻撃する傾向も強くなる。

ほとんどの動物の母親が、子が敵に脅かされると凶暴な振る舞いをするが、これにはオキシトシンの作用が関わっているのだろう。で、同じことはヒトの自己家畜化にもいえる。ヒトは自己家畜化の過程を通して利用できるセロトニンが増えたが、それは(セロトニンの影響を促進する)オキシトシンの影響も増えたことを意味するのだ。

進化によってより強く愛するようになった人が脅かされたときに、人間はより激しく暴力をふるうようになった。

おわりに

大規模な実験で再現が確認されなかったマシュマロ・テストなど、今では疑問がいただかれている実験がいくつか本書の中では肯定的に名前が上がっているなど(第一稿が2016年だというし、書いていた時期的間に合わなかったのだと思うが)疑念を抱かせる部分もあるが、人がどのようにして今の地位を築き上げたのかのみならず、時に発揮される人類の攻撃性・差別、暴力の発露をどうすれば止められるのか? を認知神経科学の観点から解説していて、長い射程を持った本でもある。

家畜化が認知能力・コミュニケーション能力を高めるのならなぜイヌやボノボではなくヒトだけが突出して高い社会ネットワークを築けたのかとか、ネアンデルタール人や他の人類がヒトになれなかったのはなぜなのかとか、細かな疑問点もきっちり本文中で解説しているので、気になった方はぜひ読んでみてね。