基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『三体』の劉慈欣を代表するような作品が集められた、同時刊行の短篇集2冊──『流浪地球』『老神介護』

この『流浪地球』と『老神介護』は、『三体』で知られる中国を代表する作家劉慈欣の短篇集である。なぜ同時に二冊出てるんだ、と思うかもしれないが、KADOKAWAが翻訳権を得た劉慈欣の短篇11篇(原著者側のセレクトによるもので、最初の英訳版短篇集とほぼ同じ)が、分量的に1冊で収まりきらなかったので分冊したようだ。

よって、分冊というか、上下巻みたいなものなので今回は同時に紹介しよう。いちおう作品傾向ごとに分けられていて、『流浪地球』(6篇収録)は全宇宙規模の物語が中心で、『老神介護』(5篇収録)は、地球を舞台にした作品が多い。繋がりのある短篇は一冊でまとまっているので、どちらを読むか、どちらから読むかは完全に自由だ。

すでに劉慈欣の短篇集としては早川書房から刊行の『円 劉慈欣短篇集』があるが、そのすべてを読んでみてあらためて、彼は本当に絵、イメージの作家だなと感じる。ひと目見て壮大さに圧倒されてしまうような映像、イメージ、概念がまず最初にあって、その概念の提示が終わった後は、それをできるかぎり読者に真実味を持って感じられるようにひたすらに科学的なロジックを積み上げていく。しかも、そのロジックが(たとえすべては理解できなかったとしても)明快でわかりやすいのだ。

SFの王道を征く作家である。では、下記でできる限り紹介していこう。

『流浪地球』

最初に『流浪地球』から紹介していこう。トップバッターはそのまま表題作「流浪地球」。太陽が大爆発を起こし、地球は滅亡することがほぼ確定した400年後の未来。人類は破滅を逃れるために、1万以上の”地球エンジン”を地球の地表に取り付け、地球そのものを宇宙船として飛ばし太陽系脱出を試みる──。物語は地球がとっくに動き出したあとの世代からはじまり、どのような経緯でそんな発想に至ったのか、道中の地球社会の状態、不満を持つ人々の反乱などの状況が仔細に語られていく。

2019年には中国で実写映画化され、圧倒的な高評価・興行収入を得た作品で、ネトフリで公開されていたので観た人も多いだろう。最初に劉慈欣の作品は絵だねぇ! と書いたが、本作はそれを代表する作品と言える。地球に何万基ものエンジンが取り付いた壮麗な光景。エンジンが噴射するプラズマの光柱。地球が宇宙を航行していく幻想的な光景、そして太陽の死の瞬間……どれをとってもSFならではの光景だ。

ぼくが住んでいる場所からも、数百基のエンジンが噴射するプラズマの光柱が見えた。パルテノン神殿のような、巨大な宮殿を思い浮かべてみてほしい。その宮殿の中には、無数の巨大な柱が天を衝くように立ち並び、巨大な蛍光灯さながら青白い強烈な光を放っている。あなたは、その巨大な宮殿の床に生息する一個のバクテリアだ。そんなふうに想像すれば、ぼくのいる世界がどんなものか、だいたいわかってもらえると思う。

それを支えるロジックも縦横無尽で、地球の自転を止めるのに何年かかるのかという話からエンジンがいかに地球に酷暑をもたらすのか、太陽重力を利用した地球の加速など、「地球を宇宙船にする」ための説明がこと細かく書かれているわけではないのだが、簡にして要を得る、読んでいて納得してしまうロジックが語られている。

続く「ミクロ紀元」は逆方向に壮大な一篇だ。太陽フレアによって地球の生命が崩壊することが確定した未来。人類は生き残りをかけて探査船をあちこちへ飛ばすが、その生き残りが2万5千年後に太陽系へと帰還してみると、地球を支配していたのは体を遺伝子改変によって極小サイズに変化した人間たちの社会であった──という冒頭から物語は始まる。たしかに資源の少ない世界で生きていくのに、体を小さくするのは素晴らしい選択肢だ。資源が何億倍も持ち、領土も無限といえるから領土紛争も起こらない。その社会はどのように運用されているのか……は読んでのお楽しみ。

続く「吞食者」は太陽ではなく普通に地球外生命体の侵略によって地球は危機へと陥ることになる。敵の名は〈吞食者〉。直径5万キロメートル、惑星ひとつが丸ごと入るほどの大きさの世代宇宙船で、丸呑みした惑星を咀嚼しその資源を根こそぎ奪って次の場所へと移動していく、生粋の侵略者だ。人類は当然戦うことを決めるが、はたしてそんなとんでもないものを倒せるのか? どんでん返しのオチは好みもわかれそうだがこのあたりの討伐ロジックの検討などは『三体』第二部のおもしろさがある。

他、シンプルだったはずのコンピュータウイルスが驚異の進化を遂げていくさまを描くコメディータッチの作品「呪い5・0」。学がなくエリートから見下される高層ビルの窓掃除を担当する労働者たちが、宇宙に打ち上げられた人工太陽の鏡面掃除としてその技術を発揮する「中国太陽」。劉慈欣作品のすべてに共通する、見果てぬ未知を求めて探求する精神を山登りにたとえて描き出した「山」が収録されている。

『老神介護』

『老神介護』には主に地球を舞台にした作品が収録されている。たとえば表題作「老神介護」は、かつて人類を生み出したとされる自称”神”らが地球へとやってきて、その介護を人類が担当することになる一篇。そんなすごい存在なら無限に発展しているんじゃないのと思うかもしれないが、宇宙へ飛び出したような文明にも栄枯盛衰があり、時が経つにつれ不可避的な退行に落ち込んでいて──と、人間の老いを文明になぞらえ、同時に知的文明の矜持、考の概念を描き出した作品だ。

続く「扶養人類」は「老神介護」の続篇となる。”神”は地球文明の他にも5つの地球型文明があることを人類に伝え、それらの文明が地球を侵略しにくると警告を発した。だが、その警告はすでに遅すぎ──と、扶養される立場となる人類の姿が描き出されていく。おもしろいのは、発達した文明がいかに袋小路へと陥っていくのかというテーマが「老神介護」から続けて語られていく点にある。たとえば知力がスーパーインプラントによってもたらされるようになると、人類の格差が努力で乗り越えられる手段のひとつだった教育は機能しなくなり、破滅的な貧富の格差が生まれてしまう──。「老神〜」と二篇あわせて、未来の文明論として読むとおもしろいだろう。

「白亜紀往事」は多く書かれてきた「もし恐竜が絶滅せず世界の覇権をにぎり人間のような立場になっていたら……」を扱った一篇。ただ本作は恐竜だけで発展したわけではなく、巨大な恐竜が難しい緻密な作業・動作をその共生生物である蟻が担っており、この二種は相互依存状態になっている。しかし、ある時二種間での不和が広がっていき──「巨大な世界」vs「極小の世界」の戦いとしておもしろく、おそらく蟻と恐竜が好きな劉慈欣の筆もノリにノッている。

続くのは、月や小惑星帯で働く人が増えた未来、そうした地球に帰れない人たちのかわりに「眼」となり好きな風景を映しにいってくれる人がいる世界を描き出す「彼女の眼を連れて」。設定的にはつまらなそう(眼になるとか意味わからん)な作品だが、途中で入る一ひねりによって読後感のよいハートフルストーリーになっている。

「彼女の眼を連れて」と同世界観を舞台にした続く「地球大砲」のほうが好みだ。資源の枯渇と環境悪化にともない世界の目が南極に向けられた世界。中国は地球を一直線に貫通し、穴に体を放り投げるだけで南極へと到達する超巨大トンネルの建設を実施するが──。どのようにしてそんな事業が可能なのか、どんな技術がその実現に必要なのか、これが作られることによって環境の悪化や利点、何時間で到達するのかなどディティールと壮大なるイメージに支えられた、劉慈欣らしい一篇である。

おわりに

どちらか一冊だけ買うならどっち? というなら僕的には好きな作品の多い『流浪地球』をおすすめするが、上下巻のようなものだし基本は二冊買い推奨。劉慈欣の短篇集は他にも『円 劉慈欣短篇集』があるので、合わせてどうぞ。