基本読書

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誰もが手話ができる島には、耳が聴こえないことがハンディキャップにならない共同体ができた──『みんなが手話で話した島』

この『みんなが手話で話した島』は日本では最初に1991年に築地書館から刊行された単行本の、30年以上の年月を経ての文庫版である。テーマになっているのは、アメリカ・ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島の人々の生活についてだ。

この島では一時期、閉鎖的で外部と遺伝子が混ざりづらく、遺伝性の聴覚障害のある人が多く居住し、誰もが当たり前のように手話を使う期間が長くあった。その結果、聞こえない人も聞こえる人とまったく同じように過ごし、その差異が意識にのぼらないほどとけ合って生活する特殊な文化が生まれていた。本書はその文化を数多くの証言から書き残すものだ。文化人類学者の著者はこの島の生まれであり、1980年代に当時のことを覚えている島の人たちに話を聞いて、ぎりぎり本書を書き上げている。

というのも、この島も現代にいたるまでずっと手話が通じていたわけではなくて、島の内外への行き来が容易になった1920年代の初頭には島の聾者は共同体の暮らしから疎遠になりだしていたからだ。手話を覚えている人も、誰もが手話で会話をしていた当時の島のことを覚えている人も、その後数を減らしていった。その多くが亡くなってしまう直前の時代だったからそ書けた本なのである。30年ぶりの文庫版となるが、その価値は一切落ちておらず、純粋な驚きとともに読む進めることができた。

どのような島なのか。

ヴィンヤード島で全期間に渡ってどの程度の数の聾者がいたのかは定かではないが、一時の聾者数については下記のような推定がなされている。『二半世紀以上にわたり、この島では遺伝性聾がきわめて高い発生率を示した。一九世紀には──おそらくそれ以前もほぼ同様だろうが──先天性の聾者の比率はアメリカ全体では五七二八対一だったのに対し、ヴィンヤード島では一五五対一だった。』

155対1だと誰もが聾者というほどではないが、周りに幾人かは聾者がいるのが当たり前な状態である(周辺住民との付き合いが濃密な島暮らしなのもあって)。で、この島ではそうした前提があるので、島民の誰もが英語とヴィンヤード手話を使用するようになった。誰もが手話を使えるので聾者がいる場所ではみな話がわかるように手話を使ったし、聞こえる人たち同士でも手話を使うこともあったようだ。

言葉の壁が完全に取り除かれたとすれば、また誰もが聾をなじみのものとして違和感なく受け容れるようになったとすれば、そのとき聾者はどの程度深く共同体にとけ込めるのだろうか。ヴィンヤード島で明らかにされた事実は、そうした状況に身を置けば聾者は難なく共同体にとけ込めることを示している。

著者は島の昔を知る人に話を聞いていくが、ある昔話に出てきた人(たとえば漁がうまかった二人)が聾者かどうかは著者が「その人は聾者でしたか?」と聞くまですっかり忘れていることが多いのがおもしろい。それぐらい聾者か、そうでないかというのは島民にとっては関係のないことになっていた。『アメリカ本土では重度の聾はまぎれもなくハンディキャップと見なされているが、ハンディキャップとはそもそも、それがあらわれる共同体によって規定されるものではないだろうか。』

具体的な人々の生活について。

魅力的なエピソードが短いページ数の中にぎゅっとつまっているので、その一部を紹介しよう。たとえば島民はどのように手話を覚えるのか? といえば、誰も彼もが子供の時に母語を覚えるのと同じように、自然と手話を覚えてしまうのだという。ある人は、話し言葉よりも先に手話を覚え、耳の聞こえる母親と喋れるようになる前に父親と話ができるようになっていた──などという証言もしている。

外からこの島へとやってくる手話を生まれながらに知らない人もいるわけだが、結局みんな手話で話しているので、必要に迫られて覚えるのだという。そして、狭い文化なので、多くの人が雑貨店も兼ねた郵便局のたまり場などに集まる。当然そこには聾者がいるから、人はみな口話と手話を併用して話す。聞こえる人よりも聾者の方が多いときは(そんな状態があるのが驚きだが)みんなが手話で話すこともあった。

静かにしなさいと言われた学生同士がどちらも健聴者でありながらも手話で話し合ったり、漁師同士が声がまったく届かない距離を手話でやりとりしたり、口話で話し始めたある話題(猥談など)のオチを手話にしたりということもあったようだ。手話と英語は当たり前のように混ざり合い、聾者が違和感なくコミュニティにとけ込んでいたことが、こうしたエピソードからはっきりと伝わってくる。

おわりに

孤立しがちな聾者たちだが、それが当たり前のものとして受け入れられ、共通言語が存在する共同体なのであれば、聾であることを意識しないまま日々を過ごすことが可能なのだということをこの島の人々は明確に示している。この島では誰も聾をハンディキャップとしてとらえておらず、聾者は障害者ではなかったといえるのだ。

 (……)ある女性はこんな風に話している。
「あの人たちが特別と思ったことはありません。あの人たちは他の人とまったく同じでした。そうだとしたら、この島ほど素晴らしい場所は、他になかったんじゃないでしょうか」

本書では他にも、この島の人たちがどのような経緯で移動してきて暮らすようになったのか。この遺伝性聾の源流にあたるのは誰なのか/どこまで遡れるのかについて遺伝学的な観点からの調査も記述されているので、興味がある人は読んでもらいたい。