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異種移植の歴史と未来を語る本──『異種移植――医療は種の境界を超えられるか』

現代は臓器が損傷を受けたり病気で蝕まれた時、臓器移植という手段をとることができる。とはいえ、問題は多い。拒絶反応が起きないように考慮する必要があるし、そもそも臓器が欲しい人に行き渡るのに十分なほどの臓器が存在しない。日本では心臓は約3年、肝臓は約3年、肺は2年半、腎臓に至っては15年もの平均待機期間がある。

そうした問題点を(部分的にしろ)解決する方策の一つとして見られているのが、異種移植だ。ヒヒやブタなど、ヒト以外の動物の体(異種)、その臓器を用いて、人間に臓器を移植する技術であり、これができれば臓器移植用のブタを特別に育てるなどして、臓器移植を必要とする患者のために、安定的に臓器を提供できる体制を整えることもできる。もちろん、これは一般的とはいいがたい技術であり、そうした単純なアイデアを実行するためには倫理的な検討も含め乗り越えるべき壁が数多くある。

本書『異種移植』は、そうした異種移植にまつわる歴史をたどり直し、それをヒトがどのように乗り越えてきたのか(そして今どのような課題が残っているのか)を詳述していく一冊になる。著者は『ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在』など数多くのポピュラーサイエンスや翻訳を手掛けてきた山内一也。もともとは1999年に河出書房新社から刊行された『異種移植』を下敷きに、この20年あまりの進展を加筆した改訂版ということで、分量的に「現代・最先端の」情報の記述量自体はそう多くはないが、そのまま翻訳して世界で刊行できそうな普遍的な内容に仕上がっている。

ちょっとした歴史

異種移植は近年の技術だと思うかもしれないが、その試み自体は昔から行われている。たとえば1964年にはチンパンジーの心臓移植手術が行われたし、77年にはヒヒとチンパンジーの心臓が移植された。いずれも大人を対象にした手術で、もっとも長い生存期間でも3日で、それ以外は一日以内の死亡だった。

その後、1984年にもヒヒの心臓の移植が行われるのだが、こちらは有望な結果が出た。対象は免疫機能が発達してない生後13日目の女の子で、強力な免疫抑制剤であるシクロスポリンが生まれたばかりの羊と山羊の間の心臓移植で効果があることが確認されていた。女の子はそれまでの最長記録だった3日を超えて生き、21日目になって死亡したが、これもヒヒの心臓のせいというより免疫抑制剤の副作用と推定された。

結果的に女の子は亡くなったが、その結果は多くの議論を引き起こした。ヒトが異なる動物の臓器を移植することの是非。そのまま生きていたとして、拒絶反応に絶えられるのかという純粋に科学的な疑問。サルの実験さえも経ないでヒトで実験したことの倫理的な問題。ヒヒに対する愛護の観点からの批判などである。

何を乗り越える必要があるのか。

異種移植を実際に行うためにはいくつもの乗り越えるべきハードルが存在する。もっともわかりやすいのは拒絶反応だ。移植後6ヶ月までに起こる「急性拒絶反応」と年単位で起きる「慢性拒絶反応」の二つがあるが、どちらもリンパ球の働きによる免疫反応で、移植された臓器を異物とみなして、体内で排除の動きが起こるのだ。

たとえば、豚をはじめとするほとんどの哺乳動物はαガラクトースという成分を体内に持っているが、哺乳動物のうち人と猿にはこれが存在せず、生まれてからこの物質に対する自然抗体が作られるので、豚の臓器を入れると一分としないうちに細胞破壊のプロセスが始まる(正確にはそこに細胞破壊を引き起こす補体の作用が加わる)。

この解決のために、そもそも豚からαガラクトースを除去しておくこと(ノックアウト動物の生成などによって)。人がもつ補体を欠損させておくこと、自然抗体と補体の反応を抑える(人の補体の制御タンパク質の遺伝子を導入した豚を作り出すことによって──)などの手法が考えられる。実際、今年の1月には世界で初めて遺伝子操作した豚の心臓移植を受けた男性がおり、移植元となった豚は10の遺伝子組み換えが施されていたが、術後から約2ヶ月後に死亡している。本書でもこの事例は追記されていて、具体的に10個の遺伝子改変の内訳は下記のようになっているようだ。

すなわち、豚の三つの糖タンパク質遺伝子がノックアウトされ、人の二つの血液凝固阻止タンパク質(トロンボモジュリン、血管内皮細胞プロテインC受容体)遺伝子と二つの補体制御タンパク質(CD46、DAF)遺伝子、二つの免疫制御タンパク質(CD47、ヒトヘムオキシナーゼ1)遺伝子が導入され、さらに移植された豚の心臓が人の体内で大きくならないよう、成長ホルモン受容体の発現を抑える遺伝子が導入されている。

拒絶反応への対応と同時に求められるのが、感染リスクへの懸念だ。豚の臓器にウイルスが潜んでいたらどうなるのか。それが豚には無関係であっても、人には影響を及ぼす可能性がある。実際、先述の遺伝子改変豚からの移植が2ヶ月の生存で終わった理由のひとつは、移植を担当したバートリー・グリフィスによれば、心臓がブタサイトメガロウイルスと呼ばれるウイルスに感染していたから(このウイルスは人の細胞には感染しないが、豚の臓器にはダメージを与える)ではないかと述べている。

大切に育てた移植用の豚なのだから移植前に検査もしているわけだが、現時点ではブタサイトメガロウイルスのような特殊なウイルスの検出は難しいとされている。本書でもさまざまな豚からウイルス除去をする手段を紹介しながら、『SPF豚ではこれらのウイルスの大部分は排除されているが、なかにはブタサイトメガロウイルスのように潜伏感染を起こすものやブタサーコウイルスのように胎盤を通って子豚に感染するものもある』と名指しでブタサイトメガロウイルスが挙げられているが、この解決が行われない限りは、豚の臓器移植で長期生存するのは難しいのかもしれない。

なぜ豚なのか

そもそもなぜ移植用で現在使われることが多いのが豚なのかといえば、いくつかの条件が適合しているからだ。ひとつは、人と同じような大きさで生理機能も似ていること。第二に、危険な微生物汚染のないものであること。第三に十分な個体数が確保できること。第四に、愛玩動物は除外されること。こうした条件をあげていくと、豚がもっとも都合がいい生き物なのだ。ヒヒはよく人と適合するものの、個体・供給数の少なさと、人にとって危険ないくつものウイルスに感染している問題がある。

おわりに

本書ではこうした解説がより詳細になされている他、臓器移植以外の異種移植について(胎児の脳細胞移植、人の臓器を豚の体内で作らせる実験についてなど)、また倫理的な問題についての検討など、必要な議論が手堅く(200pほどで)まとまっているので、興味があるひとはぜひ読んでみてね。満足度の高い本であった。