基本読書

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今まで意識したこともなかった領域に言葉で触れる方法を教えてくれる、期待の新進アメリカ作家のSF短篇集──『アメリカへようこそ』

この『アメリカへようこそ』はアメリカの新進作家マシュー・ベイカーの初の短篇集の邦訳である。どうやらアメリカでは「注目すべきストーリーテラー10人」に選ばれるなど注目の作家のようだが僕は聞いたことがなく、SFの短篇集らしいという前情報だけで読み始めたのだけど、これが読んだらたまげてしまった。

扱っている題材はマインドアップロードから犯罪をおかすと記憶を消される世界の男の話まで奇想系まで様々なのだが、とにかくその筆致、語りは誰かに似ているようで似ていない、オリジナルなもので、他で体験できない心地よさが残る。「これまで意識したこともなかった領域に言葉で触れた」とでもいうような短篇群で、その良さがうまく表現できないのだが、だからこそたまげたのだ。単純明快でわかりやすい作品ではないが、その分、文の芸を堪能させてくれる短篇集である。

売り言葉

たとえば、最初に収録されている短篇「売り言葉」は、辞書編集者として20年以上働いしてる人物が主人公。しかし、彼は普通の辞書編集者ではなく、他社に辞書の内容を盗用されるのを検知するため、存在しない「幽霊語」を作っている。

たとえば、「アザリー(othery)」。「他者の苦しみに共感することにより感じる苦しみのこと。元の苦しみよりもさらに苦しい」という意味を持つ単語となっているが、そんな言葉は実在しない。だから、この単語が別の辞書に載っていたら、そりゃ盗作だろ! というわけだ。さらにいえば盗作者が盗みたいと思わなければいけないので、しっかりとありそうで存在しない単語を創造しなければならない。

存在しない単語を辞書に入れたらクレームが入りそうだが、辞書は決まった言葉の意味や綴を調べるために使われるものだから、辞書を手に入れた人間がアザリーを調べることはないし、大丈夫だ! と断言しているが、無茶苦茶な理屈である。

で、彼はこうして次々とそれっぽい幽霊語を作っているのだが、そのうちの一つに「インプセクシュアル(impsexual)」という言葉がある。既存の性的嗜好を表す既存の言葉は、一つも僕の指向に当てはまらなかったといって(性欲自体は感じるが、女子だろうと男子だろうとあらゆる他の性別の誰かに性欲を感じることがない。また、動物性愛でもない)、自分のために作り出した単語だ。

この単語の具体的な意味は「非実在のもの(単数および複数)に対する性的欲求を感じる者」。これについて、彼は下記のように語っている。

僕が感じた──そして今も感じる──性欲とは、名前もなく言葉では言い表せない何かへの、そして目にしたことすら一度もなく今はきっと存在しないのだろうと確信を抱いている何かへの欲求だった。(……)僕の欲望は、人間に対して感じるものだ──かつて存在したか、はたまたいつか進化の末に出現するのかは分からないが、この二十一世紀には存在しないような人間にだ。

この短篇や引用部にあたる部分が、僕がこの短篇集全体に感じたことだ。インプセクシュアルのように、まだ定義されてはいないけれど、存在しうる「なにか」を言葉で表現しようと試みる、そんな短篇が本作には揃っているからである。

それははっきりと定義できるようなものではないからこそ表現は迂遠になる。上記引用部でいえば、「名前もなく言葉では言い表せない何かへの〜欲求だった」あたりの描写は迂遠だ。だが、この迂遠な手つきで、これまで既存の言葉で触れることのできなかった領域に手を伸ばす姿勢にこそ、おもしろみを感じるのだ。

変転

「変転」はいわゆるマインドアップロードを扱った一篇。時は近未来。メイソンは自分自身をデジタルデータに変換して、体を捨てる手術を受けようとしている。

ただし、まだこの世界ではその手術は一般的ではなく、家族からは反対を受ける。みんなが話したい時にいつでも話せるんだ、といっても、「体が無くなるってことは、体が無くなるってことだってわかってるのか?」「頭がどうかしちまったのか?」と父親に聞き返される。母親もあなたは考えていないだけといい、他の変転を選んだ人たちと違って、体があればよかったと思うことがたくさんあるはずだと語る。

兄弟も否定的だ。金は、セックスはどうするんだと無限にも等しい批判を受けた後にメイソンから出てきたのは、『「僕は肉体の中にはいないんだ」』『「いつもそう分かってたんだよ」』という答えだった。先の話でいえば、「「自分が自分の肉体の中にいない」という感覚を持った人間」の心情を描き出していくのが、「まだ定義されてはいないけれど、存在しうる「なにか」を言葉で表現していく」部分にあたる。

物語はメイソンの母親の視点で進行するが、母親がメイソンの手をにぎりながら訪れた「変転」の瞬間で短篇は幕を閉じる。その表現がまた凄い。

魂の争奪戦

世界人口の数が130億を超え始めたあたりで、命の宿らない人間が生まれるようになった世界を描くのが「魂の争奪戦」。中には命のある赤ん坊も産まれてくるのだが、次第に「命を持って生まれてくる人間」と「死んだ人間」の数が一致していることが明らかになっていく。つまり、一見地球上の魂の総量が決まっていてそれを超えて生まれてこようとした赤ちゃんは生まれた瞬間に死んでしまうようである。

これは輪廻転生なのか? 魂の数に虫や他の動物は含まれないのか? 帝王切開でもだめか? など無数の検証が行われる。最終的にある人々は、魂は新しい肉体へと瞬間移動するのではなく、空間を移動していくと仮説を立て、生命維持装置に繋がれぎりぎり生きている人々を一箇所に集め、そこに出産間近の女たちも集めて”確実に転生させる”ことを目的とした施設まで作り始める。自分の子供のためなら他者の命を奪ってもいいのか。そんな単純な問いかけではおわらない鮮烈なラストが映える。

他の短篇たち

収録作の多くは何らかのSF的な設定が存在する。たとえば犯罪を犯すと服役させられるのではなく記憶を消去されるようになった世界で、41年の人生まるまる消させられた男が過去の自分の齟齬に戸惑っていく「終身刑」。女中心の社会に移行し、男は地域ごとの生物圏の独房にしかいなくなった世界での性交を描く「楽園の凶日」。

何らかの理由で家から物をできるだけ減らし、収入は寄付するのが健全で、それをしないものはいじめられるようになった社会で物を持ちすぎた一家を描く「女王陛下の告白」。突然、どこからともなく人間らしき”不要民”と後に呼ばれることになる人々が現れ、彼らを物理的に排除しなければならないと決意する”僕”の戦いを描き出す「出現」。プレインフィールドという町の人々が、合衆国の中にありながらも突如「アメリカ」という国名をつけて独立し、著作権の廃棄、メートル法への改正など、自分たちでルールを決めていく過程を描いた不可思議な表題作など、いじめや移民など社会的・グローバルな問題を奇想・SF的アイデアを通して描き出している。

おわりに

最初の「売り言葉」で幽霊語を作る仕事が存在する理由についてメチャクチャな理屈をつけている例を紹介したが、壮大なはったりに強引に理屈づけていく豪腕さがある。ストレートなSFではないので好みは分かれそうだが、今回紹介できていない短篇も変で素晴らしい作品ばかりなので、この手の作品が好きな人にはおすすめしたい。

最後に宣伝

SFの入門本を書いたのでよかったら買ってください。