基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

移民から気候変動までギリシャの問題が色濃く反映された、傑作ぞろいのSFアンソロジー──『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』

この『ギリシャSF傑作選』はその名のとおり、ギリシャのSF短篇が集められたアンソロジーである。版元は竹書房。流れ的にはイスラエルSF傑作選『シオンズ・フィクション』が2020年に同じく竹書房から刊行されたが、これが邦訳の刊行前から海外で評判を集めたらしく、すぐに非英語圏SFアンソロジーの売り込みがはじまった。

そして、訳者のひとり(にして代表的存在の)中村融さんがその英訳版を色々と読んでいき、頭ひとつ抜けていたのがこのギリシャSF傑作選だったのだという。実際、読んでみればこれが大変おもしろい。収録作は全11篇、ページ数は270程度だから長い本ではないのだが、どの作品も移民や気候変動などギリシャの「いま・ここ」の問題が取り扱われ、アテネなどギリシャの都市が重要なキイになる作品もいくつかある。

その点で「ギリシャSF」を読めているな、という満足感もあるし、何より個々の作品はどれも練り込まれている。どの作品も一読してスッとわかりやすく楽しめる! というよりかは、何度か戻って読み返しながら読むことで味がよく出てくるような技巧的な短篇ばかりで、はえーこんなレベルの高い書き手が今のギリシャには(書き手は現役の作家らで、本書収録の作品も10年代〜20年代発表の作品が多い)いっぱいいるんだなと驚かされた。最後の寄稿者紹介を読むと、書き手の多くが作家の他に、大工や中学校教師や編集者といった別の仕事を持っていることにも驚かされたが。

ギリシャにもSFってあるの?

ちなみにギリシャにもSFってあるの? と思う人もいるかもしれないが、そのあたりは本書の編者らによる序文で少し解説されている。結論から言えばもちろん、ある。もともとはギリシャにそう大きな書き手&読み手の市場はなかったそうだが、1974年の軍事政権の方界と民主主義の再生が新たなジャンルを探求したいという欲求に繋がり、『スター・ウォーズ』や『宇宙大作戦』のようなシリーズがヒットした。

そして90年代末から2000年代はじめにかけてSF短篇も載る雑誌(『9(エニア)』)が発刊され、大きな波になっていったという。序文では他にも、「この本のギリシャらしさはどこにあるだろう?」という問いへの答えなども書かれている。今年読んだSFの中では国外・国内問わず現在ベスト1といっていいぐらいには良い本だ。というわけで、大変おすすめっす。以下、お気に入りを中心に紹介していこう。

ローズウィード

最初の作品はヴァッソ・フリストウによる「ローズウィード」。ギリシャのアッティカ地方による港湾都市のピレウスが海面上昇によって沈没した未来を描き出す気候変動SFだ。語り手のアルバは水没した都市、建物に潜り、調査や情報収集を行っているが、その過程でこの世界とギリシャの苦境が伝わってくる。たとえば、ネパールでは洪水が、マサチューセッツでは強力な竜巻が。世界中で気候災害が起こっている。

たえず経済が危機的な状況にあるギリシャでは国内で調整して沿岸部の都市を守るなんて無理な話であり、だからこそアルバのようなダイバーが必要とされる。アルバはその仕事をこなす最中、水没した都市をめぐるテーマパーク、その関連作業を依頼されて──と経済的にも環境的にも苦しいギリシャでなんとかして生き残ろうと必至なタフネスな人々の姿が描き出されていく。ギリシャの都市と水面上昇という今まさに直面している問題をテーマに据えた、冒頭に配置されるにふさわしい一篇だ。

社会工学

続くコスタス・ハリトス「社会工学」はそのタイトル通りに投票行動の操作など社会工学をテーマにした一篇。数百万人の人間の投票行動を変えることなど本当にできるのか? できるとして、それはどのように可能なのか。問題を解くこと、設定するとはどういうことなのか──そうした問いかけが、軽妙なタッチで記されていく。

ただ、本作で個人的におもしろかったのはそれ以外の部分。本作のギリシャでは区画ごとに拡張現実をコントロールする組織が異なっていて、ある区画では天使が舞い、ある区画ではふくろうがナビゲーターになり、風景もガラリと変えられてしまう。この設定と描写がおもろい。『先月からこの地区の拡張現実は、社会的弱者の問題に取り組んでいるNGOに乗っ取られていて、彼らはしょっちゅうナビゲーターの姿を変えていた。昨日おれを導いていたのはホームレスで、おとといは移民二世だった。』

蜜蜂の問題

パパドブルス&スタマトプロスの「蜜蜂の問題」は、広義の気候変動SFに含まれる一篇。花や植物の受粉に蜜蜂が大きな役割を果たしているのだけど、蜜蜂が気候変動や農薬が関係して大量に消えてしまうことが何年も前から問題になっている。

そして、蜜蜂が本格的に消えてしまっているのが、本作の舞台だ。中心的な役割を果たすニキタスという男は、受粉を行ってくれる蜜蜂ドローンを買取&修理&リプログラミングして生計をたてている男だが、なんでもこの地区に自然の蜜蜂が戻りかけているらしく……とサスペンス風に物語は進行していく。ニキタスはかつて、移民が犯罪、失業、ゴミに感染症を持ってくると信じ、移民排斥の部隊に入っていた人物でもあって、移民&気候変動のダブルテーマをスマートに描き出している。

いにしえの疾病

ディミトラ・ニコライドウ「いにしえの疾病」は、何年もかけて衰弱し、どうやったら止められるのか、何が原因なのかわかっていない奇病”漏失症”が存在する世界での物語。この病はきわめて緩慢に皮膚の乾燥や弛緩、毛髪の色素脱失が起こり、次第に臓器の機能も低下していく。最終的には、患者は自分が何者なのかもよくわからなくなっていく。ほとんどの人は、患者を見ただけで逃げ出すほどの病気である。

そんな恐ろしい病を、どうしたら止めることができるのか──。その研究と探求の過程が物語を進行させ、意外というほどではないオチにたどり着く。語り口がかなり好きな作品だ。

わたしを規定する色

「蜜蜂の問題」の著者でもあるスタマティス・スタマトプロス「わたしを規定する色」は、世界の背景は説明されないが2048年の戦争によって色彩が消えてしまった世界が舞台。黒と白の濃淡は存在するが、赤などの色はない。ただし、誰しもが「自分の色」を持っていて、どうやらそれだけは識別できるらしい。ただ、赤とか緑とかそんなに単純な色はあまりないらしく、(自分の色を)見つけられるない人もいる。

だからこそ、みな「自分の色」に執着する。そうした特殊な世界で、主人公の女性は自分の色をその目の中ではじめて発見した、ある男を執拗においかけていくのだが──というサスペンス調の導入から、この世界だからこそのオチへと収束していく。下記は、女性が男を探して聞き込みをしているワンシーンからの引用。

 彼女はおれの目を見つめてきた。「わたしに見える色、わたしの肌で燃える炎の色。彼の目のなかに初めてその色を見たの」
 そのことばが真実かどうか判断できなかったが、人を探すのにこれより美しい理由を聞いたことがないのはたしかだった。

紹介できることは多くないのだが、ある特定の色のウォッカを飲み続けていることから相手の色を推測する演出など、表現のひとつひとつが巧みで引き込まれた。本書を締めくくるにふさわしい、素晴らしい一篇というほかない。

おわりに

他にも遺伝子操作テーマの「T2」だったり、アテネという都市そのものにフォーカスした「人間都市アテネ」、人造人間、アンドロイド物の「われらが仕える者」、「アンドロイド娼婦は涙を流せない」と多様なテーマが取り扱われている

複数の非英語圏アンソロジーの中から良いものをとったというだけあって、これはたしかに極上の短篇集だ。270pと薄いのも正直ありがたい笑 KindleUnlimitedにも入っているのでぜひ読んでみてほしいけど、文庫の装丁も美しいから紙もおすすめだ。

最後に宣伝

最近『SF超入門』というSF小説の入門本を書いて出したのでよかったら読んでね。