基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

韓国SFに多大な影響を与え、現代韓国で「最もSFらしいSFを書く」といわれる作家のSF短篇集──『どれほど似ているか』

この『どれほど似ているか』は韓国の作家キム・ボヨンのSF短篇集である。「文藝」に掲載されたされた「赤ずきんのお嬢さん」や「SFマガジン」に掲載された「0と1の間」など断片的に作品が紹介されてきたが、一冊丸々の翻訳はおそらくこれが初。

ペ・ミョンフンの『タワー』、チャン・ガンミョンの『極めて私的な超能力』など近年翻訳される韓国SF短篇集の質は非常に高く、本作にもかなり期待をしながら読み始めたが、これが既訳の韓国SF作品群に負けず劣らずおもしろい!

(翻訳されてくる)韓国SFの特徴の一つは韓国社会の苦境や実際の事件などが作品に反映されていることが多い点にあり、本作でもそうした面は多々あるのだが、超能力/能力バトルものからAIを扱ったミステリといった多彩な題材がそうした社会問題的なテーマと鮮やかに結びついている。池澤春菜さんの解説で、著者について「最もSFらしいSFを書く作家」と(いわれていると)紹介している一節があるのだが、まさにそれを実感させてくれる、純粋にSFとしておもしろい作品が揃った短篇集だ。

全10篇が収録されているので、気に入ったものを中心に紹介していこう。

超能力もの

最初に収録されているのは「ママには超能力がある」という超能力ものの掌篇。「ママには超能力があるんだ」と語る女性と、彼女が引き取って育てている血の繋がりも何もない、昔の恋人の娘の対話で物語は進行していく。超能力があると語る母親に対して、娘は「超能力のない人なんて、この世にいないよ」とそっけない。

本来何の関係もないのに育ててくれている「おばさん」を、娘は気にかけている様子が描かれていく。歳がそんなに離れているわけでもないのに、娘がいたら結婚だってできないだろうと。とはいえ長い時を過ごすうちに、二人は次第に似た者同士になっていく。そして、「超能力がある」と語る、母親の能力とは──。重要なのは能力の有無というよりも「この世の誰にも、みようによっては能力が宿っている」という視点であり、われわれは誰しも、誰かにとってのヒーローになれるのかもしれないと思わせてくれる、短いながらもキム・ボヨンの作風が凝縮された一篇だ。

流れ的に続けて超能力ものを紹介していこう。「この世でいちばん速い人」は様々な能力を持った超人が点在している世界を舞台にして、光速で移動できる超人〈稲妻〉*1を主人公に据えた一篇。速度に関連した能力者は(時間の流れが変わることで)時折未来に起こり得る「ビジョン」をみることがあるのだが、人助けをして日々を送ってきた〈稲妻〉は、ある時それで自分が都市の破壊者となった姿をみてしまう。

それを止めるために、同じく速度に関わる重力操作の超人〈隕石〉が〈稲妻〉を訪ねてきて──と、特殊な能力がもたらす責任について、超人として社会で生きることの意味、”時間”のテーマなどが問われていく。それに続く「鍾路のログズギャラリー」は「この世で〜」のその後を扱った続篇だが、こちらでは何らかの理由でいたずらを繰り返す史上最悪のテロリストになった〈稲妻〉を止めるため、氷系の超人である〈霜〉が立ち上がる様が描き出されている。どちらも能力のカウンター要素が話の焦点の一つにあたっていて(重力操作能力者は実質的に自分の速度を上げることができるので稲妻をとめられるし、氷系の能力者は実質的に◯◯ができて──)と、「特殊能力を突き詰めていく」系の能力バトル物が好きな人にはたまらない二篇である。

時間もの

超能力もの以外でまとまっているのは時間をテーマにした作品。そもそも超能力ものも実質的には時間テーマ(光速移動や重力操作は時間に関わってくるから)だし、これは著者のこだわりの題材の一つなのだろう。その中でもとりわけ紹介したいのはタイムマシンが存在する世界を舞台に、過酷な受験戦争に苦しむ学生と、何としてでも子どもに勉強をさせたい親世代の対立やズレが描き出されていく「0と1の間」。

現実の韓国はもう十年以上にもわたって過酷な学歴社会で、良い大学に入らなければ就職も結婚も難しい。だから親も子も、薬でも何でも使って死にものぐるいで勉強をさせよう/しようとするが、それは当然ながら精神に巨大なひずみを生み、時に自殺などの悲劇にも繋がる。この世界のタイムマシンは意識のみを飛ばし、基本的に時間移動前のことを覚えていられない。それでも残っているものはあって──と、タイムマシンを舞台装置に、韓国の世代間の価値観の断絶を描き出してみせた一篇だ。

それ以外でお気に入りだった作品

それで以外で印象深かったもので言うと、やはりまずはSFミステリの表題作。エウロパ行きの補給船が、途中でタイタンからの救助信号を受信し、突如として進路を変えようとしている。だがしかし、その途上で危機管理AIのHUNが何らかの理由で自分を人間の生体義体に入れるよう要求し、物語は生体HUNの視点で進行していく。

ただし、人間の体にうつったHUNは、船員それぞれの記憶や一般知識はあっても、なぜ自分が「人間になる」希望を出したのか、かなめとなる記憶を失ってしまっている。当然船員はHUNに怒りをぶちまけるが、HUN自身も何が起こっているのかわからない。タイタンに行くのか、行かないのか。HUNをどう扱うのか、あらゆる事態に船内で意見の対立があり、崩壊が加速していく。はたして、なぜこんな対立が生まれてしまったのか? わざわざ人間の体に意識を入れた理由とは? 意外な角度からジェンダーに関わるテーマに接続されるなど、ミステリ的にもSF的にも鮮やかな傑作だ。

最後に紹介したいのは、政治・言語SF短篇の「静かな時代」。主人公であるシン・ヨンヒは認知言語学の知識を活かして政治家にアドバイスをおくっているが(どういう言葉遣いをすべきなのかについて)、ある時若い世代から強い支持をうけている市民活動家の大統領選候補を落選させるキャッチコピーの作成を依頼されることになる。

しかし、その候補が支持されている理由に、マインドネットと呼ばれる新しいシステムを使っていることが判明し──と、政治、選挙における言葉の意味が問われていく。シン・ヨンヒはまだ17歳だった年に、韓国で起こった大規模なデモ(2008年の実在のデモ)で、国が「怪談」「虚偽扇動」「根拠なき」といった参加者らを矮小化し、痛めつける言葉を使ったことをきっかけに言語学者になった人物であったりして、世界中の政治と言葉の関係について、考えざるを得ない作品である。

言語があの日を冒涜して現象を変えたから。世の中を支配しているのは言語であり、人の心は言語に込められ、経験は消えて言語だけが残ることを身に沁みて感じたからだ。

現代韓国は日本と同じかそれ以上に社会・政治的な問題が山積みになっていて(2022年の韓国の合計特殊出生率は0.78と、7年連続で最低を記録している)そうした人災ともいえる苦境は、文学及びSFにも大きな影響を与えているのだろう。韓国SFで扱われる社会問題は、他のどの国のSFよりも、切実な訴えを読み取ってしまう。

おわりに

近年日本でも韓国SFが流行の兆しをみせているが、本作は韓国SFの多様で最良の側面が凝縮されているように思う。韓国SFをなにか読んでみたいけど何がいいかな〜と迷っている人に、まず手渡したいような一冊だ。

*1:オマージュ元はいうまでもなくDCのフラッシュであることがあとがきで語られている