基本読書

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脳が監視される時代に向けて、何ができるのか──『ニューロテクノロジー: 脳の監視・操作と人類の未来』

ニューロテクノロジーの実用化が現実のものとなりつつある。これは脳神経系の機能を拡張したり強化したり理解することを目的とした技術分野で、脳に電極をつないで指一本動かさずにデバイスや義肢を操作したり、脳波をトラッキングして自分の状態をチェックしたり──といったことは、どれもニューロテクノロジーの範疇にある。

近年では、様々なジャンルを騒がせているイーロン・マスクが率いる医療ベンチャーニューラリンクがこの分野でも数々の試験を行っていることもよく話題になる。ニューラリンクのデバイスはすでに(24年の1月)臨床試験も行われ、最初は外傷を負った人が思考だけでコンピュータを操作できるようすることを目指している。

こうした技術それ自体は、無論恩恵をもたらす。外傷で身体を動かせなくなった人や、意識があるままに肉体を動かすことができなくなり、最終的にはまばたきすらできなくなるALSのような難病患者が、自由に意思を伝えロボットなどの身体を動かせたらすばらしいことだ。一方で、これが新しいディストピア社会の到来を招かないと言い切ることもできない。誰もが自分の脳波を計測し、うつ病や認知症の傾向をチェックするようになったらどうだろう? それ自体は対策や介入が行えるようになって良いことだが、そのデータが一企業に集まって、企業の利益のために使われたら? 

ニューロテクノロジーが進展すれば、われわれが「頭の中で何を考えているのか」も高い精度で予測できるようになる。Facebookに個人情報を明け渡すように、脳の情報をとられたってかまわないよと考える人もいるだろう。しかしそれが犯罪捜査に使われるようになったらどうだろう? どれほど反社会的な思想であったとしても行動に起こさなければ無罪であるとは言われるところだが、脳のデータをモニタリングするのが一般的な未来が到来したら、そうも言っていられない可能性が高い。

本書『ニューロテクノロジー』は新しいテクノロジーの社会・法・倫理的影響についての研究を行うニタ・A・ファラ二ーの著作で、現在のニューロテックにどのようなものが存在しているのか。また、その法的・倫理的問題はどこにあるのかを解き明かしていく一冊だ。個人的にこの分野は注目度が高く、それは「次にデータをとりに行くのはそこしかないだろうな」と思うからだ。実際にデバイスが流通しはじめ、企業が臨床試験を始めている現状、今のうちにその倫理的・社会的な課題を洗い出し、防御する必要がある。そういう意味で、重要な議論を提起してくれる一冊だ。

 デバイスを頭皮と手首のどちらに装着するか、あるいは脳の深部に埋め込むかにかかわらず、これらのデバイスはある目立った特徴を共有する。どのデバイスも私たちの「生の」神経活動を記録し、消費者が利用するデータに加えて、大量の他のデータを保存、アグリゲーション、採掘する点だ。私たちの脳のブラックボックスはついに開かれたのである。マーク・ザッカーバーグは正しい。ニューラルインタフェースは、データトラッキングする企業にとっての「聖杯」なのだ。(p.32)

現在どのような製品があるのか?

さて、ではそのニューロテクノロジーには現在どのようなものがあるのだろうか。現状使われているニューロテクノロジーはやはりヘルメット型で疲労度を測定するなどの比較的シンプルな作りのものが多い。中国にある杭州回車科技電子は脳波(EEG)センサー内臓のヘルメットを販売しているが、これは仕事中の社員の疲労度やその他の活動をリアルタイムで測定するためのものだ。豪州の企業スマートキャップ社も同様のデバイスを鉱業やトラック運転手など、多様な業種向けに提供している。

技術が進展しストレスの測定コストが下がるにしたがって、これらのデバイスが法人向けのウェルネスプログラム(企業が従業員の健康増進や維持を目的として行う活動)に用いられるケースが増えた。たとえば人事支援サービスの会社がインタラクソン社のミューズというヘッドバンドをウェルネスプログラムに試用しはじめている。

インタラクソンのプログラムに参加する企業はヘッドバンドを提供され、瞑想かリモートトレーニングのセッションに参加する。それ自体はけっこうなことだが、インタラクソンのプライバシーポリシーによれば、顧客の企業はヘッドバンド(ミューズ)の情報を監視できる、つまりユーザーの活動データは雇用主と共有されてしまうのだ。いくつもの企業(エモーティブやソート・ビーニーなど)がEEGデバイスをウェルネスプログラムに組み入れているが、どれも企業と共有することを前提としている。

 (……)EEGや深層学習ニューラルネットワークは、八五%以上の正確さでストレスの兆候を認識できる。たとえば、ベータ波の増加は上昇するストレスレベルや不安感と関連する。雇用主がこの情報にもとづいて従業員のための労働条件全般の改善に努めれば、双方とも恩恵を得るだろう。
 しかしデータを利益のために利用するならば、ウェルネスプログラムは前例のないほど陰湿で危険きわまる職場の監視システムにつながる恐れがある。(p.77)

ブレインエンハンサーは不正行為か?

本書でもう一つおもしろかったのは「ブレインエンハンサー」についての議論だ。たとえば、テストで良い点をとるために、関連の症状がないにもかかわらず注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬を使う人たちがいる(この話を読むまで忘れていたが、僕が大学生だった時も身近に使っている人がいた)。2015年から17年のあいだに、ブレイン・エンハンサーを飲む健常者の割合は5〜14%と三倍近くに増えたという。

僕自身は、ブレインエンハンサーについては否定的な考えだった。効果測定の怪しい薬を使うぐらいならまだしも、本当に効果のある薬を、高い金を出して使うようになり、それを使わないと成績上位をとれないようになったら、試験自体が「資本家のものになる」懸念があったからだ。実際、著者の母校であるデューク大学も2011年に医学上の理由とは異なる事由によるエンハンサーの使用を不正行為としている。

ただ、著者は『脳機能の向上は、学習、運動、食事、脳力トレーニングゲーム、デバイス、ニューロエンハンサー、いずれの手段を用いたにしても不正行為ではない。』(p.144)として、こうした決定に反対の立場をとっている。また、仮に使用を制限した場合、裕福な人はなんとかして入手してしまうので、むしろ「制限を加えるほうが、貧しい人にとっては不利になる」という。貧しい人が手に入れられない問題については、入手が不公平にならないよう、社会としてアクセスできる道を見つけるべきだとしているが、それがもし実現可能であるのなら、問題ないとはいえるわな。

おわりに

ブレインエンハンサーと関連してスポーツにおける運動能力強化薬の倫理的な是非について語ったり、逆に「脳を弱化させる」権利について語ったりと、広汎な議論が行われているので、興味があるひとは読んでみてね。