基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

2024年に読んでおもしろかった本を一気に紹介する

今年(2024年)おもしろかった本を一気に紹介していこうかと。今年は特に8月以降はバタバタしていてあまりブログが更新できなかったのが心残りだけれども、それはそれとして良い本がSFでもノンフィクションでもたくさん刊行された年だった。年末年始も寒くなりそうなので、よかったらここで紹介した本をお供にしてください。

国内SFを紹介する

藤井太洋『マン・カインド』

最初に国内SFから紹介していこう。まず触れておきたいのは、アメリカが分裂し第二の内戦状態に陥った未来が舞台となる、近未来のテクノロジーを描かせたら天下一の藤井太洋による長篇『マン・カインド』。この世界ではドローンとAIの発展に伴って戦争の凄惨さが限界を超えた結果、人類は事前にルールを策定した戦争を行うようになっていて──と、遺伝子改変やドローン、光学迷彩といった数々の未来の技術を描きながら、破滅的な出来事が次々と起こる近年の世界を予言的に描き出す傑作だ。

アメリカの混乱はトランプが再選するかどうかからもう明らかで、のちに紹介するがアメリカの危機的な状況を統計データから予言していた『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』やアメリカの内戦状況下を描き出した映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(これも傑作!)、飛浩隆によるSF短篇「宙の大統領」など、政治と国家の混乱を扱った作品・ノンフィクションが強く印象に残る年だったといえる。

春暮康一『一億年のテレスコープ』

続いて紹介したいのは、デビューしてから次々と傑作を世に送り出してきた作家、春暮康一の初長篇『一億年のテレスコープ』。望と名付けられた少年が望遠鏡、天体観測にのめり込み、次第に「人間は、どこまで遠くを見ることができるのか?」という発想を、超長基線電波干渉計ネットワークという現実に存在する電波望遠鏡の手法で突き詰めていく。規模、質量、アイデアとも自身の既作を超え、日本のファーストコンタクト・地球外生命体SFの水準を引き上げる作品だ。

宮西建礼『銀河風帆走』

他にも、短篇でデビューはしていたものの単著が存在しなかった宮西建礼の初の単著&SF短篇集『銀河風帆走』は今どきめずらしいぐらいに真正面から宇宙をテーマにしてハードSFをやろうとした作品群だ。恒星間航行宇宙船であったり、地球に衝突する小惑星の軌道をそらす計画にわくわくする人は絶対おすすめ。春暮康一と合わせて日本のハードSFの未来を明るく感じさせてくれる一年だった。

田中空『未来経過観測員』

ウェブ連載の利点を活かし、縦読みならではの物語を構築した漫画『タテの国』などで知られる田中空の作品集『未来経過観測員』も記憶に残った一冊だ。表題作は一〇〇年ごとに人工冬眠から覚醒し未来のレポートを書く仕事についた、未来観測員の物語。近未来からはじまって最後は数万年のはるか未来、宇宙の果てまでの旅に連れて行ってくれる。同時収録の「ボディーアーマーと夏目漱石」はその中に入っていればとりあえずすべてが循環するから何もしないでも生きていくことはできる完全循環型のボディーアーマーに入った男女の交流の物語で──と、世界や宇宙の終わり、人類の終末といった壮大な物語が好きな人には、ぜひてにとってもらいたい一冊だ。

間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』

新人の作品としては、第十一回ハヤカワSFコンテストで特別賞を受賞した、間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』も忘れられない。語り手は一九九〇年代に生まれ融合手術と呼ばれる身体の機械化手術を受け二一〇〇年代の未来まで生きている人間であることがすぐに明らかになるが、その過程で平成で青春を過ごした語り手の日々(ボカロや将棋電王戦など)と、なぜ融合手術を受けるに至ったのか、またその果てに訪れる、ロマンスとも呪いともとれる出会いについて描き出されていく。

市川春子『宝石の国』

また、小説ではなく漫画だが今年のSFにおけるトピックのひとつは『宝石の国』の完結&最終巻の刊行だろう。人類が何らかの理由で滅んだ後、言葉を話す人型の宝石らが暮らすようになった惑星で、彼らを狙いに月からやってくる「月人」たちとの戦いを描き出していく。そこだけ読むと幻想譚のようだが、寿命を持たぬ宝石たちは事実上の不死であるがゆえに不死、長寿のテーマを内包しているし、体が欠けた時に別の宝石で補強を行うことからサイボーグテーマでもあり──と、読み進めるたびにどんどんSFらしさが増していく。終盤の情景が、またとんでもなく美しいんだ。

海外SFを紹介する

韓松『無限病院』

海外SFでまず取り上げておきたいのは、『三体』の劉慈欣と並び称される作家、韓松による《医院》三部作の開幕篇『無限病院』だ。冒頭は不条理のカフカか幻覚のディックかといった感じで、夢の中でさまようかのような病院での出来事(延々と検査が続く病院、自分の腕から採血する看護師など)が続くが、次第に世における医療と未来を問う医療SFと化し、中盤以降は村上春樹的なメタファーにまみれた世界に突入し──と、読み進めるごとにジャンルと読み味が変貌していく、唯一無二の長篇だ。

実は仏教テーマの作品でもあり、奇しくも今年は『宝石の国』や円城塔による機械仏教の成り立ちを描く『コード・ブッダ』など仏教SFが目立った年でもあった。

P・ジェリ・クラーク『精霊を統べる者』

アメリカの作家P・ジェリ・クラークの第一長篇『精霊を統べる者』も無限病院とは異なる角度からおもしろかった。物語の時代は二〇世紀初頭。魔法と科学が融合した都市カイロを舞台に、伝説の魔術を名乗る人物によって引き起こされた、魔術世界を揺るがす大事件を描き出していく。この世界では精霊のジンが存在することで、エジプトがヨーロッパ列強と肩を並べられるようになっており、世界の趨勢が(現実と)異なっている。著者は大学で歴史学の助教授をつとめる人物で、細かな文化や歴史の描写が異様に細かく、また魅力的に描き出されている。雰囲気抜群の作品だ。

ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』

近年はあまりに暗い出来事が続くことから「こんな時代にあえて希望(ホープ)を抱くことは、反抗(パンク)である」として、あえて未来を希望と共に描き出す作品を「ホープパンク」と呼称するが、この分野の作品も徐々に増えつつある。中篇二作が収録されたベッキー・チェンバーズの『ロボットとわたしの不思議な旅』は、このホープパンクの代表的作品とされており、お茶を淹れるのが得意な喫茶僧のデックスと、人類と長い事断絶していたロボットとの再会と交流の物語が温かなタッチで描かれていく。おそろしい出来事が頻発する現代には、こんな優しい物語が必要だ。

ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』

第二次世界大戦直前に世界各地に現れた異能力者たちの暗躍を陰鬱なトーンで描き出す『完璧な夏の日』などの作品で知られるラヴィ・ティドハー。そんな彼の最新邦訳作『ロボットの夢の都市』は、既作とは異なりストレートに人類の未来をSF的に描き出した未来史長篇だ。人類の居住地が太陽系全域にまで広がり、デジタル生命体までもが存在するようになった世界で、あるロボットと市民の邂逅が描き出されていく。未来の話でありながらも、どこか神話的な雰囲気(砂漠が舞台なのもあり『DUNE』とかの雰囲気が近い)を残す作品で、好きな人にはたまらない。あと、最近はこれまでSFを扱ってこなかった雑誌も積極的に扱うようになってきたなという印象がある。2024年の代表的な例といえばBRUTUSのSF特集が挙げられるが、FRaUの2025年1月号の気候危機特集でも気候変動SFが6ページにも渡って紹介されたり──と、今やどこでSFが特集・紹介されていてもおかしくない。

まずサイエンスノンフィクション以外のノンフィクションを紹介する。

ハリー・パーカー『ハイブリッド・ヒューマンたち』

そしてノンフィクションも豊作揃いだ。中でも個人的なオススメはみすず書房から刊行の『ハイブリッド・ヒューマンたち』。英国軍人としてアフガニスタン紛争血に従軍し、即席爆発装置を踏んで両足を失った著者が、義足や義手といったテクノロジーと融合し、それを使いこなす人々について語る、エッセイ・ノンフィクションだ。

当然著者自身も義足ユーザーで、義足を最初につけはじめたときのくるしみと戸惑い、そして、義足に適応していく過程がじっくりと丁寧に語られていく。著者の体重は68kgだが、そのうち8kgが義足の重さで、つまり著者の12%は機械なのだ。彼の1歳半の息子は、義足と足の断端を固定するためのソックスの一つを持ってきて、「パーパ」といってそれを抱きしめるという。最先端の義足の技術の凄さも念入りに描写されていて、しっかりとした調査のおもしろさと、自分の人生と体験談を抒情的に描き出すエッセイのおもしろさ、そのどちらもが高いレベルで合わさった傑作だ。

V林田『麻雀漫画50年史』

『ハイブリッド〜』からいきなり方向性が異なるが、麻雀漫画の歴史を語る、V林田の『麻雀漫画50年史』もぜひとも紹介しておきたい。本書では、日本刀で首を跳ね飛ばされながらも手配のすべてが東の東一色をツモる『ジャンロック』など、とんでもない怪作から傑作に駄作まですべてが網羅されている。現代的な視点からみてつまらない作品についてははっきりつまらないと書いているので、レビュー本的にも使えるだろう。僕もこれを読んで何作も麻雀漫画を買い漁ってしまった。

デイヴィッド・グラン『絶海』

続いておすすめしたいのは、1740年代に起こった英国船ウェイジャー号の漂流、そしてそこからの数年がかりの帰還までを描き出した、冒険・歴史ノンフィクションの傑作『絶海』だ。ウェイジャー号は財宝を積んだスペイン船を追う密命を帯びた大規模な船だったが、荒波に壊血病にで壊滅的な被害を受け、最終的には南米大陸南端で嵐に飲み込まれてしまう。わずかに生き残ったウェイジャー号の船員たちは無人島に漂着するが、そこにはろくに食料も存在せず、殺人や人肉食に及ぶものまで現れる。冒険、海洋ノンフィクション好きにはたまらない作品だ。

ピーター・ニコルス『狂人たちの世界一周』

同じく海洋冒険物としては国書刊行会から刊行の『狂人たちの世界一周』も素晴らしかった。世界初のヨットでの「単独無寄港無補給」世界一周レースについて書かれた一冊なのだが、このレースが行われたのは1968年で、レーダーや衛星も発達していない時代である。当時世界一周には10ヶ月を必要とし、無補給であるがゆえにその間他者と交流もほぼできず、一人で狭い船の中に閉じ込められた人々は、嫌でも自分の内面と向きあわざるをえず、少しずつ狂っていく。中でもそのうちのひとりは途中で世界一周を断念し、しかしそれをレースの主催者には伝えず、「自分は快調に走っている」と偽装することを選び──と、話は予想外の方向へと転がっていく。

ヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち プラットフォームが国家を超えるとき』

昨今日本ではメルカリやタイミーなどデジタルプラットフォーム上での問題が表出しているが、『デジタルの皇帝たち』は、なぜこうした問題が発生してしまうのかについて理解するために重要な一冊だ。たとえば最初期のプラットフォームであるオークションサイトのeBayは、規模が大きくなると詐欺や商品の意図せぬ不着も増え、本来はリバタリアンで自由な場をつくりたいと願っていた創設者のオミダイアは規制を導入せざるをえなくなっていく──と、デジタル・プラットフォームが必然的に強い権力を行使し、社会秩序の構築に移行せねばならない要因が分析されている。

サイエンス・ノンフィクションを紹介する。

ここから先はサイエンス系ノンフィクションのおすすめにうつろう。

トーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか』

今年読んだ中でも我が身にひきつけてもっとも記憶に残ったのは『男はなぜ孤独死するのか』だった*1。テーマになっているのは、「男性の孤独」それ自体だ。なんで「男性」に限定する必要がある? と疑問に思ううかもしれないが、たとえば日本の2022年の自殺者数は総勢2万1881人で、そのうち男性は1万4756人と67.4%を占める。

状況はアメリカでも変わらず、2022年の自殺者数は調査開始から過去最多の4.9万人となり、男性は10万人あたりの自殺者数でいうと女性の4倍近く死んでいる。自殺の原因が孤独とは限らなくない? と疑問に思うが、しかし孤独が自殺行動の強い予測因子であることを示すデータもあって──と、「じゃあ、男性が孤独に陥りやすい傾向があるとして、じゃあなんで孤独になってしまうのか」を解き明かしていく。最近、45歳独身男性狂う説などがよく話題に上がるが、その補助線にもなる一冊だ。

ピーター・ターチン『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』

最初に少し触れたが、『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』もおもしろかった。著者は複雑系科学のアプローチを人間社会に応用した、歴史動力学と呼ばれる分野の開拓者で、人類史に繰り返す現れるパターンが存在することを発見し、どのような条件が揃うと、国家の崩壊が発生するのか──を本書の中で解き明かしてみせる。で、タイトルの「エリートの過剰生産が国家を滅ぼす」はたとえ話ではなく、彼らの研究を通して見えてきた、「国家が滅びに向かう具体的な要因」だというのだ。歴史学者からは反論も多いというが、将来的にはこの歴史動力学の手法で、より高い精度で歴史の予測が可能になるのかもしれない。そういう意味では、これからが楽しみな分野だ。

スコット・A・スモール『忘却の効用』

続いてぜひ取り上げておきたいのは『忘却の効用』で、これは不要と思われがちな「忘却」がいかにわれわれの役に立っているのかを解き明かす一冊だ。人間の記憶は、新しい経験をすることで神経細胞が刺激され、樹状突起スパインが成長することで定着していく。忘却はその逆で、樹状突起スパインを縮小する時に起こる。

なぜそんなプロセスが脳に存在するのか? 全部覚えたままの方が便利やん、と思うかもしれないが、これはこれで実は役に立つ。たとえば一度覚えた目的地へのルートが工事などでしばらく使えなくなった時、それまでのルートを修正(一部を消して、ルートを入れ替える)する形で記憶しなおしたほうが効率がよい。絶え間なく変化する状況に対応するため、忘却の能力は大理石の彫刻を彫るようにして、あえて削って記憶を整形するために用いられるのだ。自閉症者は忘却のボリュームが下がっていて、同じ通学路を使うことにこだわったり、決まった手順に従うことに極端にこだわったりと、忘却という観点からとらえなおすことで、理解が容易になることも多い。

デヴィッド・ナット『幻覚剤と精神医学の最前線』

脳科学繋がりで取り上げておきたいのは、幻覚剤の効用を扱った『幻覚剤と精神医学の最前線』だ。近年、幻覚剤が抗うつ剤を使ってもあまり効果がない難治性のうつ病治療に効果があるとするエビデンスが増えてきている。その理由としては、幻覚剤が、脳の典型的なパターンを失わせることで、一時的に自己を忘れ習慣的な思考から逃れることができるのではないか、と言われている。たとえば繰り返される自責思考や私は価値のない人間だという思い込みを、とっぱらって考え直せるようになるかもしれないのだ。幻覚剤の解禁は医療用であっても注意深くあるべきだが、難治性のうつ病にたいして本当に効果があるのなら、喜ばしい話だ。

マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界』

『読めない人が「読む」世界』もおもしろかった。読む、と一言でいってもそれを実際に定義するのは難しく、世の中には様々な形で本を読む人がいる。たとえば認知症の患者は、少しずつ記憶が抜け落ち、短期的な記憶力も低下していく。ではそうした人たちはもう本を読むことはできないのかといえば、そんなことはない。

ある認知症患者は短篇をじっくりと読み楽しむ方向に切り替え、物語の展開よりも一文の美しさを意識するようになったと語る。難読症の人々は、文字をちらっとみてその内容を頭の中でふくらませて読んだことにするなど、多様な読む形が本書では紹介されている。本書を読めば、本の読み方が一通りではないことがよくわかるはずだ。

スティーブ・ブルサッテ『哺乳類の興隆史――恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』

最後に、生物系からオススメして締めとしよう。『哺乳類の興隆史』は約3億年前からたどることができる哺乳類の歴史を追った一冊で、たとえば太陽光に関係なく体温を一定に保つ代謝はいつ獲得されたのか? 大きな脳ができはじめたのはいつか? 授乳するようになったのはいつか? といった、現代の哺乳類が当たり前のように持っている特性の起源と発展の過程を解きほぐしていく、とにかく魅力的なエピソードと問いかけに溢れた一冊だ。これはほんとうにおもしろかった。

おわりに

特に今回はノンフィクションのジャンルが統一感もなにもない感じになってしまったが、それだけ色んな分野でおもしろい本が多かったということで。今年は小説すばるで新しくSF書評の連載がはじまったりと僕の活躍の場も広がっているので、よかったら来年もいろいろチェックしてみてね。あと今年は11月から趣味で読書についてのpodcastも友人とはじめたから、こっちもよかったらきいてください。
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では、また来年も特に変わりなく更新していこうと思っているので、よかったら読んでください。

*1:これは邦題が「孤独死」とついているだけで、本書は別に孤独死がテーマになっているわけでもなければ、それが良い・悪いという話は一切していない