基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

量子コンピュータが実用化したら、社会にどのようなインパクトを与えるのか?──『量子超越: 量子コンピュータが世界を変える』

この『量子超越』は物理学者として知られ『サイエンス・インポッシブル』など数々の一般向けのサイエンス本の著作があるミチオ・カクの最新作。今回のテーマになっているのは副題に入っていることからもわかるように、「量子コンピュータ」だ。

その仕組みや、そもそもこれがどういう理屈と発想のもと生まれたのかという歴史の話から始まるが、それ以上に本書で中心になっているのは「ちまたで騒がれている量子コンピュータが実用化された時、社会にどんなインパクトをもたらすのか?」という部分だ。先日もNVIDIAのCEOが、量子コンピューターの実用化は20年先となる公算が大きいと見通しを示したことで量子コンピューティング関連の株が軒並み30〜40%強急落したが、そもそも量子コンピュータの実用化とはどのような状態のことなのか? 本当に20年先になるのか? そもそも何がネックになっているのか──? というあたりは、本書を読むと理解しやすくなるだろう。

量子超越とはなにか

メインタイトルになっている「量子超越」とは、量子コンピュータが、特定のタスクの処理において、従来のデジタル式スーパーコンピュータの性能を明確にしのぐ段階のことだ。この段階に到達したとされる量子コンピュータもぼちぼち現れているが、意外とその後の古典的コンピュータの発展も凄まじく、のちに古典的コンピュータが速度のうえで上回るケースもみられる(2020年のGoogleのシカモアの件など)。

ゆえに量子超越の瞬間がまさに今到来しつつあるのか、あるいは好敵手同士のレースのように抜きつ抜かれつのまましばらく進行しつつあるのか、そのあたりは素人にはわからないが、仮に量子コンピュータが安定的に計算に可能になるとしたら、何が起こり得るのか──を描写していくのが、本書の骨子になっている。

 たとえばDNAゲノミクス(ゲノム研究)で、コンピュータを使って、乳がんをもたらしうるBRCA1やBRCA2のような遺伝子を特定することはできる。だが、こうした欠陥遺伝子がどのようにしてがんを引き起こすのかを厳密に明らかにするには、デジタルコンピュータは役に立たない。そればかりか、体中に広まったがんを抑え込むのにも無力だ。ところが量子コンピュータは、分子が複雑にからみ合うわれわれの免疫系を解き明かすことによって、そうした病気と闘う薬や治療法を新たに生み出せる可能性がある。(p.34)

量子コンピュータってそもそも何??

量子コンピュータが何なのかという話を細かくしているとキリがなくなるのでざっとした説明ですませるが、古典コンピュータが電圧の高低などで表現される明確な0か1の状態を使って計算を行うのに対し、量子コンピュータは量子力学的な重ね合わせ状態を利用する。具体的には、量子ビットは0と1の状態が同時に存在する重ね合わせ状態をとることができ、これを利用して計算を行うことになる。

量子コンピュータがデータをエンコードする時に使用する基本単位を量子ビットというが、量子ビットをn個集積させると、最大で2のn乗通りの数字を一度に扱うことができる。つまり、2量子ビットの場合は最大で4通りまでの計算が一度にできる。たとえば古典的コンピュータでは「0」と「1」を使って4パターンをそれぞれ計算する(00,10,01,11)が、2量子ビットの場合はそれぞれに0と1が重ね合わさっているので、4パターンの計算結果が重ね合わさった状態を1回の計算で作ることができる。*1

量子ビット数が増えれば増えるほど2のn乗で計算力が上がっていくわけだから、いかにして量子ビット数を増やしていくのか。またそれを安定稼働させるのか、というのが量子コンピュータの実用化にあたっては重要なポイントになってくる。

なぜ量子ビット数がそんなちびちびとしか増えないの?

問題は、量子ビット数が簡単には増やせない点にあるが、その理由は、ひとつに原子を正確に並べて振動を同期させるのが難しいからだ。原子は小さくて高感度の物体だから、ほんの僅かな不純物や外乱で原子の配列が干渉性を失って計算がだめになる。

量子コンピュータにも様々な種類があるが、それぞれにメリットと課題も異なっている。たとえば超伝導量子コンピュータは、絶対零度近くまで冷やすことで回路を量子力学的状態、電子の重ね合わせが乱されない状態まで持っていき量子計算を行う方式だが、これはデジタルコンピュータ産業が開発した既存の技術が使えるのが大きな利点となる。一方で、課題といえるのはマシンを冷やすのに複雑なチューブとポンプが必要になること、それによってコストと障害やエラー率が上がることだ。

計算にエラーが紛れ込むことにたいする対策として考えられているのが各キュービットを複数のキュービットでバックアップすることだ。ただ、1キュービットに対して1000キュービットのバックアップが必要だと仮定した場合、1000キュービットの量子コンピュータを「実用」的に動かすためには100万キュービット必要で──と、この事例一つとっても量子コンピュータが簡単に実現できるわけではないことがわかるだろう。とはいえ、だからNVIDIAのCEOの言うように20年先まで絶対できないとも言い切れないのは、シリコン、光、イオントラップなど物によっては極低温も必要としない方式が考えられていることと、キュービットの配置を工夫することで計算エラーを高い確率で防いだりとあらゆる領域から進歩が起こっているからだ。

で、結局何に使えるのよ。

長い前置きからようやく本題にたどり着いたが、で、結局何に使えるのよという話である。その用途における最大の特徴は、古典的コンピュータでは処理が難しい分子レベルの複雑な振る舞いをシミュレートできることだ。これにより、光合成の仕組みの解明やエネルギー問題の解決など、多くの応用が可能になる。

たとえば、新しい抗生物質の開発にも役立つ。古典的コンピュータでペニシリンが分子レベルで働くメカニズムをモデル化しようと思ったら、10の86乗ビットのコンピュータ・メモリが必要になるが、これは量子コンピュータの能力の範疇である。

現在の基本的な抗生物質開発のプロセスは、有望な物質が細菌を殺すかどうか確認して、続いてそのメカニズムを確かめる。基本的には100年前にフレミングが開発した手法のスケールアップ版で、有用だが効率は悪い。ひとにぎりの有望な薬を見つけ出すために、何千もの化学物質を試さないといけないからだ。それが、量子コンピュータが実用化されれば、この手順を覆すことができるかもしれない。まず分子レベルのメカニズムを突き止め、プロセスを理解してから、使えそうな物質を試すのである。

植物が行う光合成の解明も量子コンピュータに期待が寄せられる分野である。というのも、多くの科学者が光合成は量子のプロセスだと考えていて、その厳密な理屈は依然として解明されていないからだ。たとえば、光が葉にあたると、葉は励起子というエネルギーの振動状態を生み出すし、葉の表面を移動して反応中心と呼ばれるものに入って、そこで励起子のエネルギーは最終的に二酸化炭素を酸素に変えるのに使われる。その時、本来なら(熱力学第二法則によって)エネルギーが散逸するはずなのだが、励起子のエネルギーはほとんど損失なしに反応中心まで運ばれる。*2

量子コンピュータは、こうした量子の計算をおこなうのにうってつけだ。この経路積分を利用するやり方が有効なら、光合成のメカニズムをいじってさまざまな問題が解けることになる。植物で何千もの実験を行うのは途方もない時間がかかるが、その代わりにそれらの実験をバーチャルでおこなえるのだ。』(p.163)

光合成のプロセスが解明されたら、人工的な葉を作り出して日光で水を水素と酸素に分解し、できた水素でクリーンな燃料電池を作ったり、水の分解でできた水素をCO2と化合することで有用な炭化水素を作ったり──(そしてそれを燃やして出たCO2をまた水素と化合させリサイクルする)といったことも可能になる。

おわりに

これは本書で紹介されている事例のごく一部だが、他にも経済やがんや不死の探求、気候変動対策と様々な分野で量子コンピュータが大きな変化をもたらすのかを解説している。量子コンピュータの「実用化」とは何かといえば、ここで述べてきたような実用的な問題を量子コンピュータで本当に解ける時がきたら、ということだろうし、これが仮に実用化するのであれば、20年後でもそれは本当にすごいことだ。

ちょっと(ミチオ・カクが)量子コンピュータの未来にワクワクしすぎて楽観的になりすぎている雰囲気もあるが、よくまとまった一冊なのは間違いない。

*1:ここに限った話ではないが、今回に関してはまるで僕が完全に理解しているかのように書いているけれど僕もよくわかってないから間違ってたらごめん

*2:この不思議な効率の良さの秘密として、励起子が量子力学的な性質によりありうる経路を網羅した量子のメニューから最も効率の良いルートを選ぶことができる可能性が指摘されている。