- 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/09/06
- メディア: Kindle版
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副題にテクノロジーとサピエンスの未来とある通りに、本書の主題は過去を語った『サピエンス全史』のその先にあるわけだが、読む前はなかなかリスキィなテーマだなと思っていた。というのも、過去については前作でもう語り終えてしまったわけである。一方の未来についてはざっくりとした未来を予測するのは難しくはないが、ハラリは経歴を見る限りでは基本的には歴史学の人であって別にテクノロジーの専門家ではない。他所のサイエンスノンフィクションで語られているようなことをまとめてそれっぽい退屈な本に仕立て上げるだけになるのでは、と心配していたわけだ。
ところが実際読んでみると、確かに取り上げられている事例自体はどれも既知の内容ばかりなのだが(それ自体は『サピエンス全史』と変わりがない。ハラリが凄いのはまとめ方のうまさと、そこに独自の視点を付け加えていくところにある)、相変わらず文章は読みやすく、まとめはシンプルでおもしろいし、一冊(上下巻だけど)まるっと未来の話をするのかと思いきやその半分以上は”なぜこのような未来に到達すると考えるのか”という前提を埋めるための歴史の話だしで「あんま未来の話しとらんやんけ」と思いつつも、きっちり自分の本としてまとめている点が好印象である。
具体的な内容の紹介
もう一度テーマからざっくり紹介すると、地球全体でみると人類はこれまで自らを苦しめてきた飢饉、疾病、戦争を徐々に押さえ込みつつあるわけだが、そうしたマイナスの事象がこの世界から一掃されつつある今、人類はその先に何を目指すのか──といったあたりになる。実際問題世界から(データ上は)飢饉や疾病や戦争が減ってきているのは、スティーヴン・ピンカー『暴力の人類史』やヨハン・ノルベリ『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』など無数の本で指摘されているので事実なのだろう。
成功は野心を生む。だから、人類は昨今の素晴らしい業績に背中を押されて、今やさらに大胆な目標を立てようとしている。前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い。飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。(……)そして、人類を残忍な生存競争の次元より上まで引き上げることができたので、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう。
老化を遅らせ、不死を目指す。その過程で人類は必ず自らの生物的な機能を操作する必要が出てくるし、それは実際今まさに遺伝子改変やサイボーグ技術の領域で行われていることだ。そうやって”人間”の定義自体が変わりつつある今、いったい我々の価値観や思想はどう変わっているのだろうか──というのが本書の第1章「人類が新たに取り組むべきこと」でスピーディに語られていく内容である。
さあ、それでは、2章以降はそのあたりのことをもっと深掘りするのだろうと思いきや、視点はいきなり過去へと飛んでしまう。というのも、人類が不死を目指すというのを、おそらくこれを読んでいる人もみな当たり前のように「まあそうだよね」と受け入れているが、「なぜ、そうなのか?」という前提を固めにいくのだ。ハラリによれば、我々が不死を目指すのは、世界が過去300年にわたって支配されてきた「人間至上主義」の思想によるものであり、人間至上主義者たちはホモ・サピエンスの生命と幸福と力を神聖視するから、必然的に死の回避を目指す。そして、人間至上主義の歴史をたどるうちに、それに伴う伴う欠陥もまた明らかにしていくことになる。
たとえば、人間は素晴らしく、必然的に人命は神聖なものであり、人間はたとえ寝たきりであろうともその生命をながらえさせるべきだ──というような考え方のことだ。前作で用いられた虚構の軸を援用しつつ、「人間至上主義」という新たな視点で語り直していくのが、三部からなる本書の前半部(一部、二部)の主な内容といえる。
これから先の話
その後に語られるのは、これからの話、「ポスト人間市場主義」の話である。たとえば、個人主義と人権と民主主義と自由市場という、現代に存在する各種システム・思想の代替となるものは目下のところ存在しないように思える。だが、ハラリが指摘するのは、それらが現代においては危機に瀕しているという事実である。これ自体は特別目新しい指摘ではない。現代の脳科学は我々がいかに「自由意志」を持っていないのか、どれほど脳や環境に決定を左右されているのかを明らかにしているのだから。
『ところが生命科学は自由主義を切り崩し、自由な個人というのは生化学的アルゴリズムの集合によってでっち上げられた虚構の物語にすぎないと主張する。』科学、技術が進展することによって人間を駆動する生化学的アルゴリズムへの理解は進み、それは要するに人間をよりコントロールすることが可能になりつつあるということでもある。今後は、外部のアルゴリズムの方が我々のことを我々自身よりもよく知るようになり、医療や進路相談など全てのことをアルゴリズムへお伺いを立てる──それも”その方が確実だから”──ことになるだろう。『もしそうなれば、個人主義の信仰は崩れ、権威は個々の人間からネットワーク化されたアルゴリズムへと移る。』
こうした変革が各領域で起こった結果、世界はポスト自由主義へと移行していく。その先にあるのは、人間ではなくテクノロジーを信奉するようになったテクノ宗教なのだ──もちろん、現代はすでに部分的にはそうなっているわけである。
おわりに
本書ではここからさらに、この想定されるテクノ宗教の具体的な説明と、それがもたらすリスクと可能性について語り「テクノロジーと人類の未来」を導き出していくので、気になる人はちゃんと読んでね。「人間は虚構によって今の地位を築いた」と喝破した『サピエンス全史』だが、今回は人間が信じてきた自由主義の基盤となる自由意志や自己といったものさえも「虚構なのだ」と明らかにする構成はそれ自体が劇的/フィクション的で、心躍らされる体験であった。
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